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キナリ杯に参加しようと思った、ほんとうのこと

文章にも「旬」ってあると思うんです。
書くのが遅い私はよくその旬を逃しちゃうんだけど。

喉元過ぎればなんとやら…で、私はやがて痛みを忘れてしまう。
そうして始めからなかったことかのようにしてしまう。それじゃ嫌だから。

「これは今、今じゃなきゃ書けない」
そんなことを今からゆっくり勢いで書きます。
よって支離滅裂、乱文、長文、ご容赦ください。


今週末は本当は他に書きたいことがあったはずなのだけど、岸田奈美さんのマガジンを読んでいたら想いが蠢いて爆発しそうなのです。

キナリ杯をはじめようと思った、ほんとうのこと

(※相変わらずnoteやTwitterの埋め込みが何度やってもできなくて… 悔しいけれどリンクのみで失礼いたします)


そもそも「キナリ杯」ってなに?

という方はこちらを。

【賞金100万円&50賞】岸田奈美のキナリ杯!おもしろい文章が読みたい

要するに、政府からの特別給付金10万円を賞金に掲げて、岸田奈美さんが岸田奈美さんのために開催された文章のコンテスト。
書き手と読み手が集う文章フェスです(と私は解釈しています)
賞金の10万円は多方面からの応援により100万円にまで膨れ上がり、受賞者数も50名を超えるなど、大きなお祭りとなったこの企画。

結果発表がまたおもしろく、まるで本当に音楽のフェスのようにタイムテーブルが組まれ、1時間ごとに少しずつ受賞者を発表していくという、ワクワク感のあるものでした。
受賞者ひとりひとり、受賞作ひとつひとつへの岸田さんの愛のある講評もとても読み応えがありました。
もちろん、受賞された方々の作品も。

そして、お祭りのあとにひっそりと(?)公開されたのが『キナリ杯をはじめようと思った、ほんとうのこと』というnote。

有料記事なのですが、途中までは無料でも読めます。
その範囲だけでもかなりアツい想いがこみあげるので、ぜひ読んでほしいな。
特に文章を書くひとや、悩みもがきながらも何かをつづけている人たちに。

ちなみに私は購入して全文読みました。
noteではじめて有料記事の購入。それを岸田さんのこの記事に捧げられたことをこの先も大事に抱えていくと思います。


だけど、おもしろい文章なんて書かなくてもいいんです。
それは大半の人にとって、生きていくために必要がないことだからです。
書くことがつらくない人、書かなければ生きていけない人だけ、書いたらいい。
おもしろい文章を書くことで「他人から認められ、自分を満たしたい」「おもしろい自分になりたい」って、そんな風に思う人ほど、こんなにも苦しいことはしない方がいいです。
おもしろい文章を書くというのは、途方もなくしんどいことです。書くのもしんどいのに、読まれなかったらもっとしんどいです。
(キナリ杯をはじめようと思った、ほんとうのこと 無料範囲より引用)


岸田さんの言葉は、私にとってタイムリーなものでした。

キナリ杯の翌日、私はTwitterでこんなことを呟いていたのです。

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そして

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そうなのです。
文章を書くのは、途方もなくしんどい。

キナリ杯結果発表の日、わたしの心はずっとそわそわしっぱなしでした。

最初は純粋にワクワクしていられたのが、発表が後半にいくにつれてうまく呼吸ができない感覚に陥って。
もうムリ… 無理むりむり… って
結果を見るのが怖くなって。

すべての受賞発表が終わったあと、リアルにしばらく動けませんでした。

私が疲れて横になるのはよくある光景なので夫は特になにも触れず(キナリ杯のことも私が応募していることも知らないだろうし)ほっといてくれて助かりました。
生理中だし体調わるいんだろうなぁ、くらいに思ってたと思います(実際生理中でしたが)

翌日、新たに書きたいことが浮かんでワクワクして元気になったかと思いきや、夕方になると気持ちが沈んで、また動けなくなって。

お風呂を沸かしたのに、いつの間にか寝てしまっていました。
起きたら20時とかで。
そこから慌てて子どもたちとお風呂、ごはん…
なにやってんだお母さん。
しっかりしてよお母さん。
(私が寝ている間子どもたちの相手をしてくださっていたお義母さん、ごめんなさい。ありがとうございます)

