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夢を追う人(これからのはなし) #野心日記7


最後の音楽文を書き終えて、無事に掲載していただけました(note版はひとつ前に)
やれるだけのことはやったというか、ずっとずっと書きたかったことを書けたので悔いはないかな、と。
(日に日にネガティブな思いもふくらんでくるけれど、それはまぁ一旦おいといて)

これからは、前々からここでもお話している「文学賞に応募する小説」に力を入れていきたいです。
noteでは、ずっと書こう書こうと思いながら後回しになっていた「音楽の地図」シリーズを書いていきたいな。

あと、タイトルとかまだ決まってないけど「望郷」みたいな感じのも書きたいなってぼんやりと。
私が生まれ育った大分県のこと、実家やその周辺でのこと、おじいちゃんやおばあちゃんの家でのこと、そこで過ごした自分や家族のこと……とか。
ただただ自分が書いて残したいだけのやつなんですけど、こういう個人の思い出って当たり前だけどその人にしか書けないものだから。後回しになる可能性大だけど。
他にも書きたいことは山盛り沢山あるけれど、なかなか筆が追いつかないな。


noteでもTwitterでもちょこちょこ溢していたように、今回の音楽文はだいぶ苦戦しました。
間に合わないんじゃないかって本気で何度も思ったし、弱音も吐きそうになったし。
でも、この1万字すらまとめ上げられなかったら長編小説を書き上げるなんて夢のまた夢だぞ、と自分に言い聞かせて毎日ちょっとずつでも向き合うようにしていました。
完成させられて、よかった。
(シナリオアートのメンバーやリスナーと思しき方々からも反応いただいて、とてもうれしい。なんとnoteでサポートくださった方も……感謝)

読んでくださった皆さま、本当に本当にありがとうございます。


音楽文への投稿を終えた次の日、そういえばそろそろ件の文学賞の結果発表の頃かなってHPを覗いてみました。
予想通り、最終結果が発表されていました。

今までずっと明記していませんでしたが、私が応募しようとしている文学賞の名前をここで発表したいと思います。


日本おいしい小説大賞

です。


この文学賞に応募したいと思った主な理由、ひとつは賞金の額。
300万円ってなかなか他に見ないです。300万円あれば、わが家の借金を完済できるはず。
おつりでなんか美味しいものも食べに行けちゃうかも。

そしてもうひとつは、「おいしい」という募集テーマ。
子どもの頃から料理が好きで、食べるのも好きで、食べものが出てくる物語も好きだから、これだ!って心が躍りました。

毎年ごとに募集テーマが変わるでもなく、ずっと「おいしい」をテーマに募集している文学賞。
私が知ったときは第2回の募集締め切り間近、そして第3回大会の募集開始という頃合いでした。

私はとても筆が遅いうえ、小説なんて今まで書いたことがないので最初の1年はほぼ構想を練るだけで過ぎていきました。
故に第3回大会への応募は見送ったわけですが、きっとまた第4回、第5回……と続いていくのだと、そう思っていました。

第3回大会の結果発表のページをスクロールして受賞作の講評など読んでいく……と、最後に飛び込んできた一文に思わず目をまるくしました。

日本おいしい小説大賞は、新設の新人賞にもかかわらず、今回の第3回までに数多くの応募をいただきました。残念ながらコロナ禍の影響もあり、本賞は今回をもって一区切りとさせていただきます。


あぁぁぁ……
こんなところにも、新型ウイルスの影響が……

音楽文も終わって、文学賞も終わって
本当に「いつか」と思っている間にどんどん、その「いつか」が失われていく。遠退いていく。
誰かの夢が閉ざされていく。

悔しい?悲しい?
うん、どっちもある。

だけど、私の気持ちは揺らがなかった。
「おいしい小説大賞」が終わっても、私の気持ちは変わらない。やるべきことは変わらない。

小説を書くのは、楽しいことももちろんあるけど、しんどいことも多い。すぐに自信を失くすし、途方もなくて、何度も何度も「自分には無理かもしれない」と考えてしまう。

今回のことを正当な(?)やめる理由にして、諦めてしまった方がラクなのかもしれない。
でも、どうやら諦める理由にはならなかったようです。

もし、「おいしい小説大賞」が来年は開催されなかったらとか、文学賞自体が無くなってしまったら……っていう可能性については実はずっと考えていて。
そのときは、他の文学賞に応募するつもりで書いてきました。
「おいしい」をテーマに書いてはいるけれど、もっと普遍的な大きなテーマで書いているとも思っているので。
(ほら…… 食べることは生きること、みたいなとこあるじゃないですか)

