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友人の結婚式と。高校時代すべてが黒歴史の俺と。

※写真はイメージです。

結婚式に行ってきた。

高校の友人Sの結婚式へと参加するため、朝の新幹線に乗りひさしぶりに東京から地元大阪へ舞い戻った。

高校時代の自分に対して複雑な心境がある。もっと踏み込む。高校時代の自分を「黒歴史」だと思っている。

シンプルにいって、高校時代の僕はクソ野郎だった

大阪出身のお笑い好きで、間違ったお笑い観を持っていた痛すぎる16歳は「人をいじる立場に立つことがもっとも人間的に優位である」と勘違いしていた。

それゆえ、いろんな人に対して手厳しい言葉を投げつけていた。それがおもしろいと思っていた。クラスのヘゲモニーを握るうえで"最善手"と確信していた。もちろん、その戦術は大間違いもいいところだった。書いてるだけで死にたい気持ちになってくるが、当時の僕の言葉に傷つけられた人間の気持ちを思えば、それは当然の報いである。

そんなこんなで高校を卒業し大学に入るまでのわずかなモラトリアムに僕は、性格を変えることにした。小学生みたいな話だが、人に対して優しくあろうと思った。具体的にいえば、「いじる」から「いじられる」へ立ち位置の転換を図った。

もしかすると、大学以降の友人各位は上の言葉を読んで、「いまもたいがいの性格してるよ」と思うかもしれない。これでもだいぶマシになったのだ。ほんとうだ。

翻って、本日の主役である高校時代の友人Sはほんとうの意味で、なんの誇張もなく、誰からも好かれる男であった。ほんとうに。いつも冗談を飛ばし、みんなにいじられながらも、いつの間にか常にクラスの中心にいる男。けれども決して偉ぶらない、優しさを持った男。

ほんとうに眩しい男だった。端的に、憧れていた。大学以来の僕の振る舞い方のお手本──コミュニケーションにおける教師、あるいは私淑先──それがSだった(もちろん、彼ほど僕は人間ができちゃいないので、その10分の1も真似できてはいないが)

今日の結婚式も、新郎新婦ともにちょっとびっくりするくらいたくさんの友人に祝われており、
ああ、ほんとうに多くの人に慕われてきたんだな。そんな人気者ふたりが結ばれたのだな、最高だな」と思った。そして同時に、僕が100回生まれ変わってもなれない姿だな、とわずかに嫉妬も覚えた。

ことほどさように、僕は最悪の男であったから、高校のクラスメートとは卒業以来、ほとんど会っていなかった。だから今日の結婚式でも10人ほどのクラスメートが参加していたが、ほとんどが卒業以来、初対面だった。

自意識過剰なので、どういう顔して学友たちに会っていいかわからず、出席すること自体も躊躇したほどだ。

これは100%僕がわるいのだが、10年以上ぶりの再会になんていっていいか、どういう態度で接していいかわからず、あまり積極的に旧交を温められなかった。もっと踏み込む。「僕と旧交を温めたい人間なんているいるのだろうか? いや、いない」という反語が始終頭の中を回遊していた。そして僕はいま、披露宴を終えてすぐの東京行き新幹線のぞみで、この文章を書いている。これがほんとの逃げ口上だ。ははは。

──だけど、今日の主役Sだけは違った。

社会人になって唯一、酒を飲み交わしたことがあるのがSだ。お互い社会人になって、地元大阪から東京に遊びにきたとき、声をかけてくれたのがSだ。人気者でいくらでも友だちはいるだろうに、連絡してきてくれたのがSだ。

正直にいえば、死ぬほどうれしかった。高校時代のクソ野郎そのものだった自分がわずかに、けれどもたしかに救われた気がした。「出席を迷った」と書いたが、それは嘘だ。これは絶対に出席せねばならないと思った。

式自体はほんとうに暖かく、Sらしい気持ちのいいユーモアに溢れており素晴らしかった。お色直しの際に流れたムービーで東京でふたりで飲んだときの写真も使ってくれていて、ちょっと泣いてしまった。嘘をついた。しっかり泣いた。

あらためてS、ご結婚おめでとう。
そして新婦のTさん、ご結婚おめでとうございます。お話ししたことはありませんが、きっと素敵な人なんだろうと確信しております。

(終わり)


PS
社会人になって飲みに行ったのはSだけだが、高校のクラスメートのI(男性)と、Iさん(女性)とは大学生のころ定期的に飲みに行っていた。僕にとってふたりと酒を飲む時間もまた、ほんとうに楽しく、同時に救いになる時間だった。

卒業以来、飲めてませんが、またご一緒できることを祈念しております。





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