それはきっと世界が変わるほどの
好きだと思える音楽に出会ったとき、自分の世界のどこかがひらいたような気持ちになる。
音楽との出会い方はさまざま。
家族や友だちが聴いていたから、テレビで観たから、誰かがオススメしていたから、街やお店で流れていて気になったから……。
CDショップでなんとなくジャケ写が気になって買ってみたとか、フェスや対バン形式のライブでたまたま聴いて好きになったとか、サブスクでたまたま流れてきてグッと心を掴まれたとか。
あとはそうですね、猫ちゃんをきっかけに聴きはじめる音楽もあるのだと最近知ったところ。
好きな曲ベストスリーは?と訊かれたら、たくさんありすぎて選べないくらいの素晴らしい音楽に今まで出会ってきたし、きっとこれからも……
今回はその中から、「誰か」をきっかけにではなく「自分から出会って好きになった曲」に限定して、その曲やアーティストとの出会いのエピソードも交えながら「好き!」を思いっきり語ろうと思う。
SEVENTH HEAVEN(Perfume)
この曲に出会ったきっかけは、車で流れていたラジオだった。
私は18歳。旅立ちの日。これから真新しい土地での一人暮らしが始まる。
父が運転する車に乗って「これから暮らす街」へ向かう道中、聴くともなく聴いていたはずのラジオから流れていた音楽の中で、なぜかこの曲だけが耳に残っていた。
特徴的な声の女性ボーカルで、同じフレーズを繰り返し歌っていたから印象に残ったのだろうか。
曲名も、歌手名も聞き逃してしまったから特に気に留めていないはずだったのだけど……
数年後にたまたまこの曲に再会したとき、「あのときの曲だ!」ってすぐにピンときたのだから不思議。
曲名は、『SEVENTH SEAVEN』
アーティスト名は、Perfume
Perfume……って言ったら、『ポリリズム』とか『チョコレイト・ディスコ』を歌っている有名なグループじゃないか。
どれだけ キミのこと 想い続けたら
やわらかい 言葉じゃなくて キミに届く
もしもね この願いがちゃんと叶うなら
はじけて 消えてもいいよ ってどんだけ
SEVENTH HEAVEN
(SEVENTH HEAVEN/Perfume)
『SEVENTH HEAVEN』は、2007年にリリースされた『ポリリズム』のカップリング曲。
歌詞には同年の流行語である「どんだけ」が取り入れられたことでも有名(?)
もしかすると、そこにはPerfumeの「流行」を願う中田ヤスタカさん(作詞作曲者)の思いが込められていたり……するのかもしれない。
実際、彼女たちはその年にブレイクを果たし、今もトップアーティストとして走り続けている。
3人の長い下積み時代や苦楽の背景を知るリスナーにとっても、『SEVENTH HEAVEN』は大切な曲のひとつだろう。
この曲はとにかく出だしから美しくて、ピアノとアコースティックギターが織りなす旋律が印象的。
甘くて可愛らしい歌詞なのに、どこか切ない。けどあったかい。
キラキラしているのに、今にも消えてしまいそうな儚さも同居していて、なんとも言えない気持ちが込み上げる。
聴くたびに好きが増して、少しずつ大切になっていった曲。
そして、振り付けが本当にかわいい!
(紹介できる公式動画がなくて残念)
MIKIKO先生(Perfumeの振付師)の振り付けは歌詞や音と連動した動きが多いのが特徴で、私はそんなところが好きなんだけれど、
『SEVENTH HEAVEN』では〈とろけて〉で身体を上下に揺らしてとろけてる感じを表現したり、〈消えてもいいよ〉で顔を手で覆い隠したり、他にも〈斜め上〉を指差す、〈おでこを撫でる〉仕草などなど、とにかく可愛らしくて見飽きることがない。
間奏で3人が向かい合って笑顔でステップするところなんて、妖精かな?って思ってしまうほど。
私にとってPerfumeは「憧れのお姉さん」的存在でもあって。
特に産後、好きだった物事にも興味が薄れてちょっと心身ともに危険信号なんじゃないか…… と思っていた時期にPerfumeの歌とダンスに救われていた。
「まだこんなに感動して、何かに夢中になれる自分がいる」という、その事実にホッとして。
Perfumeが私を音楽に繋ぎとめておいてくれたから、今もこうしていろんな音楽に出会えたし、好きを語ることができている。
そんなPerfumeのライブに、去年の2月念願叶って、いろんな偶然が重なって行くことができた。
行くかどうするか、諦めるべきかの瀬戸際で家族に背中を押されて京セラドームへ夢中で駆け出したあの日、ライブ会場でこの曲を聴けて本当にうれしかった。
人間失格(GOMESS)
GOMESS(ゴメス)さんを知ったのは、息子が以前通っていた療育園で配布された冊子がきっかけだった。
