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文章を書きつづけていたら、なぜか絵がうまくなっていた(?)はなし

「そうだ、絵を描こう」

某日、ふと思い立って久しぶりに絵を描きました。
お絵描きアプリ『ibisPaint』を開いて、真っ白な画面に指をすべらせる。

うん、たのしい。


にっこりさせてみたり

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お口ぽかーんとさせてみたり

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どっちにしようかな……

結果、「にっこり」と「ぽかーん」の中間くらいに(なってしまった)

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色塗り迷走中。でも楽しい。
この頃のセピア調の背景も好きだな。

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イメージに近付いてきた。
ここで完成にしてもよかったんだけど…… もう少し

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やめ時がわからなくなってくる……


そして最終形態(?)

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この絵は、シナリオアートの『ナイトフライング』という曲のMVをモチーフにして描きました。

25秒辺りからのクミコさん(ドラム&ボーカル)のシーン。


実は、同じモチーフで2年ほど前にも書いているのです。それがこちら。

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当時、夢中になって明け方まで描いていたらスマホの充電がゼロになって焦った思い出の絵。
あんなに頑張って描いたのにデータ消えちゃってたらどうしよう……!と思ったけれど、電源が落ちた時点でしっかり保存されていました。よかった……。

20年ほど前、お絵描き掲示板(なつかしい)でマウスでちまちま描いた絵が突然のシャットアウトで消えてしまって意気消沈したあの頃から時代は変わったようです。


過去と現在、2つを並べて見てみましょう。

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なんか… なんか上達してる?(あくまで主観)
どっちが好きかっていう好みの問題は置いといても、線のなめらかさとかバランスとか立体感とか……?
個人的に「もっとこうしたいな」って思っていた部分(首の長さとか手の位置とか)も改善されたと思います。
あと、2年前はほぼMVの模写のような感じでしたが、今回は本来ないはずのものを勝手に描き足していますね。
見えないものを見ようとしています。これがいわゆる「想像力」というものでしょうか。

多分画像が小さくて分かりづらいのでアップにしてみます。

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どうしても画質が落ちるんであれですけど、細かい部分のニュアンスが伝わるでしょうか……?

使ってるいるアプリ(ibisPaint)も、スマホに指で描くのも同じ。
約2年の間にわたしに一体なにがあったのでしょうか……



そもそも、私がスマホでお絵描きを始めたのは2年ちょっとくらい前のこと。

ここから私はスマホでのお絵描きの楽しさにはまり、1年くらいは熱心にいろいろ描いていました。

小さい頃から絵を描くことが好きで、描くたびによく母が褒めてくれて。
でも、大人に近付くにつれだんだんと描く頻度は減っていって、いつしか「描けなく」なってしまっていました。

子育ての傍ら、何気なくスマホで描いてみた絵。
それが、すっかりしぼんでしまった「絵を描くのが好き」という気持ちに再び熱を灯すきっかけとなって。
まだこんなに「たのしい」と思える気持ちが残っていたんだ って。
うれしくて夢中で描いていました。

スマホで描いた絵たちについては、以前『お絵描き と わたし』というnoteにも掲載しているのでご興味ありましたら。アナログな絵もあります。

ゆっくりペースではあるものの、自分の中で「つづけてる」と言えるくらいには継続的に描いていたスマホ絵。でも、それもついに止まる時が訪れて。

最後にスマホでまともに描いたのはこの絵だと思います。

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だいたい去年の今くらいのはず。
これ以降は絵をほとんど描かなくなり、代わりにますます文章を書くことにのめり込んでいきました。

時々、胸の片隅で「最近絵描いてないな…」という寂しさが疼いても、「ごめん」と思いながら文章を書いていました。
せっかくまた「お絵描きたのしい」って思えてたのにな、指で描くのにも慣れてきて、アプリの使い方も覚えてきてたけど忘れちゃうかもな。仕方ないな、今の私は文章を書きたいから。

いわば絵に関しては1年以上のブランクがあるに等しい状態。なのに、どうして。

なんか、この感じ知ってる。
そうだ、ギターを久しぶりに弾いたときの。
ホコリをかぶらせてしまって、弦も錆びさせてしまったギターの音。
ずっと放置していたのに、昔と同じ素直な音で鳴ってくれたときの感じに似てるんだ。

もともと文章を書くことは子どもの頃から好きだけれど、ここ1年くらいは特に夢中でした。
書かなかった日はなかったと思います。誇張じゃなく。
noteもそうですし、7年以上前からマイペースに更新している趣味のブログも。
そして、音楽について書いた文を投稿するサイト『音楽文』への投稿も、今年に入ってからは毎月のようにしてきました。掲載の可否は別として。
(これは自分の中でノルマみたいなものがあったわけではなく、ただ単に「書きたい!」と心を突き動かされるような音楽との出会いが毎月あったから書いていただけです)

そして、去年の3月末からは長編の小説を書くことに挑戦しています。
今まで、短編の小説ですら完成させたことがないにもかかわらず。
未だほとんど形になっていないけれど、叶えたいことがあるので日々野心を燃やしつづけています。ひっそりと。

小説を書いていて気付いたのですが、私は多分、情景描写があまり得意じゃないと思います。
でも小説って情景描写が大事……ですよね?

