報われない努力は何のためにあるか

努力をすれば技術がそれだけ身につき、試合で報われることを覚えていく。さらにそれがわかると、報われない努力というものがあることを知る。

負けからの出発 : 池田高校野球部蔦監督の素顔

篠宮幸男 著

上記の言葉は高校野球についての言葉だが、人生におけるその他の競争においても言える。
競争に勝つための努力をすると、「報われる努力」と「報われない努力」があることを知る。
「報われる努力」というのは、今までしてきた努力のほんの一部にしか過ぎない。
それに対して、「報われない努力」というのは、膨大な量が積み上がる。
「塵も積もれば山となる」という言葉があるが、報われない努力はまるで無価値な塵のごとく山ほど積みあがる。

では、この報われなかった努力の山はゴミの山なのだろうか。
成功主義・勝利主義で社会的承認を求めるならば、報われない努力は無価値となるだろう。
しかし、人格的成熟に重きを置くのであれば、報われない努力は人格を成熟させうる。
なぜならば、自分だけではなく、他者も報われない努力を山のようにしてきたことに気付けるからである。
自分の中の報われない努力を認めることを通して、自分の苦しみを労わることができる。
それと同じように、他者の報われなかった努力や苦しみを労わることができる。
そのような経験を通して、弱者や敗者に寄り添う価値観が醸成される。

「努力が報われないしんどさがおまえにわかるかよ」

「銀の匙」八軒勇吾のセリフ 

山ほどの努力をしたうえで報われなかった人間は、上記の八軒勇吾のようなセリフを心に抱いたことがある人は多いだろう。
このセリフは裏を返せば、報われない努力を誰かに認めてほしいのだと思う。結果で報われなかったからこそ。

「 でもさ、努力が結果にあらわれなくても努力を見てくれる人は必ずいるでしょ?」

「銀の匙」御影アキのセリフ

だからこそ、御影アキのセリフのような考え方が必要となる。
「努力を見てくれる人」とは、報われない努力の過程を直接目にしている人だけではない。
自分の人生で報われなかった努力をたくさんして、それがゆえに、他者の報われない努力に思いを馳せられる人のことだと思う。
報われない努力を直接目にすることができる機会は限られている。
しかし、敗者や弱者の報われない努力に思いを馳せ、他者を慮ることは人格的に成熟した人間であればできるはずである。

努力をしても結果で報われる人間は一握りしかいない。
大衆は勝者への賞賛ばかりに注力し、結果で報われなかった人は置き去りにされがちである。
しかし、勝者だけでなく、敗者や弱者の方にも心の救いが必要なはずである。
努力の報われなかった人には、同じような苦しさを知る人が心を寄せることが必要だと私は思う。

我々は目の前の生存競争の結果の垣根を越えて補い合って生きている。
大衆が見下しているような生き物にさえ、人間は多くの恩恵を受けていることも少なくない。
人間の人格的成熟のため、傲慢さを省くために、報われない努力は我々に必要として残り続けるだろう。
弱者や敗者の気持ちに寄り添えるように。
そして、思いやりのある世界が築けるように。


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