『自閉症と音楽』と題された特集の中でGOMESSさん(以下、敬称略)はラッパーとして紹介されていて、インタビューの内容と掲載されていた『人間失格』の歌詞に興味を持ったのが最初だった。
彼の本名である「森翔平」の「翔平」名義で投稿されているこちらは、18歳のGOMESSが歌う『人間失格』
普通じゃねえって並外れてる
人が呼んでる障害者のクズです
バカにしてる カモにしてる
あいつはアタマがイカレテル
My name is GOMESS 人間じゃねえ
孤独の世界からいつも見てる
笑って(泣いて)怒って(泣いて)
人に紛れてもう18年
(人間失格/GOMESS)
『人間失格』は、GOMESSが「自分がやけに人と違うな」と感じていた頃に医師から「自閉症」という診断が下されて、その際の心境を赤裸々に歌った曲。
初めて聴いたとき、私がそれまで抱いていた「ラップ」のイメージと違っていたので驚いた。
言葉が、心に真正面からぶつかってくる。そんな音楽。
動画の中のGOMESSはそのまま消えてしまうんじゃないかというくらい儚げでありながら、時折不敵に笑ってみせる。
帽子のつばの下から覗く眼光は鋭く、こちらを見透かしているようにも見える。
身振り手振り、全身全霊で伝えようとするその姿は鮮烈で、気付けば3分とちょっとの動画を視聴し終わっていた。
「かっこいい」というのが率直な感想。
(以前、rockin'onの『音楽文』に投稿した文章より引用)
歌詞の中にある〈もう18年〉という部分は、彼の年齢に合わせて変化する。
こちらは19歳のGOMESSが歌う『人間失格(あい ver.)』 ※アルバム『あい』収録
アコースティックギターとピアノの演奏をバックに歌うアレンジで、よりドラマティックな仕上がりになっている。サブスクでも聴けるのでぜひ。
とはいえ、彼の真骨頂はライブでこそ発揮されると私は思うのだ。
音楽だけ
これやってるときだけが俺の唯一のコミュニケーションツールだった。
GOMESSと言います、
改めてよろしくお願いします。
(動画より書き起こし)
20歳のGOMESSが歌う、フリースタイルタイプの『人間失格』
ベースとなっているのはアルバム『あい』のトラックではあるものの、同じ曲でもここまで違うのかと驚く。
前半は完全アカペラのフリースタイルで、息をつく間もないほどに繰り出される言葉に圧倒される。
その後もアルバム『あい』のアレンジをベースにアドリブを混ぜながらその場限りのステージを繰り広げていくGOMESS。
何度も歌詞を書いて 歌を歌うよ
イライラしたら フリースタイルをするよ
お母さんごめんと お父さんありがとう
それすら言えないまま 明日に消えてく
墓場まで持っていくはずだった言葉を
唾と一緒に こうして吐いてる
(人間失格/GOMESS)
生き様をまざまざと見せつけられるような、まさに「ライブ」といえる瞬間が収められている。
このライブが公式動画(LOW HIGH WHO? はGOMESSが以前所属していたレーベル)として残っていることに感謝したい。
8分以上ある映像だけれど、どうか耳を傾けて、届くべき人に届いてほしいと願う。
個人的に好きなのは、間奏のタイミングで飛び込む拡声器によるアナウンスに向かってGOMESSが「うるせぇ!」と吐き捨てたあと笑うシーン。
そしてその後の「大丈夫だよ」のあたたかさに、GOMESSの人柄がにじむ。
彼の詩は、あまりに率直に心中を曝け出しているから時に鋭く胸に突き刺さる。
でも、傍若無人に他者を傷つけるようなものでは決してない。
呼び方がHIPHOPだとかラップだとか
よく分からないカテゴリーばかりで
みんなそうやって名前をつけたがるんだ
やることに対して名前をつけたがるんだ
みんなそうやって名前をつけたがるんだ
(動画より書き起こし)
自分は何者なのか
自分って一体なんなんだろうか
親から名付けられた「森翔平」という名前さえも嘘のようで
そんな違和感や疑問をずっと抱えて生きてきた彼が唯一覚えた魔法、それこそが音楽だった。
だからこそ彼はステージにしがみつき、言葉を吐いて生きた証を刻む。
逃げ出したくなるような日々を歌に昇華してきたGOMESS。
そんな彼の言葉は年月をかけて確実に、届くべき人たちへ届いていると思う。
でも 僕が僕を諦めずにいられるのは
僕を諦めずに見ていてくれる人がいるから
(東海テレビ「見えない障害と生きる。」より)
今のGOMESSには、彼の言葉に耳を傾けるリスナーと、音楽をきっかけに出会えた心づよい仲間がいる。
それは間違いなく、彼が彼自身の力で築いてきたものだ。
今年で27歳となったGOMESS。
ご時世的にもライブこそ控えめではあるけれど、つい先日も『RedBull韻DAHOUSE』というラップバトルの大会に出場し、彼にしかできないフリースタイルで会場を魅了した。