足りない部分を補うために、季節を五感で感じることを心がけてみました。今まで以上に。
いつもはなんとなく流してしまっている風景や、感覚や感情。時間が経っても覚えていることもあるけれど、忘れてしまうこともある。
気付いたことはなるべく新鮮なうちに自分なりの言葉で書き留めておきました。

物語や登場人物に説得力を持たせるため、さまざまな「ささやかな自己投資」もしてきました。本当にささやかなんですけど。

漫画や映画も、私にしてはよく読んだし観た1年だったと思います。
普段観ないようなジャンルの映画にも挑戦してみたりして。

音楽も、ここ2年ほどは今までとは比べものにならないくらい本当にいろいろ聴いたと思います。
素晴らしいと思える音楽にたくさん出会って、心が震えて、感じたことを文章にしてきました。

そして、noteやTwitterでもいろんな人の素晴らしい絵や工作、文章、考え方に触れました。
何気ない日常を切りとったツイートでさえ、ハッと気付かされたりじんわり浸ったり。
誰かの語る言葉や切り取る風景によって、私の心は彩られていきました。

ほとんどが無意識に行っていたことではあるけれど、そういった全てが知らず知らずのうちに私の視野や世界を広げて、心を豊かにして、ありきたりな言葉で言えば「想像力」とか「表現力」とかを磨いたのかもしれない。
それが、絵にも宿った。だから突然上達したように見えたのかもしれない。
そんな思いを巡らせています。

絵を描くのも文章を書くのも、お菓子をつくるのもギターを弾くのも歌うのも、そして毎日をがむしゃらに生きるのも、私の中では繋がってるってことなのかもしれない。

変わっていないように見えても、何もしていないように見えても、動いていないように見えても、確かに進んでいる。

解釈は人それぞれだけど、そんな唄もあったよね。

誰もがそれぞれの 切符を買ってきたのだろう
荷物の置き場所を 必死で守ってきたのだろう
人は年を取る度 終わりに近付いていく
動いていない様に見えても 確かに進んでいる

(銀河鉄道/BUMP OF CHICKEN)



そもそも、今回なぜ久しぶりに絵を描こうと思ったかというと「どうしようもなかったから」で。

ここ最近、文章を書いて公開するたびに体調を崩したり、情緒も不安定になることが増えていました。
それでも書くのをやめられなくて、書いてるときは楽しくて、でも世に放つと不安になって、書きたいことは溢れてきてまた次を書いて、それの繰り返しで。

閉じ込めていた言葉たちが少しずつ自由になるにつれ、自分の内面や痛みに向き合うような文章が増えていきました。
夢中になって潜っていたら、気づいたときにはかなり深いところにいて。
書けば書くほど、自分の至らなさが露呈していくようで。

「苦しい」
言葉を選ばずに言えば、苦しかった。
これが、本当に自分が書きたい文章なのかな。わからない……。
私はどういう文章を書きたいんだっけ……。

僕が歌を歌って得る安心と
あの娘が自傷行為して得る安心の
そもそもの違いが分からない
どっちにしろ 理解しがたい人の集まりの中で
自分さえ理解できない人間の成れの果てだ
やり遂げる事で得る満足も 小銭と同じであっという間に消費した

(それを言葉という/amazarashi)


書いても、書いても満たされない。
私は文章に何を求めているんだろう。
本当の気持ちを吐露するほどに、孤独感が増していくようでした。

そして、前回のnoteを書いたあたりでとうとう「限界」を感じてしまいました。「限界」はちょっと大袈裟だけど。
ここまでして書いて、公にして、私は何がしたいんだろう?ここまでして書く意味ってなんだろう?
そんなことをぐるぐると考えつづけてしまって。
まだ誰にも見せたことのない小説でさえ、このまま書き続けて大丈夫なんだろうかって疑問が浮かぶ始末。

あ、これこのまま書きつづけていたらダメかもなぁ。少し、休んだ方がいいかもなぁって。
書くのをやめるという意味ではなく、ちょっと一旦立ち止まってみるというか。そんな時間が必要だって思いました。
(自分の「限界」に気付きにくい私がそう判断できるようになったのは、成長だなーと思います)


絵を買ってくれた人達から 時々感謝の手紙を貰った
感謝される覚えもないが 嫌な気がするわけもない
小さな部屋に少しずつ増える 宝物が彼は嬉しかった
いつまでもこんな状況が 続いてくれたらいいと思った
彼はますます絵が好きになった もっと素晴らしい絵を描きたい
描きたいのは自分の事 もっと深い本当の事
最高傑作が出来た 彼女も素敵ねと笑った
誰もが目を背ける様な 人のあさましい本性の絵

誰もが彼の絵に眉をひそめた まるで潮が引くように人々は去った

(無題/amazarashi)


