水樹奈々の「夢は叶う」が"呪い"へと変わるまで。
2023年1月21日・22日の2日間、水樹奈々のライブ公演「LIVE HEROES 2023」が開催された。
「HEROES」(ヒーローの複数形)をメインテーマに据えつつ、21日は「-LIGHTNING MODE-」、22日は「-BLADE MODE-」とそれぞれにサブタイトルを冠した公演は大充実な内容となった。
詳しいライブの模様や公演自体への具体的な感想はここでは記さない。ただ、「列島に接近する大寒波を本気で押し返す気か?」とでも言いたくなるような熱量に溢れた白熱のステージングだったとだけ申し添えておく。
では何を書くのかといえば、僕個人の水樹奈々ライブへの向き合い方の「変化」について記録しておきたいと思うのだ。
そのため、本テキストは極めて私的な色合いが強く、ごく個人的な内容である。あらかじめご了承いただきたい。
さて、僕は2009年から水樹奈々のオタクになり、高校生~社会人に至るまで10年以上一貫して、彼女のライブに通い続けている。都内のライブ会場だけでなく、ときには地方公演にまで駆けつけている。少々古風な言葉でいえば、「追っかけ」といって差し支えないだろう。
そんななかで社会人になってからこっち、会場に赴くたび──あるいは水樹奈々の声を聴くたびにあるひとつの感情が心の奥のほうで常に渦巻いていたのだ。その感情の名を、「後ろめたさ」という。
そう、水樹奈々のライブに行くたびに、彼女の煽りを受けて飛んだり跳ねたり踊ったりしているうちも、僕のなかではずっと「こんなことをしている場合だろうか?」という疑問符がちらついていた。なにかこう、自分のやるべきことを捨て置いて、「水樹奈々を推すこと」に逃げてやしないかという感情である。
水樹奈々は「夢」を歌うシンガーだ。
当noteでもこれまで散々、なんならちょっと偏執的に触れてきたように、水樹奈々は「夢」をテーマにした楽曲を歌いつづけている。20年以上のキャリアで「夢は叶う」という言葉を手を替え品を替えそれこそ真言のように繰り返してきた。
僕には「夢」があった。その「夢」の内容とは”小説を書く”ということだ。より正確に言えば、「長編小説を執筆して然るべき新人賞を獲得すること」だ。ちなみに長編小説とはざっくり10万字程度の分量の小説を指す。
しかしながら、多忙を言い訳にして、これまで僕は「夢」を叶えるための努力をサボってきた。もっと言えば、夢に向かって真剣に──なりふり構わない努力をスタートすることを無限に先送りしてきた。
そんな人間が水樹奈々のライブで、あの圧倒的なエネルギーをもって放たれる「夢は叶う」を聞けば、どうなるか。簡単だ。後ろめたいと思うのだ。もう勘弁してくれよ、と思うのだ。
(勘弁してくれと思った例)
「夢」は水樹奈々の詞世界の根幹である。一丁目一番地である。
だからこそ、その熱い歌声を聴くと、いったんは影響を受ける。僕も「夢」のために具体的なアクションを起こそうと。
そうして、これまでもライブに行くたびに、今年こそは──今度こそはと一念発起して小説を書いてみようとする。だが、けっきょくは途中で投げ出して挫折する。自分が書いたものに自分で納得できずに、早々に撤退する。
僕の場合、このnoteやエッセイのようなテキストは(客観的な評価はともかく)自分で自分を納得させられるくらいのクオリティで書くことができている。僕は僕自身が紡ぐ文章が好きなのだ。こと、フィクション以外においては。
しかし、話が小説になると変わってくる。
試みに書きはじめてみて、「なんて下手くそな文章だ……」と、すぐ吐き気をもよおすほどの己の才能のなさに絶望する。自分から延々と垂れ流される駄文。それを読み返すことすら嫌になってすぐに執筆活動を投げ出す。
あとは、おなじことの反復だ。
水樹奈々のライブに行って、「やっぱり書くぞ」ともう何度目かの決意をしてみても、パソコンの前に座るとテキストがなーんにも出てこない。書いては消して書いては消してのくり返し。綺羅星のような駄文。賽の河原のごとく積み上がるダメテキスト。リライト、デリート、リライト、デリート、リライト、デリート──しまいには、テキストファイルごとゴミ箱に放り込む。そしてこう思う。今回もダメだった。また、水樹奈々を裏切ってしまった……。
