メヤニーちゃんは朝に弱い
私「メヤニーちゃん出てるよ」
娘「え!どこー?」
これは、ある日のお風呂での娘との会話。
メヤニーちゃんを指ですくった娘は、すこし驚いてこう言った。
娘「メヤニーちゃん、今日はなんでこんな(白くて柔らかい)なの?」
私「メヤニーちゃんは元々こんなふうに柔らかくて、朝のは時間が経って乾燥してるからカピカピなんだよ」
娘「これが本当のメヤニーちゃんなんだね。
メヤニーちゃんは朝に弱いんだね」
🌤️
「メヤニーちゃん」というのは、「目やに」のこと。
私がそう呼んでいたら、娘もそう呼ぶようになった。なんなら、本当に「メヤニーちゃん」という名前だと思っているかもしれない。ほんとのこと教えた方がいいのかな。
娘は寝起きに自分のメヤニーちゃんを取るのが好き(?)なんだけれど、乾燥していないメヤニーちゃんに会うのは確かに今まであまりなかったかも。
それにしても、目やにが乾燥してカピカピになることを「朝に弱い」って表現するの面白いなぁ。
思わずふふふと笑ってしまった。
私は朝に強い方。血圧は低いのに。
何時に寝ても、休みの日でも、基本的に同じ時間に目が覚める。そして、起きてすぐ朝ごはんを食べられる。むしろ、食べないと無理。
娘はどちらかというと朝に弱い。ゆっくり寝ていたいタイプ。
朝に弱いといえば、吸血鬼。
正確には「陽の光に弱い」のだけれど。
娘との会話をきっかけに、私の脳内では吸血鬼に話が飛躍して、さらにとある曲へと思いを馳せた。
『蒼天のヴァンパイア』
つい1週間ほど前に知ったばかりの、ビッケブランカの曲。
知ったきっかけはライブ。そのライブはもともと、対バンのChilli beans.を観たくて応募して、ビッケさんの曲はほとんど知らなかった(結果的にめちゃくちゃ楽しかった!)
ライブ当日のことについては、最近書いたライブレポに詳しいので、ここでは簡潔に。
ライブで披露された6曲のうち、5曲は予習していた曲で。
残りの1曲は、知らない曲。つまり、ライブで聴いてはじめて知ったのが『蒼天のヴァンパイア』だった。
イントロから「あ、この曲好きだ!」という直感が脳を突き抜けて、EDMな曲調に心が解放されるようで。
ライブ当日はあまり歌詞を聴き取れていなかったので、ただただそこにある音楽に身を委ねて楽しんだ。
家に帰って曲名を知って、YouTubeやサブスクでも検索して、歌詞を見ながら聴いて……
ああ、そうか。
この曲はおそらく、特定の人間に「かけがえのない特別な思い」を抱いてしまったヴァンパイア(あるいはその比喩)の歌なんだ。と気付いた。
ライブレポの中で私はこの曲について
「飛び跳ねたくなるような高揚感の中にもどこか切ないバラード的な要素が感じられた」
と書いたのだけれど、あのとき感じた「切なさ」の正体が分かったような気がした。
歌詞(言葉)を知らなくてもそんなふうに伝わる音楽を作れるなんて、さすがは世界を飛びまわるビッケさん。
吸血鬼は、陽の光を浴びると溶けて消えてしまうと言われている。そんなヴァンパイアの境遇を思うと、この物語の結末は切ないものになるのかもしれない。
だけど、それでもいい。この身が溶けるとしても、日が登るまで隣で君のことを見つめていたい…… そんな、ヴァンパイアの思いの強さが伝わってくる。
まるで打ち上げ花火のような、刹那的な華やかさと切なさが同居した曲だなと思う。
それが、ライブでのあの凄まじい爆発力にもなっているのかも。
「ツクツク」というオノマトペも、切ない胸の痛みを絶妙に表現していて好きだな。
〈この機会にぜひ〉というフレーズも好き。
……ええと、なんの話だったっけ。
メヤニーちゃんだ。
朝に弱いメヤニーちゃんにも、もしかしたらそんな切ない物語があるのかもしれない。
「目やに」にも、人体にとって大切な役目があるわけで。
自分の役目をまっとうして、最後はカピカピの変わり果てた姿になったり、ティッシュで拭き取られてポイと捨てられてしまう。そう考えるとなかなか切ないな……?
役目といえば、BUMP OF CHICKENには「かさぶた」の一生を描いた『かさぶたぶたぶ』という曲もあったな、とまた話が飛躍したり。
あの曲もかわいいけれど、少し切ない。
誰しも、生きてくうえでちょっと厄介な「弱み」の一つや二つや三つ、きっと持っていて。
でも、そんな「弱み」にも役目はあるのだと思う。
たとえば「弱み」が憧れに立ち向かうとき、自分でも信じられないような強い思い(力)を生み出すことだってあるかもしれない。
……と、なんだか話があっちこっち行って終わり方が迷子になってしまったので、無理矢理まとめた風にして終わります。
『蒼天のヴァンパイア』
とてもいい曲なので、〈この機会にぜひ〉聴いてみてくださいね。