ほんと、自分でも引くくらい引きずっていました。

それでもなんとか日々をこなして、待ちに待った週末。
文章書くぞー!と思っていたところに、岸田さんのマガジンを読んで。

もう大丈夫と言い聞かせたズタズタの傷痕に塩をお見舞いされたのち、じわじわとその傷が治癒していくような感覚になったのです。


私が岸田さんのことを知ったのは、noteの企画「#こんな社会だったらいいな」に応募されていたこちらの作品が最初でした。

弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった


「#こんな社会だったらいいな」には私も応募していて(と言っても過去記事にタグを付けての、締め切り当日の滑り込みセーフですが)
他の方の応募作を読んでいく中で岸田さんの作品も読んで、「スキ」だなぁと思ったのを覚えています。

その後の結果発表で岸田さんが受賞されていて、わ〜!確かにすごく良かったもんなぁ〜 と他人ながら喜ばしく思っていました。

Twitterのフォロワーさんで岸田さんや岸田さんのお母様のことをフォローしている人がいて、その後もタイムラインで岸田さんを見かけたり、フォロワーさんとの間で話題になったりもしていました。

でも、私自身は岸田さんのnoteもTwitterもフォローしていなかったんですよね。
だから、「キナリ杯」のことを知ったのは締め切りの10日前とかそんなだったと思います。

いまnoteで開催中の企画「#ゆたかさって何だろう」の審査員を岸田さんがされていて。
わ〜!岸田さんだ〜 と思いながらTwitterを覗いてみたら、固定ツイートにてキナリ杯を知る。

あの日の私は一通の請求書に震え上がって、絶望に苛まれていました。
そんな眠れない夜にキナリ杯のことを知って
「なんておもしろそうな企画!」
と、心に光がぱぁぁぁっと差したのを覚えています。

それで、書き上げたのが「文章 と わたし」

「おもしろい文章」なんて言われるとハードル高く感じてしまいますが、「おもしろい」にもイロイロあるはずだし(実際、受賞作のおもしろさもバラエティに富んでると思う)
自分が書きたいことを書いてとりあえず参加したかった。
参加することに意義がある、みたいな。

これはもともと「◯◯ と わたし」というシリーズもので、自分を支え形作るもののルーツを探るための自分のための記録のようなもの。

冒頭にゴールデンウィークの話が出てくるので、本当はゴールデンウィークに書き上げて投稿するつもりだったのですが、他に書きたいことが急遽にぐわーっと追い上げていってそのまま放置されていたので、キナリ杯を機に書き上げることができてよかったなぁと思っています。

でも、「文章 と わたし」をキナリ杯の応募作にしようと思ったのにはそれなりの理由もあります。

もともと書こうとしていたから、とか
書きかけの文章なら今からでも締め切りに間に合う、とか… 単純にそれだけではなくて、もっと明確な意思があってのことでした。

“岸田さんに、読んでほしい”

それこそが「文章 と わたし」をキナリ杯に託した理由でした。

キナリ杯の募集要項を読んで、岸田さんの「文章」に対する想いに胸を打たれたから。

文章と文章を書く人を愛する岸田さんに、
同じく文章と文章を書く人を愛する人間の端くれとして、声を届けたかった。
そんな、またとないチャンスだったから。

書くからには、岸田さんに届いた、読んでいただけた… という手応えがほしかった。

岸田さんは「#キナリ杯」のタグがついた作品をすべて読んでいて、読んだ証として「スキ」をつけていたそうです。
でも、締め切り間近になって応募者数が一気に増加すると、noteで1日に「スキ」を押せる上限を超えてしまい「スキ」を押せなくなってしまった。
でも全部読んでいます!と岸田さんはTwitterでも発信していました。

こればかりは仕方がないことで、誰がわるいわけでもない話です。
私が投稿したのは締め切りの前日5/30の夜だったため、岸田さんからの「スキ」はついていません。
タグのつけ忘れやつけ間違いなどのミスがない限りは、すべて読んでいます!という岸田さんの言葉を信頼して結果発表を待つしかありません。

「スキ」が機能しないとなると、岸田さんに読んでいただけたという手応えを得る方法はただひとつ。受賞する、それしかありませんでした。

でも、受賞はできなかったので 「手応え」は感じられないまま、心にぽっかりと穴が空いたかのような空虚さが残ることになりました。

岸田さんの「すべて読んでいます」という言葉は本当だと思います。
でも、例えばこちら側のミスやなんらかのアクシデントで見落とされていたらどうしよう… そんな不安が頭をもたげたりもしました。

叶うなら受賞して、岸田さんの愛とリスペクトに溢れる講評を受け取りたかった。
でも、私の文章ではダメでした。
受賞された方々の作品を読めばそれがまざまざと分かってしまうほど、納得の結果でした。


