
娘が朝顔を育てる歳になった
長女が4歳、次女が3歳(来月)の誕生日を迎えた。
時間はもの凄い早さで過ぎていく。
娘が朝顔を育てる歳になった。
朝顔という単語が耳に入る度、私が小1の時に経験した、悲しくてなんとなく恥ずかしくて未だ消化出来ていない出来事が思い出される。
北海道の遅い初夏に、朝顔栽培セットなるものが児童1人1人に配られ、校庭に並べた鉢にタネを植えクラス毎に毎日世話をした。
10日もすると、同級生たちの朝顔は芽を出し始めて皆喜びで盛り上がっている。
夏休みが近づく頃にはどんどんツルが伸び、花が咲くのは今か今かという話で持ちきりだ。
ところが私の鉢は土が真っ新に敷かれているままで、未だ芽が出る気配すらない。
私は気が小さく、とにかく大人の言うことを良く聞いてそれに従っていたから、種を植える土の深さはしっかり第一関節分にしたし、水やりの量もきちんと守った。
夏休みが始まってからも毎日校庭に通って、花がいくつ咲いたとか、こっちの花の色が綺麗だとか言う会話を聞きながら、真っ新なままの土の世話をした。
短い夏休みが開けると、美しさのピークを過ぎた朝顔に同級生たちの興味は薄れ、そのまま種の収穫の時期になった。
果皮を割って出てきた種を1つ2つと数える頃、私は自分の朝顔が花を咲かせないどころか芽すら出していない事を、同級生にも担任にも言い出せていなかった。
言わずとも皆気がついていただろうが、きっとどう声をかけていいのか大人ですら分からなかったのだ、という事にしたい。
私もどうしたら良いのか分からず、土を掘り返して植えた種を取り出そうとする事や、使われず綺麗なままの支柱を眺める事しか出来なかった。
娘たちはそれぞれ幼稚園と保育園で、植物や野菜を育てている。
もしトマトが実らなかったら。
もし向日葵が日に向かおうとしなかったら。
もし朝顔が芽を出さなかったら。
その出来事を涙を流しながら話せるような母親に私はなれているだろうか。