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【引用】「人間の能力を競い合う」時代は終わった
恐らくアマチュア絵師がAIかどうかにこだわるのは
その絵が人間によって作られた苦労と努力の賜物であり
それができる優れた人間であることを評価したいと思っているからなのだろう
ここでわざわざ「アマチュア絵師が」と書いたのは
プロは「絵が上手ければお金になるとは限らない」と思っているからだ
そこにはプラスアルファの「需要」や「アイディア」などの工夫も必要だとプロなら必ず常日頃思っているからなのだ
アマチュア絵師たちはpixivやTwitterができてから15年ほど絵師の「誰が凄いか選手権」を開催し続けている
この「凄さ」を競っている上で
AIの存在は全てを根底から覆してしまう
だから「AIかどうか」を判別したがっているのだろう
(でもAIだよと表記すると襲撃に遭うだけなのだ)
「上手い絵」や「素晴らしい絵」を
【タダで流してくれている都合のいい絵師】を評価しようという流れなのだ
クリエイターにとって良い条件とは思わない
承認欲求や一時の達成感は満たされても
延々とタダ働きを続けなければ維持していけない
いったいそれは何のためになっているのだろう?と私は常日頃思っている
誰かに踊らされているとは思えないのだろうが
チヤホヤされてもそこに費やした年月や労力について誰が責任をとってくれるのだろうか?
その「誰が凄いか選手権」に費やした年月は人間社会において経歴にもならないのだ
そのうち「話題」や「注目」は別のものに移り変わっていく
それは若い絵師だったりするかもしれない
容姿や別のパラメータを付加することになったりするかもしれない
でも人間はそういう生き物なんだと思う
ずっと同じことをしていても
他人からの注目や価値は維持されない
人間はすぐ「飽きてしまう」生き物なので
「人間の能力を競い合う時代は終わった」と私は最近思う
ちょっと前まではみんな「凄さ」に向かって己の肉体を高めるものだと思っていた
それがデジタル化で
必ずしも肉体の能力だけではなくソフトの使いこなしでも問題がなくなった
実はこの「絵師がデジ絵師になった」時点で
「人間の凄さ」を競う価値観は崩壊しかけていたのではないかと思う
デジタル化の最端にAIがあると思うからだ
オリンピック、パラリンピックを見ていて思っていた
これがいずれ半身がサイボーグになったら
人間は何を持って競い合うのだろう?と、、、
元々肉体の「凄さ」が同じ程度に到達できるものだという仮定が間違っているのだと思う
まあその「神めいた人」を探そうとしている行為なのかもしれないが