受賞したかった理由はもうひとつ。

受賞して、岸田さんの拡散力をもって拡散されれば、もう一度多くの人に文章を読んでもらえる機会になるから。

結果発表時点での、私のnoteについた「スキ」の数は26くらいだったと思います。
(読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます)

あの記事自体は、やたら長い上に本当に私のための私の記録なので、それを広く読んでいただいたところで何がどうなるっていう感じなのですが…

少しだけ、希望を託していました。

あの記事の中で触れた人たち、私が応援する人たちのことを。
その人たちのことを知ってもらえる機会を、あの記事とキナリ杯に託していました。

こんなこと余計なお世話かもしれない。
差し出がましい、いらんことすな、ほっといてくれよと思われるかもしれない。

最近気付いたんですけど、自分を支えてくれた人や衝撃を与えてくれた人に対して、応援したいって気持ちがめちゃくちゃ強いみたいです、私。
成功してほしい、しあわせになってほしい って心から思います。ただの自己満足ですけど。

自分のことより他人のことを知ってほしいなんて、別にイイ子ちゃんな訳ではありません。
他人のしあわせや成功をよろこべるなんて、心が綺麗なんですね。なんて、そんな尊い類でもごじゃりません。
本当に、ただの自己満足。

あんまりそういうのを前面に出して鬱陶しがられるのは嫌なので、普段は離れたところからそっと応援するくらいしかできません。

私にはたいして拡散力がないので、私が声を大にしたところで、届く範囲はそれほど大きくありません。

でも、岸田さんの拡散力をお借りすれば… もしかしたら…

他人も巻き込んでハッピーになれたら最高じゃんって。思っていました。
あくまで私ひとりの妄想なので、相手からしたらいい迷惑かもしれないけれど…。

でも、そんな希望も心配もあっけなく散りました。


ところで「私には拡散力がない」って言ってから何気なく自分のnoteのフォロワー数を確認してびっくり。
いつの間にか、230人にもなっていました。
通知が来るたびにその人のnoteにおじゃましたりしていたはずなのですが、こんなにまでなっているとは思わなくて。
本当に、いつの間に…

7年書き続けているブログよりも、Twitterよりも遥かに多いフォロワー数です。

なぜびっくりしたのかというと、いつもnoteを投稿したときにつく「スキ」の数は1桁〜2桁、20もいくかどうかというくらいだから。

だいたい、いつも「スキ」してくださったりコメントをくださったりする方々は同じです。
あとは、最新記事や検索から読んでくださったであろう方など。

230人のフォロワーさんのうち、実際にどれくらいの方に読んでいただけているのかは分からないけれど、フォローしていただいてありがとうございます。
この場を借りてお礼を伝えさせてください。


話を、戻します。


書くのもしんどいのに、読まれなかっならもっとしんどいです
(キナリ杯をはじめようと思った、ほんとうのこと 無料範囲より引用)


書くだけでもつらい。
読まれなければもっとつらい。

本当に、その通りです。

音楽文だってそうです。
音楽文にもnoteの「スキ」のようなハートマークがつくシステムがあります。
音楽文公式Twitterでの「いいね」や「リツイート」の総合数だとかなんとか。

私が書く音楽文につくハートの数は、いつもだいい50もいかないくらい。
いやもっと少ないことの方が多いかな。
何百も何千ものハートがついている音楽文を見かけるたび、すごいなぁ… と思っていました。
きっとそんな人たちが受賞するんだろうなぁと思っていました。

だからこそ、amazarashiの音楽文で受賞したときは信じられなかったし嬉しかった。
「ハート」の数にも拡散力にも関係なく、純粋に私の文章を評価していただけたのだと。
でも、「評価」と「どれだけの人に読んでもらえたか」にはまた別の手応えがあります。

ハートやいいねやスキの数がすべてではないことは十分に分かっているつもり。
それでも、誰かに読んでもらえた・届いているかもしれないという「手応え」を感じるのに、あのハートマークたちはとても重要で残酷な役割をもっていると思うのです。

壁の向こうから、誰かの声が聴こえるのを期待している自分がいる。
私はずっと、「手応え」がほしくて書いているのかもしれないな。
自分のためでもあるけれど、それをこうやって不特定多数の目につく場所で公開するのは、「手応え」がほしいからに他ならないのでは。そんなことをぼんやりと考えました。


「共感した」「救われた」というのは、読み手が勝手に解釈して決めることであって、それを書き手側がコントロールすることなんて、絶対にできない。
(キナリ杯をはじめようと思った、ほんとうのこと 無料範囲より引用)


これは昔ブログでも語ったことがあり、noteでも「◯◯ と わたし」シリーズでいつか書く予定の「音楽 と わたし」で綴ろうと思っていることなのですが、
私がかつて「歌」という表現方法を手に取ったのは、歌がとてもずるいからです。