痛みに向き合えば向き合うほど、心の内を晒せば晒すほど、自分の文章が誰かを傷付けているんじゃないか、心の傷を抉っているんじゃないかと不安になっていきました。
そんな文章を書き続けることに何の意味があるんだろう。
何より、そうやって誰かを傷付けた結果、人が去っていく(かもしれない)のが怖くてたまりませんでした。

そしてある日のある瞬間、これまでに積み重なった「不安」が、巨大な影になって襲いかかってくるような感覚に襲われたのです。

何かしなきゃ、気持ちを変えなきゃ。
文章を書く?ダメだ今は筆がのらない。
音楽を聴く?
お菓子を作る?
どうしよう、今はどれも違う。
何か、何かないか……

「そうだ、絵を描こう」
不安に飲み込まれそうになる中、手を伸ばしたのが「絵を描く」という選択だったのです。
その場しのぎの現実逃避かもしれなくても、その選択はおよそ間違っていませんでした。

「たのしい」
無心になってスマホに指をすべらせていると、不安の影も小さくなって、気持ちが落ち着いていったのです。

完成した絵を見て、2年前のと見比べて、その変化に思いを巡らせて……
そしたら不思議と「大丈夫かもしれない」と思えました。

文章を書く上での不安やもやもやが全て晴れたわけじゃないし、どこへどうやって進んでいこうか迷うことばかり。
それでも、「きっと大丈夫になる」そんな気がしたのです。

思い返してみれば今までだってそうでした。
出会ってくれたすべてが、私の心に彩りをくれた。
心が枯れて灰色になる前に、生かしてくれた。
だとしたら、出会ってくれたみんなにありがとうって言いたいな。
その瞬間は不安も消えて、あたたかい気持ちで満たされていました。

ウェンディ さあ行こう
冒険を 始めよう
もうだめだって 思った夜に
物語は はじまる
(ナイトフライング/シナリオアート)


今回の絵は自分でもわりと気に入ってるんだけど、でも実は下書きのときの線と表情が特にお気に入り。

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ゆくゆくは、この雰囲気を残した色塗りができるようになりたいな、なんて思う。
やっぱり普段から絵を描いている方々はそういうところも含めてすごいなと思います。

最初から上手くはできなくてもいい。
足したり引いたりしながら、自分の中でちょうどいいバランスを見つけていく。
そうやって少しずつ、出来なかったことができるようになっていくのかな。
自信が持てるようになるのかな。絵も、文章も、生き方も。

何もしてないのに突然何かが上達したり、今まで出来なかったことがある日突然できるようになったり、そんな都合のいいことはまず起こらないと思っていました。
でも、約1年のブランクを経て描いた絵は大きく成長していました。

それはきっと本当に「何もしていなかった」んじゃなく、動いていないように見えるときでも、ちゃんと心が動いていたから。

子どもの成長もそういうとこある。
今まで出来なかったことがある日突然できるようになったりして驚かされます。
でも本当は突然できるようになったんじゃなくて、いろんな要素が重なり合ってできるようになっているはず。
直接は関係ないようなことだとしても、そこからいろいろ学んで、吸収して、ひとつひとつ段階を踏んで、そうやってある日ついにできるようになる。

そっか。成長って、こういうことなのかな。
てことはあれか、この痛みは「心の成長痛」なのか……!(ちょっと違う気がする)

32歳、まだまだ成長期なようです。

これからもたくさん不安になるし酷く落ち込むこともあるだろうけれど、きっと大丈夫な気がしています。

いつか「信じてたこと 正しかった」って思えるように、思ってもらえるように、書きつづけるよ。




【おまけ】

普段から私のnoteや文章を読んでくださっている方向けに、ちょっとしたクイズ。じゃじゃん!


 Q. 前回までの文章と今回の文章とで、明らかに変わった箇所があります。それはどこでしょう?


〈シンキングタイム〉


正解は……



(3点リーダー)を2つ連ねて使うようになった……!!

実はけっこう前から気になっていたのですよ。
あれ?あの人も、この人も、2つセットで使っているな って。何か理由があるのかな?って。
調べてみたら、どうやら校正ルール的にはそれが正しいらしい。

個人的な好みでいうと、…の方が見た目すっきりしてて好きなのですよ。
でも、……が正しいと知ってからは気になってしょうがない。
でもいざ使ってみるとむずむずする(あくまで自分で使う場合のはなし)
それが正しいと知識としては知っているけれど、あえて使わないときってないですか。文章に限らず。

そもそも私が普段書くのはブログとかnoteでの日記やエッセイもどきが主だし、趣味の範疇だし、そんな気にしなくてもいいか。きちんとした文を書くときや、小説を書くときだけ気をつければ……

そう思っていたけれど、日に日に気になってしょうがなくなってしまいました。
というわけで、今回は3点リーダー2個セットでお送りしました。
今後も2個セットでいくのかどうかはまだ分からないです。しばらくはふらふらしそう。

見事正解した方には、何かいいことがありますように。
いつも読んでくださってありがとうございます。

初めましての方も、お久しぶりの方も、最後まで読んでくださってありがとうございました。

ではでは。

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