結果は対戦相手である輪入道に群杯が上がったものの、バトルというよりは「対話」に近い二人のラップは見るものの心にあたたかい余韻を残し、きっと今後も語り継がれるであろう熱いステージとなっていた。
見逃し配信ありますので是非。
(GOMESSvs輪入道は1時間と3分辺りから)
GOMESSは、私にとっての新しい「音楽の扉」を開けてくれた。
きっかけは「自閉症」というキーワードだったかもしれない。
自分の子どもが療育園に通っていなければ、きっかけの冊子を手に取ることも、GOMESSの音楽を気に留めることもなかったのかもしれない。
けれど今となっては私は彼の言葉、音楽、そのものが好きなのだと自信をもって言える。
どんな名前で呼ばれようと、GOMESSはGOMESSだ。
いつか必ずライブに行って、自分の目で耳で心でそれを確かめたい。
未来づくり(amazarashi)
amazarashiを知ったきっかけは、2017年にリリースされたASIAN KUNG-FU GENERATION(アジカン)のトリビュートアルバム。
アジカンのファンだから、というよりは参加アーティストのシナリオアートが好きで購入したのだけど、このアルバムがめちゃくちゃよかった。
目当てのシナリオアートもとても良かったし、リーガルリリーやCreepy Nuts、LILI LIMIT(残念ながら2018年に解散)、never young beachなどなど、はじめましてのアーティストに触れる契機にもなった。
また、トリビュートをきっかけにアジカンの原曲の素晴らしさを再認識するなど、一度で何重にもおいしい、まさにトリビュートの醍醐味ともいえるアルバムだ。
(今のところサブスクでは解禁されていないようだけれど、ぜひされてほしい)
amazarashiは、ボーカルの秋田ひろむさんの「声」に魅力を感じた。
オリジナル曲も聴いてみようとYouTubeでMVを検索して、最初に聴いた『ジュブナイル』で歌詞(ことば)の力に圧倒されることに。
私は年齢的にジュブナイル(=少年少女)といえる時期はとうに過ぎた大人だけれど、自分の中にいる「少年少女」が炙り出されるような感覚に鳥肌が立った。
耳障りのいい言葉ばかりではないから胸が痛むけれど、だからこそ信頼できると思えた。
その後、2018年に行われたamazarashiにとって初の日本武道館公演『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』のライブビューイングに赴き感銘を受け、本格的にamazarashiにのめり込んでいくことに。
そんなamazarashiの中から、今回は『未来づくり』という曲について語りたい。
『未来づくり』は、私がまだ音楽サブスクを本格的に始める前、無料版で「amazarashi」と検索したときに何曲目かにふと流れてきて出会った曲。
いわゆる「一聴き惚れ」というやつだった。
公式MVなども存在しないから、もう一度聴くためには『未来づくり』が収録されているアルバム『千年幸福論』を買うか、サブスクに登録して好きなだけ聴くか(無料版はいろいろと制限があって好きな曲だけ何度も繰り返し聴くということができないため)
その後(今年の7月)、晴れて音楽サブスクに登録した私が真っ先に聴いたのはもちろん『未来づくり』だった。
ずっと、もう一度会いたかったのだこの曲に。
amazarashiには珍しく英語のフレーズが入っていることにも最初は驚いたけれど、秋田さんの声域の広さに改めてびっくりする曲でもある。
低いところは低いし、高いところはとっても高いので、うっかり鼻歌なんて歌った日には高低どっちかが出なくて打ちのめされることに……。
それでも大好きなんだこの曲が。
特に、サビの降り注ぐような高音は神々しくて天に召されそうになる。
一段と柔らかく穏やかな声で語るように歌うAメロ〜Bメロも、感情が爆発するCメロもたまらない。
ただ、やっぱりなんと言っても歌詞が素晴らしくて。
私がこの曲から感じるのは、「強さ」と「優しさ」
そして人の「あたたかさ」
自分のことが嫌いで、人を疑ってばかりで、笑うのが下手で、向き合うのが怖くて、愛することも、愛されることからもずっと逃げてきた……
Aメロの歌詞から浮かび上がるのは、不器用で、自分に自信がなくて、臆病な人物像。
その人物は、おそらく私の中にもいる。
「このままじゃいけない」って分かってはいるけれど、そう簡単には変えられなくて苦しんでいる。
けれど、「あなた」との出会いによって少しずつ気持ちに変化が訪れて……。
そんな、他者とのかかわりによって生まれる心の機微を描いた曲。
amazarashiはCメロで感情が弾ける曲が多く、物語の「起承転結」でいうところの「転」的な重要な役割を担っている……と思う。