昔、大好きな友だちがよく「死にたい」と口にしていました。
また別の友だちは、「しあわせになりたい」が口癖でした。

私はその子たちに直接何かを言ってあげることはできませんでした。

そうして数年後、言いたかったこと言えなかったことを歌にしたのです。
その歌はその子たちが直接聴くことはなかったけれど、別の誰かが私の歌で「励まされた」「元気がでた」と言ってくれました。

そうなんです。
直接伝えられなくても歌にして、不特定の人たちに歌えば、それを誰かが「自分のこと」として受け取ってくれるかもしれない。
その結果、「元気になった」り「励まされた」りする人がいるかもしれない。
それによって、結局は「私が」救われているのです。
直接伝える勇気のない私にとって、受け手にすべてを委ねるかのような、歌がもつズルさは魅力的だったのです。

昔、母に言われてずっと忘れられない言葉があります。

「手紙ってズルいよね」

面と向かって話すのが苦手でよく手紙という手段を頼っていた私にはグッサリと突き刺さりました。

手紙は、まず一方的にこちらの気持ちを伝えることになるから、ズルいのだと。確かにそうかもしれぬ。

もちろん「返事」という形で相手の想いを聞くことはできるかもしれないけれど。
それでも、タイムラグが発生する分、面と向かって話すよりはズルいコミュニケーション手段かもしれません。

私は面と向かって話すということから逃げて逃げて逃げて、文章や歌という表現方法を頼りきっていました。

私が文章を書くのは、やっぱり自分のため。
でもそれを公開することで、あわよくば誰かが何か受けとってくれたらうれしいなぁ、という。
そんなずるい人間なのです。


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なんでもそうだと思いますが、何かをつづけることって とてもしんどい。

文章から話が逸れますが、私が音楽をやめたのは(と言い切ってしまうことにまだ躊躇いはあるものの)、つづけることが辛かったから。

妊娠出産結婚という、自分の人生には関係ないと思っていたイレギュラーに適応することで精一杯で、そこに集中したいのに、夫はそれでも私を音楽に繋ぎとめようとしました。

ただでさえ仕事と育児で眠い中、夜遅くまで練習させられて、怒られて。
「音楽を頑張っている君が好きだったのに」って、
あなたが私から音楽を奪ったくせに、なんていうドス黒い感情までも滲んできて。
そうやって人のせいにしてる、そんな自分も心底嫌でした。

まだ1歳そこそこの赤ん坊を抱えて、ギターを背負って、夜の電車に揺られることも。
ライブハウスという環境に、まだか弱い赤ん坊を巻き込むことも。
ライブが終わったあとの深い夜の街を、赤ん坊を連れて歩くことも。
とてもいやだった。
なんで、今。今じゃなくてもいいのに、とずっと思っていました。

こんなことを書くのは本当は気が引ける。
もしかしたら私のことを、私の作る曲のことを「好きです」ってずっと言いつづけてくれている方もこの文章を読むかもしれないのだから。
その人は、私が赤ん坊を抱っこしながら歌う姿を見て心を動かされたと言っていたのだから。
まさかこんな気持ちでいたなんて、知りたくないですよね。
ずっと言わないでいたのですが… もしここを読んでくださっていたらごめんなさい。

私が音楽をやめたあともずっと「あの曲が好き」「ひとちゃんの声が好き」って言いつづけてくれる存在に何度救われたか分かりません。

たった1人でも2人でも、そう言ってくれる人がいるだけで、その人のためにもう一度ステージで歌えたらなって。そう思うくらいには私のこころの支えになっている人。
いつかもう一度音楽をやってみる理由になり得る人。

本当に、感謝しています。


ライブが終わると、すぐに「次はいつ出るの?」とオーナーさんに声をかけていただく。
ぜんぜんお客さんを集められないような私たちでも。
とても有難いことです。
ありがたいことなのに、私はそれがとてもプレッシャーでした。

終わらない、努力しつづけなければならない。
また、あの苦しい練習を耐えなければならない。

私にもプライド?はあるので、もっといいライブをしたかったし、1人でも2人でも聴いてくれる人がいるのなら、ステージに立ちたかった。

でも、あの時は本当に心身ボロボロで、こんな状態でステージに立つくらいなら、やらない方がマシだとさえ思っていました。

そしてとうとう、すでに決まっていたライブへの出演を金銭的な事情でキャンセルするという、ライブハウスにもライブを楽しみにしてくれていた人にも最悪な形で私は音楽をやめました。
なのに、辞められたことにホッとしている自分もいて、そんな自分にまた嫌気がさしました。


