SixTONESフィギュアが良すぎたという感想文のお焚き上げ
あまりにもフィギュアの歌詞が良くて書き殴って発酵させておいた感想を一部加筆修正してここにお焚き上げしたいと思います。
考察ですらない、個人の感想と妄想なので、話半分で暇つぶしに読んでいただければと思います。
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みんな〜(概念)!!!!!!!SixTONESのフィギュアYou Tubeバージョンパフォーマンスビデオ見た!?!!!
フリも演出も6人のノリも何もかも良すぎてずッッッッッッッッッッッッッッと噛み締めてるんだけど、噛み締めれば噛み締めるほど、明るいとか楽しいに振り切ったパフォーマンスと、諦めてるような、縋るように祈るような歌詞の切実さとの差が気になってしまって、一度フィギュアの歌詞に丁寧に目を通してみることにしました。
感想の前にまず、歌詞把握のための大枠の話。
浸透力の高い歌、いわゆるバズる歌の歌詞は、共感性と概念性があると思っている。
特にボカロ調曲になると、その傾向は非常に顕著になる。
共感性というのはいわゆる「俺たちの歌」、情感的で誰にでも覚えのある感情や体験が織り込まれている。
概念性は共通認識や誰でも思い浮かべることができる普遍的な情景、共感性と共通するところもあるが、「誰でもお花見行ったことあるよね」、「誰でも雪合戦したことあるよね」、というよりは「春といえば桜だよね」、「冬といえば雪だよね」、みたいな暗黙の了解的なものに近い。
共感性は「自分」主体、概念性は「自分が考えた他の誰かのイメージソング」と思って貰えれば良いです。
フィギュアの歌詞も、共感性と概念性が強い。
さらっと目を通したところ、何者にもなれない自分にうんざりして燻っている、というような、誰にでもある体験に見える。
でもそれだと少し消化不良な部分もある。
特に題名の「フィギュア」。
パッと思い浮かぶのは、人形のフィギュア。
リリックMVもそちらを示しているように思える。が、「共感性」の部分で言えば、一般人の感覚的に、自分が飾り立てられているか、と思えば、全然そんなことないな、と思ってしまう。
フィギュアといえば、フィギュアスケートも頭をよぎるが、まぁ「フィギュアスケート」の線は絶対にないでしょう、ということになる。
以前、フィギュアスケートの由来を調べた時、最初は丸、三角、四角などの図形(フィギュア)をなぞって滑る競技だったという。
この「形」という意味のフィギュアであれば、共感性の部分に関してはドがつく一般人的にも付け入る余地がある。
では、「人形のフィギュア」は?
最初にバズる歌は共感性と概念性がある、と言ったが、そこにプラスアルファとして「本人性」が足されることがある。
例えば、「LEMON」や「KANDEN」。これはそれぞれドラマ「アンナチュナル」「MIU404」の主題歌になり、登場人物になぞらえているが、「自分の知っている誰かのイメージソング」としても、人によっては「俺たちの歌」としても捉えることができる。
SixTONESで言えば「NEW WORLD」。全体の歌詞の内容は友情や絆を称えるものになっているが、聞く人が聞けば6人の軌跡を思い起こさせるところがある。
「人形のフィギュア」は、この「本人性」に当たるのではないか、と思った。
6人ではなくとも、飾り立てられるような存在(アイドルなど)のための「人形のフィギュア」のように聞こえる。
サビ部分の「裏切らない〜」は、勿論人もそうだが、努力や天運さえも見放すような世界に生きている彼らのことを思えば、何かくるものがある。
「終点」というのも、グループ結成やデビューのような目標の到達にも、卒業や引退のような芸能活動の終焉にも取ることができる。
また、個人的に「生まれ変わりを未だ信じている」の部分が噛み砕けなかったけど、これがアイドル等であればグループの解散や休止からの(別)グループでの再活動(Vtuberであれば「前世」からの転生)、となればすんなり解釈がハマる。
単に「ダメな自分からの脱却」という意味での生まれ変わりである場合もあるかもしれないけれど、それはそれで共感性に訴えてくるものがある。
個人的に感情がダメになってしまったのは「ラジオノイズ 〜」のくだりの「降りるチョイス」。
一見韻を踏むためだけの言葉遊びの歌詞に見える。でもそれにしてはラジオノイズからの繋がりが唐突にも見える。
その時ふと、髙地さんのインタビューで、「某グループに入るという話があったが、その選考から降りた」というエピソードが頭を過っていった。確かにそうなるとチョイス(選考)を降りている。これではないですか……!?!!??!?!!!
深読みなのはわかっていますが……!!!!!!!!!!そしてここの歌割りは……松村北斗なんです……!!!!!!!!みなまで言いませんが……あの、その、あの……!!!!!!!!!!!!!!自分は膝から崩れ落ちました。
気を取り直して歌詞に戻ります。
2番の「あなたまだ十分こどもで〜ガラス越しに取り替えられる」は、6人の出会い、バカレアが思い浮かんでしまうんですよ。
バカレア後は鳴かず飛ばずで、再集結するまでそれこそ「やめる」という選択肢もあったメンバーもいた。
この時点でメンバーはほぼ若干ハイティーン。
「あなたまだ十分こどもでいいんだよ」は「まだ十分こどもだから、今から人生をやり直しても取り返しがつくよ」という100度と言われたであろう大人たちの言葉そのもののように思える。
2番の歌詞を見ると、フィギュアはバカレアからSixTONES結成前までの6人のことなのかなぁ、と思ってしまうんですよね。……ウッ!降りるチョイス!(発作)
ラスサビ前のジェシーの「たおやかに番を待つ 僕らずっと堪えて生きている」は、1万字インタビューのジェシーそのままだったなぁ、という印象。
ジェシーは(側から見れば)ジャニーさんのお気に入りだったし、華やかなTHEセンターという印象が強いけれど、バカレア以前は引っ込み思案という話だったし、非常に思慮深い。
Jr.のセンターに立ってたから、外野からの口出しも多かったと思う。そういうものを「堪えて」ずっとやってきたんだな、というのが染み渡った。
この「本人性」のことを考えれば、YouTube限定パフォーマンスの歌詞の切実さとパフォーマンスのお祭りっぷりが反比例しているのも、溜飲が下がる。
人にも、努力にも、運さえにも裏切られて、やるせない、どうにもできない、そんな自分がだらしない。「終点」を見ているけど、当分来そうにない。
ならば、飾り立てられるフィギュアで、アイドルでいる限りは、散っていく夢を塗って振り撒いて、あるがままに楽しく明るく振る舞おう。
そう考えると、刹那的でやるせない気もするが、画面が明るかったし、何より6人が本当に楽しそうにパフォーマンスしていたので、それが本当に良かったです。(感想文)