そんな絶望の無限ループ。
もちろんここで「奈々さん、やっぱり夢なんて叶わないじゃないですか」と責任の所在を推しに押しつける(洒落ではない)気はない。さすがに僕もそれほど幼稚ではない。
当然だ。なんらかの「夢を叶える」という行為には、当然それ相応の蓄積が必要となってくるからだ。
すわなち、己が持って生まれた「素質」を不断に磨き続けることでようやっと「才能」が花開く過程。素質を才能へと研磨すること。その過程をこそ、人は「努力」と呼ぶのだろう。夢を下支えするのはそういった泥臭い蓄積である。
「夢は叶う」──それは正しい。正しいけど、間違っている。
なぜなら、その言葉の裏には「※ただし、努力し続けられる人は」という文言が罠のように隠れているからだ。
成功者が言う「夢は叶う」にはほとんど100%、血の滲むような努力があらかじめビルトインされている。むしろ、当たり前に努力できる人をこそ、僕たちは「成功者」と呼ぶのだ。宝くじを買うのとはわけが違う。スクラッチをこする以上の努力が必要なのだ。
僕は努力が嫌いである。
これまでの人生を振り返ってみても、わりあい自分が最初から上手くできること──得意なことのみを選択して人生を歩んできたように思う。
そんな僕にとって、「小説を書く」という──どうやら僕自身があまり得意でない行為をやりつづけることは、端的に言って苦行である。
そんな奴はそもそも小説家を目指すべきではないかもしれない。おっしゃるとおり。おっしゃるとおりすぎて返す言葉もない。しかしながら。誠に残念なことに、それでも自分の「夢」が「小説を書くこと」なのだから救いようがない。
ちなみに「小説を書く」あるいは「小説家になる」という営為において、もっとも困難とされるのは「長編小説を書き上げること」である。
おもしろく書くこと──ではない。書き上げること、だ。ほとんどの人がここでつまずき、脱落する。原稿用紙にピリオドを打つことすらできない。
信じられないかもしれないが、小説家志望者の世界には長編小説をまともに書き上げたことがない人間が大勢いる。誰あろう、僕もそのひとりだ。
ことここにいたって、水樹奈々が歌い謳う「夢は叶う」という文言は、僕にとって「呪い」として機能しはじめた。心強い励ましはいつしか、僕を苛む圧力へと姿を変えた。
それでも──推しが「夢は叶う」と言うのであれば、それに向かって努力をするしかない。そう信じる以外の選択肢は、はなから存在しない。なぜなら、推しがそう歌ったからだ。
これは「呪い」だ。僕を一方向に縛る鎖だ。
どれくらい推しにお金を使ったか。どれくらいの推しのライブに行ったか──そんなことはどうでもいい。少なくとも僕にとっては。単純な時間的・金銭的・機会的な推しへの献身の多寡は、僕が思うオタクの定義とは完全に無関係だ。
そうではなくて──推しが示す世界観を実現すること。推しのメッセージを正面から受け取って、その世界観を現実化するために自分の人生を全力で生きること。それこそが、ほんとうの意味での「推し活」なのではないか? それこそがオタクとしての「真のあり方」なのではないか。
これは「僕と水樹奈々」の話だ。君には関係がない。君は君の価値観で、理想のオタクライフを追求すべきだ。だからこそ、カギカッコで「僕」と「水樹奈々」を括らせてもらった。ここは僕と推しの閉じられた箱庭だ。
最初に断ったはずだ。これは徹頭徹尾、私的な文章である、と。
そういうわけで、もはや「思い込み」とか「妄想」としか言いようがない情念は僕を強く強く縛り付けた。たぶん水樹奈々もいい迷惑だと思う。
もちろん上にさんざん述べたことは「理念型」というか、僕が思う理想のオタクのイデアみたいなものであって、実際の自分のあり方とはほど遠い。
当然、夢を追うことの覚悟もろくにできてない。とはいえそんな妄執に取り憑かれた結果、僕は僕自身の"使命"として夢を追わねばならないと思った。思い込んだ。べつにいまの生活にとくに不満があるわけではないというのに、だ。
おい、これが「呪い」ではなくて、なんだと言うのだ?????