文章もそうです。
書いているとき、とても楽しい。でも、苦しい。
そうしてやっとで完成した文章。

ふー、おわったおわった。ちょっと休けーい。

なんて言ってる間もなく、次に書きたいことが生まれてくる。
そしてまた、楽しくてつらい時間を繰り返す。

文章を書く「苦しさ」の面を、今回のキナリ杯を終えてより一層近くに感じました。
勝ち負けじゃないことは分かっているつもりでも、やっぱり「選ばれた」「選ばれなかった」をダイレクトに感じてしまったから。

いや、私の場合べつに仕事でやってるわけじゃないんだし、そんなにツライならやめたらいいじゃん って話ですよね。

実はキナリ杯に投稿する数日前、実際に言われちゃったんです「(文章書くの)やめちまえよ」って。夫に。

でも、やめたくないと思ってしまった。

最近ふと思うんです。
私はこんなに文章にのめり込んでいるけれど、一体なにを目指してるんだろう、と。

小説家になりたいのか?って言われると
え?うーん… って感じだし

ライターになりたいのか?って言われると
え?うーん… って感じだし

でも、文章書いてお金になればいいなとは思う。
なんじゃそりゃ。

私は本当に一体なにを目指してるんだろう。
そもそも何か目指してる…のか?


こんなに溢れきっている「文章」という世界で、
少なくとも何度か「賞」をいただいたり、認めてもらえる瞬間があったり、奇跡的な出来事が起こったりしている私は恵まれていると思います。
まったく擦りもしないよという人から見れば、羨ましいかもしれません。
でも、ちょっと期待してしまう分、かえってしんどいこともあったりします。

こんなにしんどくても書くことを続けられてしまうのは、私にもきっとあるんだと思います。
岸田さんにとっての「それ」のように。

イトウ先生が植え付けてくれた自尊心が
母親にもらった自尊心が

実家のように安心できる場所であるブログと、そこにいる人たちの存在。
「マシュマロメンタル」はじめ、私に贈られた言葉の数々。

「ゆっくりでいいからね」「人と比べなくていいからね」という恩師の言葉。

そういうひとつひとつが、ずっと私を支えている。

それを、無駄にしちゃいけないような気がしました。
こんなに大切なものをたくさん持っている私は、ここで折れてちゃいけないような気がしました。

キナリ杯を経て、そして『キナリ杯をはじめようと思った、ほんとうのこと』を読んで、
もう文章を書くのはやめようと思った人もいれば、これからも書き続けようと決意を新たにした人もいると思います。

私はやっぱり、これからも文章を書いていくだろうなと思いました。
その先でいつか… そんな期待も抱きながら。

…「やめちまえ」と言われない程度に、ね。


「キナリ杯楽しかったなぁ〜!」
今なら、晴れ晴れした気持ちでそう言える。

キナリ杯に応募された作品の数々を、私も少しずつ読んでいます。
素晴らしい文章がたくさんで、本当に胸がいっぱいになる。しあわせです。

受賞者の皆さま、本当におめでとうございます。
受賞に至らなかった方々の作品もいくつか読んでいますが、まだまだこんなに素晴らしい文章に出会えるのかと感動しっぱなしです。

いろんな感情もきっと、「挑戦」したからこそで。
私の中ではもう、それだけでみんな「優勝です」って言いたいです。ただの一般人が勝手にすみません。

そして、こんな素敵な企画を開いてくださった岸田奈美さん。
お疲れさまでした。
ありがとうございました。
なんかもうホント、文章界のアスリートだなぁって、ここ数日の岸田さんの様子を見ながらずっと思っていました。
そして今もなお止まることなく走りつづけている。すごい。

それにしてもこの文章の中で一体何回「岸田さん」って書いたんだろうか私は。
数えたくない。だってぜったい不気味な数になるもん。

キナリ杯に来年も応募するかはまだ分かりません。
でも、間違いなく文章は書きつづけると思う。
自分のために。自分が書きたいことを。

その先で出会える奇跡みたいな出来事に、まだまだ出会ってみたいから。


キナリ杯は終わりましたが、「キナリ杯後夜祭」がまだまだ続いています。

私も私が「スキ」だと思ったお気に入りの作品たちを近々Twitterで推しまくる予定です。

タグ付け忘れるなよ〜
14日までの期限守れよ〜〜

(私はよく「うっかり」してやらかすので、自分のための念押しです)


文章に情熱をかけるすべての人に
そしてこの文章を読んでくださったあなたに
何かちょっといいことが起こりますように。

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