それについては以前noteでもしたためているのでご興味ありましたら。
『未来づくり』におけるCメロは、こうだ。
今までのことなんて
帳消しにしたいんだけれど
今日までの失敗なんて
破り捨ててしまいたいけれど
こんな僕だからこそ あなたが好きになってくれたって言うなら
もういいよ もういいよ
それだけでもういいよ
胸はって 僕は僕だって 言ったっていいんでしょ
いつだって ここに帰ってきたっていいって言ってよ
僕は精一杯僕を肯定するよ
ただ僕を 信じてくれたあなたを 肯定するために
(未来づくり/amazarashi)
自分を蔑ろにすることは、自分を信じてくれる人の気持ちまでも否定してしまうことに等しい。
私も、自分にとっての大切な人が「自分なんて」と自分を否定している姿に胸が潰れそうになったことがあるし、逆に私も自分を卑下して誰かを傷付けてしまったことがあるだろう。
自分自身も、自分を大切に思ってくれる人のことも両方大切にできたらどんなにいいか。
頭では分かっていても、長年染みついた思考の癖というものはなかなか変わってくれない。
それでも、この歌の登場人物は精一杯、変わろうとする。
〈上手くいくか分からないけど 僕なりに頑張ってみるよ〉と。
“自分を信じてくれる「あなた」を肯定するために自分を肯定する”
というのは、「あなた」を大切に思うゆえに生まれる強さで、優しさなんじゃないだろうか。
心の中に渦巻く劣等感や恐怖さえも乗り越えられるほどの強い感情。
自分を肯定し愛することって、自分を大事に思ってくれる人への最大の恩返しで、愛なのかも。
普段から愛とか恋とかよく分からないと言ってる私だけど、これだけは確信に近い気持ちを持っている。
And I will say ありがとう ただいま じゃあね
信頼は こんな風に 当たり前に できていくのかな
自分も他人も信じようとしてこなかった、見ようとしてこなかった「僕」が「がんばってみよう」と、そう思えるほどの存在に出会えたということ。
それはきっと、世界が変わるほどの出来事。
これは一見、自分の価値を他人に委ねているようにも受け取れるから、「弱さ」や「依存」とも受け取れるかもしれない。
でも「自立」ってきっと、誰にも頼らずひとりで生きていけることではないと思うから。
人を頼れるのもまた強さだし、自分の足で歩くため、まずは誰かの支えが必要なことだってあると思うから。
そうやって支えてもらった経験が、いつか本当に一人で立ち向かわなきゃならないときのお守りになってくれると思うから。
その先にあるのが本当の自立で、他者との豊かな関係なんじゃないかな。
自立した者同士の信じ合う気持ち、それこそが信頼と呼べるのかもしれないな、なんて。
まだまだ人を頼るのが下手な私は、憧れの気持ちもこめて思うのだ。
『未来づくり』の歌詞、私は創作活動にも当てはめて聴いてしまう。
例えば自分が好きでやっていること。文章を書くこととか、絵を描くこと、歌を作って歌うこと。
いつだって自分だけは自分の生み出したものに自信を持っていられたらいいけれど、そう上手くはいかない。
自分の生み出したものがとても稚拙で、価値のないものに思えてしまうことがある。
それでも、あのとき肯定してくれたあなたがいるから、「好き」だと言ってくれる人がいるから、応援してくれる人、信じてくれる人たちがいるから続けていける。
そんな人たちのためにできること。
なるべく誰かの目につくところでは自分自身や自分の作品を卑下しすぎないことかなって、そう心がけている。
この曲を聴いて思い浮かべる人たちのことを大切にしたいから。自分なりに、精一杯。
『未来づくり』は『千年幸福論』というアルバムのいちばん最後に収録されているのだけど、さまざまな感情を経てここへ収束するカタルシスがすごいので、『未来づくり』を聴いていいなと思った方はぜひアルバムを通して、もしくはamazarashiの他の曲も経由して改めて聴いてみてほしいな。
きっと、「自分もがんばってみよう」と少し前向きでやさしい気持ちになれるはず。
私はまだまだ、上手くやれないことの方が多い。
けれど、人とかかわることを諦めず、自分なりにがんばってみようとこの曲を聴くたびに思うのだ。
いつかライブで聴きたいな。
以上3曲、想いの丈を語りました。
音楽で人や世界を救えるか……というのはあちこちでたくさんの人が語っていて、いろんな考え方があるけれど。
こんなにもいろんな感情を与えて筆を走らせてくれる音楽は、間違いなく私の小さな世界を大きく変えてくれた存在。
出会えた音楽はみんな、宝物。
これからまたどこでどんな宝物に出会えるのか、楽しみでしょうがない。
それだけで、私がこの世界を生きていく充分な理由になっている。