転調。
…………「呪い」だとしたら、である。
僕は僕自身の力で、「呪い」を「祝福」に変えるしかない。つまり、夢を実際に叶えるしかない。
推しの世界観をあくまでフィクショナルなものとして無視、あるいはスルーできれば楽なのだろう。だけど、僕は推しが言うことを真に受けてしまう愚かなオタクなのだ。自分でもほんとうに、心の奥底からバカだと思う。
その末路として、いま・ここでこのテキストを書きつつ、どてっ腹が軋む音を聞きながら七転八倒している自分がいる。救い難い。しかし、書くことでしか──想いを吐き出すことでしか救済しえない感情があるのもまた事実だ。
ということで、七転八倒をもう少しご覧いただく。
そういうわけで、「呪い」がマックスにまで高まったのが、去年夏の全国ツアー「LIVE HOME 2022」だった。コロナ禍以降、ひさしぶりの全国ツアーということで、すっかり舞い上がった僕は7月16日~8月21日の5ヶ所10公演を見事に全通(全公演参加すること)した。
いっぽうでツアー期間中、「推しの尻を追いかけ回して全国を飛び回っている暇があったら、ほんとうは自宅で歯から血が出るほど食いしばりながら小説を書いてべきではないのか」と、自問自答という名の虫が身体のなかを常にはい回り続けた。気持ちがわるい。
めちゃくちゃライブツアーは楽しいのに──そのライブの真っ最中に、本来自分はここにいてはいけないのではないかという逡巡がよぎる。それが僕の2022年の夏だった。
2023年3月に僕は30歳になる。夏ツアーの後、ほんとうの意味で覚悟ができるとしたら、つぎが最後だと思った。背水の陣を敷く必要がある。これ以上、防衛ラインは下げない──下げるくらいなら、そのときは小説家になる夢をあきらめる。そうでも思わないと、たぶん僕は一生変われない。
そんなとき夏ツアー「LIVE HOME 2022」にて、レギュラーで歌われていた「Go Live!」という楽曲があらためて胸に響いた。
水樹奈々の熱狂的なオタクをやりながら、「夢は叶う」という彼女の第一命題を負担に感じているオタクは存外いる。あるいは自分には関係のないことだと、目を逸らすしかないオタクたち。
水樹奈々はそういう奴らも見逃さず、みんなまとめて「夢は叶う」と鼓舞しようとする。女ティモンディ高岸かよ。押し付けといえばそれまでだが、水樹奈々はその命題をどうやら本気で信じてるっぽいので仕方がない。そんな推しを好きになった我々がわるい。
だからこそ、僕も往生際わるく、「もう一度 夢を見」ることにした。
僕はパソコンに向かった。小説を書くために。
今度こそ挫折しないために──水樹奈々の言葉を嘘にしないために、僕は出来るだけ詳細なプロット(物語の設計図みたいなもの)を立てて、1日のノルマを設定することにした。
これまでは事前の準備が足らず、書いてる途中で進行方向を見失っていた。コンパスと地図なしで旅に出るようなものだったのだ。
そのために、まずは通信制の小説講座も受講した。課題提出と添削が中心だったので、おかげで苦手なプロット作業にもなかば強制的に向き合うこととなった。
こうして、ライブツアーが終わった9月から準備期間を経て、12月から長編小説の執筆を開始した。1日のノルマは1360文字。少なく見えるかもしれないが無理なくつづけるにはこれくらいが限界だった。毎日つづければ80日〜100日程度で脱稿できる計算。
ちなみに本テキストはここまでで約5000字あるが、ほとんど1日で書かれている。もちろんプロットやメモなども用意していない。僕にとって小説の執筆がいかに難しいかなんとなく察していただけると思う。単純に、苦手なのだ。
途中からではあるが、執筆の進捗表もつくることにした。
こんな感じだ。
ちょいちょいサボったり、ノルマ未達になりながらも、なんとかかんとか執筆をつづけられている。そして書いてみて、あらためて気づいた。なんて自分は小説が下手なんだ、と。
考えてみればあたりまえのことである。これまではちょっと書いてはすぐに挫折していた。小説執筆とは不思議なもので、「脱稿しないと経験値が入らない」といわれている。だから、僕のレベルは2022年時点で「1」であった。
だけど、歯を食いしばって書くしかない。アーネスト・ヘミングウェイも「初稿はすべてクソである」(The First Draft of Anything Is Shit)と言っている。クソを生産することを恐れてはならない。
進行表にあるように、現在、長編小説の執筆は約6万字まで進んだ。だいたい10万字だとすると、もう半分は超えている。このままいけば、10年近く達成できてなかった「長編小説の脱稿」までなんとか漕ぎつけることができそうだ。
もちろん、はじめてまともに書いたものがいきなりおもしろいなんてことはまずない。ありえない。僕はそんなに天才ではない。なんなら、いま段階で、Shitなものになることを確信している。実際に新人賞に引っかかるレベルの小説を書くまでに5年、10年──いや、もっともっとかかるかもしれない。だけど、やるしかない。進むしかない。
そんな状況で2023年1月21日のさいたまスーパーアリーナ──夏ツアーのファイナルからおよそ4ヶ月ぶりに水樹奈々のライブに赴いた。
そのとき、ひとついいことがあった。
水樹奈々のライブに参加しているときに、始終僕を責め苛んでいた「後ろめたさ」が消えかかっていることに気づいた。心が軽くなっていた。「呪い」が解呪されはじめたのかもしれない。遠くのほうで微かに、「祝福」の鐘の音が聞こえた気がした。
水樹奈々は1月22日の公演で、今年の7月からの「夏の全国ツアー」の開催を宣言した。僕はまた2023年も推しと一緒に全国を飛び回るだろう。そのときは無事、長編小説を書き終えて、「呪い」を「祝福」に変えられるとよい。そして、水樹奈々にお礼を言おう。
心からのありがとう、と。
さて、時間だ。
今日も書きはじめよう──。
(終わり)