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生活に寄り添うサウンドトラック/LIVE TOUR 2023「記憶の図書館」@東京ガーデンシアター公演

バリバリのお正月三が日──2024年1月2日に坂本真綾さんの「LIVE TOUR 2023『記憶の図書館』」@東京ガーデンシアター公演に参加してきた。本来は2023年6月に行われるはずだったが、坂本真綾の喉の不調により延期となったライブの振り替え公演ということになる。

僕自身は坂本真綾に関してはライトファンで、サブスクで音源をちょこちょこ聴いてるくらいの距離感だ。はじめて参加したライブは友人に誘われた「LIVE 2022 "un_mute"」の東京公演。要はついこの前である。

そのときのライブがほんとうにもう、ぶっ飛ぶくらいに素晴らしく、今回もファンクラブに入っているおなじ友人のご相伴に預かった形である。

(「"un_mute"」公演の感想記事はこちら)

ということでライブ当日、年明けの挨拶もそこそこに連番者3人で会場入り。席についてまず驚いた。めちゃくちゃ観やすい~!!

東京ガーデンシアターは今回はじめて訪れたハコで、僕たちは「バルコニー1」というゲッターロボみたいな名前のエリアの座席だった。要はほか会場でいうところのスタンド席なのだが、その中でも「最右翼」と呼びたくなるほど大きくステージ側にせり出したブロック──その前のほうの席で、体感的にかなり近く感じる場所だった。

そこで浴びる坂本真綾の歌声は「浄化魔法」としか言いようがないほど美しく、2023年から持ち越してきた泥や汚れがすべて洗い流されるような気分だった。

個人的には『記憶の図書館』に収録されている坂本真綾の新たな傑作バラード「タイムトラベラー」を聴けたことはもちろんのこと、稀代のポップアンセム「マジックナンバー」のイントロがかかった瞬間に、全身の毛穴という毛穴から血が噴き出して死ぬかと思った。いい曲すぎる。イントロのジャジャジャ!ってところ(伝われ)、みんなでクラップするの流石に楽しすぎんだろ。

ほかには、「若葉」の穏やかな歌唱ゆえに歌詞が信じられないくらい突き刺さってくることなど、語りたい楽曲・パフォーマンスは無数にある。そのあたりはファンの方々が語っていると思うので、そちらをおのおのご参照いただければ幸いだ。

ということで以下、ライブを受けて得た個人的な感慨を語りたいと思う。というのも、個人的には坂本真綾のMCがいまの自分のテンションというか──昨年を通して考えつづけていたことと共鳴するものがあり、たいへん印象深かったのだ。

とはいえ、ここで注意しておきたいのが、いまから書くテキストは実際のMC内容のメモをもとにしたものではなく、あくまで坂本真綾の語りを聞いて僕が抱いた雑駁な印象でしかないということだ。そんなことひと言もいってなかったらマジでごめん。ということで、以下の文章はすべて僕の妄想の可能性もある。

さて。

なんというか、坂本真綾は短いMCのなかでも全体的に「ファンの生活に寄り添うこと」を重要視しているように感じた。たとえば今日のライブが今年1年の支えになれるように──みたいなことを何度も言っていた……気がする。

たとえば、坂本真綾が「おまけ」と称したラスト1曲を除いた本編最終曲「ポケットを空にして」でも、以下のライブ音源バージョンのように”日常”あるいは”生活”へと向かっていくファンのために言葉を残していた。

ちょうど、こんなふうに──。

「ツアーは終わります。旅は終わります。でも明日からまた”日常”という新しい旅に向かってみんなで頑張っていきましょう」

「ポケットを空にして 2015-2016 Live Ver.」より

僕はそういう坂本真綾のスタンスに強い感銘を受けたのだ。
なんといえばいいのだろう。ここがテキストの本丸のはずだが、どうにも上手く説明できそうにない。しかし、その感動を自分のためにもう少し深く掘り下げておきたい。

……………………。

ええっと、たとえば、演者を応援すること自体を自己目的化するファンのありかたがある。「推しを支えることが人生の目的!」みたいな。

そういう生き方はそれはそれで尊いと思うのだが、個人的には、誰かを推すことは「自分の生活の支え」のためであって、あくまで人生の主軸は「自分がなにをするのか」に置きたいと僕はつねづね思っている。強調しておくが、僕はそう思っているという話だ。君の話はしていない。

自分が自分の人生においてやるべきこと、やりたいことをするための心の栄養──あるいは潤滑油として、推しに力をもらっているというか。僕は水樹奈々のことが大好きでライブにも足繁く通っているが、それは極端な言い方をすれば自分の人生を前に進めるために助けてもらっているのに過ぎない。

傲慢に響くかもしれないが、「まず自分ありき」なのだ。だから、たとえば観客動員だったり売り上げ枚数だったり、本来は提供者が考えておけばいいことをオタク側の”目標”として設定するような昨今のアイドル運営のあり方は好きにはなれない。それは君らの目標であって、僕の目標ではない。その目標にコンテンツ受容者を当事者として巻き込むことは、一種の詐術なような気がしてならない。

もちろん、それはそれとして推しが掲げる”夢”や”目標”は応援したいし、実際に叶えているのを見るとうれしくなる。水樹奈々が「紅白歌合戦出場」や「東京ドームライブ」を夢として語り、それを実現してきたように──。

なんだか議論が袋小路に入ってきた。
とにかく、だ。

僕個人としては、いわゆる「推しごと」自体が人生の目的やゴールになる生き方を選び取らないようにしている。なぜならそれは推しの人生であって僕の人生ではないから

たとえば2023年の夏、僕は水樹奈々のライブツアー12公演すべてに参加(いわゆる全通)したわけだが、ふつうにやれば、それはライブが生活の中心になることを意味する。なんせほぼ毎週末、都内から地方にライブ遠征に出向く必要があるから。

必然的に「推しごと」が人生の中心になることは避けられないのかもしれないが、それは自分の流儀が許さないし、水樹奈々本人が幾度も発している「夢は叶う」「夢を追うことの尊さ」というメッセージを裏切るような気がした。

だからこそ、僕は僕の人生の主軸である「小説の執筆」のペースだけは絶対に落とさないことを決めた。なぜなら、小説家になることは僕の”夢”だから。水樹奈々を追いかけることによって、夢を追いかけることがおろそかになるのは、なによりの本末転倒だと思うから。なによりきっと、推しが悲しむ。

話が長くなった。
そういうことを2023年考えつづけたからこそ、坂本真綾の語る言葉がめちゃくちゃに響いたのだ。どういえばいいのだろう。彼女は「自分の音楽をファンの生活に寄り添うサウンドトラックにしようとしている」と感じたのだ。実際の本人の意図はともかくとして(なんせ記憶で書いている)、そういうところがステキで、なんてファン想いなのだろうかと強く感動した。

ということで、ライトファンとして(勝手に)メッセージを受け取った僕は、去年からの葛藤や悩みなどが詰まった「ポケットを空にして」、人生という新たな””に出ようと思うのだ。

いやあ、素晴らしかったな~。

(終わり)

(ほか坂本真綾さんについてのnote)


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ななし
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