忍耐力ではなく、待つ力
こんばんは。
毎日一言はなかなか難しい笑
ゼロ秒思考もたまにはおやすみで😂
その代わりと言ってはなんですが
待つ力について思ったことをつらつらと。
私には忍耐力がありません。
嫌なことを言われたら
すぐ嫌になるし
同じような仕事を続けるのが苦痛になると
すぐ転職のことを考えてしまうし
やりたいことを思いついたら
いまやりたい!!ってなってしまうし
とにかく忍耐力がないです。
でも、待つのは?
忍耐って考えると耐えなきゃ、
我慢しなきゃって辛くなりそうだけど
忍耐じゃなくて待つだけって考えたら
待てるかもしれない。
我慢は難しいけど
少し時間を置くくらいなら私にもできるかもしれない。
自分には忍耐力がないなぁ、と
少し悲しく思うこともありましたが
待つことができたら
そんなふうに思う必要もないのかも?と。
この前、知り合いの方がポツリと
「今の人って待つことができないよね」
って言ってて
たしかになぁ
と納得しました。
忍耐力がないとかじゃなくて
"間"があるのが耐えられない。
意図せず、"耐える"という言葉が出ちゃった笑
"間"に対する忍耐がないってことなのかな?
そう考えると
私は"間"に対する忍耐力には長けている気がします。
一言で忍耐力って言っても
何に対するものなのかでその有無が変わってきそうですね。
何に対して忍耐力があるのか、ないのか。
そこをはっきりさせていくと
自分が忍耐力のないだらしない人間だって思わずに済むかも。
そもそも忍耐力があるかどうかって
自分が心地いいかどうかにもよるから
無理してつけるような力でもないのかも。
それぞれの能力自体、何かに対する忍耐力があることの裏返しなのかもね。
書きながら思考になっちゃった。笑
おわり。
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