だから、「おいしい」の枠に囚われずどこへ出したって大丈夫だと、そういう物語を書いているつもりです。
いや、さすがにホラーとかミステリージャンルにはなれないだろうけど……

だから、このまま書き進めようと思います。

でも本当は「日本おいしい小説大賞」に応募したかったな。
「日本おいしい小説大賞」っていいじゃないですか、なんか。響きが、字面が。

それに他の文学賞だと、もし受賞してもその賞金の額では借金の完済は無理かもしれません。
とはいえ、こうしている間にも刻一刻と時は過ぎて少しずつでも借金の額は減っていってるわけです。
来月には借金のうちのひとつを完済しますし。月2万円は大きいです。

もしかしたら、小説が完成するよりも先に借金を完済するかもしれない……?
そうなったら、書く意味やモチベーションは……?

いや、そこはあんまり関係ないかもしれないな。
「文学賞に応募して受賞して、その賞金で生活を立て直す」っていうのはあくまで目標や叶えたい夢のひとつであって、私が書きたい理由はもっと別のところにありました。
それが無くならない限りは、書き続ける気がします。

あと、「日本おいしい小説大賞」は選考委員の方々の熱量もいいなって思っていました。
世間知らずで甘ちゃんな私には、「講評」の文がけっこう厳しく見えたりして「ひぇー」って怯んでしまうこともあったけれど。
でも、応募作は全員がひとつひとつ読んでいるということも明記されていたので。きっと作品一つひとつに真摯に向き合ってくださるのだろうと。
やっぱり、真剣に書いた文章は誰かに読んでもらいたいと思うから。そういうところに応募したいと思うから。

あと、受賞作以外の作品も書籍化されたりするのも「日本おいしい小説大賞」の特色で。
例え受賞を逃しても、選考委員の方々の心に何か残せたら、伝わるものがあったら、チャンスがあるのかもしれない……って。
ここになら、私の居場所もあるかもしれない……って、希望を抱いていました。
やっぱり、このような形で「日本おいしい小説大賞」が終わってしまうのは悲しいな。


だけど、「一区切り」という表現にほんのわずかに期待してしまうというか、もしかしたら、いつか新型ウイルスの状況が落ち着いたら再開もあり得るのかなって。
まだ少しだけ、望みは捨てずにいようと思います。
文学賞の再開と私が小説を完成させられるの、どっちが先だろう。なんて。


最後に、今回の受賞者さんのコメントがとても素敵だったのでここに引用いたします。

 小さいころからの夢は「●歳までに新人賞を受賞して小説家になる」。しかし、「●」に入る数字が30、40と延びていく。途中でシナリオに転向して受賞しても、その先に続かない。

 ついに50の数字が見えてきて、自分に問いかける。残りの人生、どうしよう? 答えは「やっぱり小説家」。でも、この歳で新人賞なんて無理では? 「こうなったら最年長受賞記録を目指そう」。

 勤務先を退職し、背水の陣で臨むこと5年。ついに昨年、「日本おいしい小説大賞」で最終選考に選出。やっとゴールと思いきや、選外。再度自分に問いかける。どうする、諦める? 答えは一つ。「歯を食いしばって頑張れ!」。そして今回の受賞のご連絡。結果発表の日は、50歳の誕生日まで残り1か月を切っていた。

 ついに私の夢の扉を開いてくださった選考委員の先生方に、心より感謝申し上げます。

『百年厨房』 村崎なぎこ


何かと、若い人の成功が持て囃されることの多い世の中な気がするけれど(もちろん、それはそれでとても素晴らしいこと)
諦めなければ、いくつになっても夢への扉は開くんだ。

やればなんでもできるわけじゃないし、努力がすべて報われるとは限らない。「諦めなければ夢は叶う」なんて無責任に言うこともできないけれど。

それでも、続けた人にしか見えない景色もあると信じて。
どんなに時間がかかっても、
どんなに過酷な道であっても、
いつかその先を見てみたいと願うなら、進んでいくしかないのかな……と、そんな気持ちでいます。


夢を追う人、お互いにがんばろうね。
あなたが進む姿が、私にとっての希望です。



P.S.
がんばれないときがあっても、それはそれでいいよ。生きていてくれたら。

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