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生きるちからを借りたから
今から9年ほど前の話。
ブログに「いいね」が届いた。
この頃よくお見かけするアイコンと名前。
その人から「いいね」が届くたび、それをたどって私もその人のブログを読んで「いいね」を押す。
「いいね」のやりとりのみで、言葉を交わしたことはない。そんな、距離感探りさぐりの関係がつづいていた。
話したことはなくても、ブログの文面などからなんとなく人柄は伝わってくる。
内容からして、どうやら私と同じ音楽(アーティスト)が好きらしい。それで見つけて読んでくださったのかな、なんて考える。
ある日のブログに、私は花の写真を載せた。
お花屋さんで買ってきた花束の写真。
昔から植物をすぐに枯らしてしまうので、家に植物は置かないようにしていた。
特に切り花は枯れるのが早いから、いつか捨てなきゃいけないことを考えると買うのをためらってしまう。
お花は好きだけど、日常的に花を飾れるほどの金銭的余裕も、こまめにお世話をする心の余裕も自分にはないから、外で見かける草花にたまに癒されるだけで充分。そう思っていた。
そんな、あまり花を買う習慣のなかった私が月に一度だけ花を買うようになったのには理由がある。
その日は、買いたいお花があった。
「ヒペリカム」という花…… というよりは「実」なんだけれど。
お花屋さんで、赤くてぷっくりとした小さな実を見つけたときはうれしかった。
家に帰って、適当な瓶だったかコップだったかにヒペリカムを生けて、ぬいぐるみやお菓子を供えてある小さなスペースに手を合わせる。
その後、ブログに花の写真を載せるとともに少し弱音をこぼした。
当時の私は、悲しいことや苦しいこと、しんどいこと、いくつもの困難が立て続けに起こって心身ともに疲弊していたから。
ブログにすべては書けないとしても、少しでも気持ちをこぼせる場所が必要だった。
ブログを投稿して数日後、メッセージが届いた。
「Kさんのブログ見た?まだだったら、見てみて」
Kさんというのは、例の「いいね」だけのやりとりの方。教えてくれたのは、親しい相互フォローの方だった。
「いいね」のアイコンからたどって、Kさんのブログにおじゃましてみてハッとする。
お花の写真が載せてある。私がブログに載せたのと同じ花。おそろいの花。
ヒペリカムの花束の真ん中で、お互いの好きなアーティストのマスコットキャラクター的存在のねこちゃん(名をニコルという)が笑っている。
「応援したいひとがいる」
という言葉が添えられていた。
でも、コメントする勇気はないから、同じ花を買って応援の気持ちを届けたい、と。
ふと、ある曲のフレーズが浮かぶ。
あいつの痛みはあいつのもの 分けてもらう手段が解らない
だけど 力になりたがるこいつの痛みも こいつのもの
ブログには詳しいことは伏せて書いているから、Kさんは私の身に起こったことを知っているわけじゃない。
だけど、それでも、何かできることはないかなって心を痛めて、応援してるよって伝えたくて。
私のことを想って、花屋まで足を運んで、同じ花を買って、伝えようとしてくれたんだと……
画面の中の花束を抱きしめたくなるくらい、胸がいっぱいになった。
心を寄せてくれたことが、あたたかくって。
お礼の気持ちをこめて、お返事のようなブログを書いた。
ヒペリカムの花束の真ん中に「ありがとう」というメッセージを添えて。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/108378357/picture_pc_de92d38cca15b3870e16d7bf63185019.png?width=1200)
Kさんとのつながりは、今でもつづいている。
ずっとずっと、私のことを「応援」しつづけてくれている。
あの頃の私はよく空を見上げていた。
空をぼぉっと見上げては涙がにじんでしまうのだけど、でもそうすることで空と繋がれるような気がしたから。
あなたを乗せた飛行機が 私の行けない場所まで
せめて空は泣かないで 優しく晴れますように
当時の私にとって、この曲は“そういう唄”に聴こえていた。
あの日の空はくもりだったけれど、「あなたの行く先がどうか優しく晴れますように」と祈ることで、私の心もやさしく晴れる気がした。
そうやって少しずつ、時が過ぎていって。
いつからか、私は花を買うのをやめてしまった。
月にたった数百円の余裕すら保てなくて。
花を買わなくなって、気づけば大切な日の日付も思い出せなくなってしまった。
空に思いを馳せることも減っていった。
あの日の出来事を忘れるわけじゃないし、日記を読み返せば日付だってすぐに分かる。でも、開くのが怖かった。
あの日々から離れていく。それは当たり前のことのはずなのに、自分はなんて薄情なんだという罪悪感が燻りつづけた。
大丈夫だ
あの痛みは 忘れたって消えやしない
初めて聴いたときは、「逆なのでは?」と思った。
痛みが消えてしまっても、忘れたりはしない。じゃなくて?と。
でも、ある日ふと「そういうことか」と腑に落ちた。
「忘れてしまうこと」への罪悪感を、「大丈夫だ」と肯定してもらえるような。
忘れたって大丈夫だよ、消えやしないんだから。
そう言ってもらった気がした。
あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで
私はまだまだ、「そっち」へ行くわけにはいかないからね。
たまに空に思いも馳せつつ、地に足つけて歩いていかなきゃだから。
私は昔から、なんでもかんでも「憶えておきたい」ところがある。
うれしかったことや楽しかったことはもちろん、悲しかったことや苦しかったことまで。
だってどれか一つ欠けても、私じゃなかったはずだから。
だけど、どんなに忘れたくないと願っても忘れていってしまうことはある。だから、なるべく書いて残そうとする。
それでも、前に進むためには「忘れる」ことも必要で。それは薄情なわけじゃないのだと思う。
忘れたって大丈夫。あの痛みや、愛おしさが、消えてしまうわけじゃないのだから。ちゃんとまた思い出せるから。
そうやって、「忘れる」ことを少しずつ許せるようになっていった。
あれから9年。
つい最近、仕事帰りにお花屋さんでヒペリカムを見かけた。
特価で98円だったので、うれしくなって即購入した。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/108411176/picture_pc_ce1656d6fdf9d50ddf1141c19db0b159.jpg?width=1200)
ヒペリカムの花言葉は
「きらめき」「悲しみは長くつづかない」
ヒペリカムを見かけるたびに、Kさんとあのときのことを思い出してあたたかい気持ちになる。
Kさんだけじゃない。
私の中には、今まで出会ったたくさんの人がいる。たくさんの言葉がある。
たとえば、
私には帰る“実家”がない。だけどここ(ブログ)や、ここで出会った人たちは私にとって実家のような存在なんだ
というようなことを書いたときにもらった
「温かく迎えてくれる人がいるなら、そこがあなたの実家だよ」
というコメント。他にも、
贅沢や、他人からの嫉妬を極度に恐れて、いつも何かや誰かに遠慮しながら生きている自分。
ほしいものを買ったり、好きなものを食べたり、行きたい場所へ行ったりすることに後ろめたさを感じて、いつまでも今いる場所から抜け出せない自分。そんな私に、
「変わっていくことは、後ろめたいことじゃないよ。ひとちゃんはひとちゃんの毎日を楽しく過ごしてね」
と言ってくれた人。
他にもたくさん、私のしあわせや喜びを自分のことのように喜んでくれた人たち。
そんな、たくさんの出会いや言葉を私はなるべく憶えていたい。恩を返したい。
だから、いつかそんな出会いや言葉や想いを詰め込んで…… 物語にできたらと思っている。
生きる力を借りたから
生きているうちに返さなきゃ
「返さなきゃ」というよりは、循環させたいという気持ちに近いかもしれない。
私の大切な人たちの言葉が、私がいなくなったあとも別のだれかの中で生きつづけて、また別のだれかへ伝わって、循環していくみたいな。
そんな物語を、いつか完成させたい。
それが私にとっての、今世で成し遂げたいことのひとつ。
正直、大言壮語かなと思うし、今の私はとても「そのための努力」みたいなことが出来ていないのだけれど。
でも、言うだけなら自由だし、何よりこうやって誰かに見える形で言葉にしておいたら、どこかで誰かが一緒に思い描いてくれる…… かもしれない。
1人で思い描くより心づよいし、叶いそうな気がしてくるから。
久しぶりに今の(……と言っても書くのに何週間かかかっちゃったんだけど)気持ちを、記しておく。
【あとがき】
noteのみなさま、お久しぶりです。
最近は私生活の方がいろいろと立て込んでいまして。noteを書くことも、読むことも、あまり気持ちが向かずにいました。
私が更新しないでいる間にも、過去のnoteに「スキ」の通知が届いたり。フォローしてくださる人がいたり。
ありがとうございます、とここで言って届くのか分からないけれど、ありがとうございます。
今の私は、踏ん張るか、断ち切るか。あの日の延長線上にある今を、たたかっているところです。
つらいことがあったからといって、しんどいからといって、常に暗い表情で苦しそうでいる必要はないよねと思っていて。
どんなときでも、どんなことがあっても、楽しいときは楽しいって言って、笑いたいときは笑って、花や空を見てきれいだなと思ったり、好きな音楽を聴いて心が動いたりしていたいと思う。
どんな嵐の中でも、楽しかったことや、うれしかったこと、穏やかな気持ち、そういう日々のこともちゃんと残しておきたい。
そのための場所や方法はここ(note)以外にもいろいろあるけれど、ここも私にとって大切な場所のひとつだから、きっとまた書きに来ます。
みなさまも、どうぞご自愛してお過ごしくださいませ🍀
【おまけ】
私がヒペリカムを知ったのは、9年前。
BUMP OF CHICKENのチャマさんのこちらのツイートがきっかけでした。
テーブルにあった植物を藤原先輩がマイクロトマトと見間違えてました。トマト好きなんやな〜🍅 pic.twitter.com/32YmJ4hUWf
— CHAMA (@boc_chama) June 22, 2014
トマト大好き藤原さんがマイクロトマトと見間違えたこの植物が、おそらくヒペリカムで。
Kさんと繋がるきっかけとなったBUMP OF CHICKEN、そしてヒペリカムの不思議なご縁に感謝です。