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【エッセイ】絶対について

結論から言うと、この世界に絶対というものはないのではないかと考える。織田信長も「絶対は絶対にない」という言葉を残しているが、私は幼い頃から父親に「絶対というものはないから、絶対という言葉は使うな」と少し高圧的に言われていて、ずっと心に残っていたので改めて考察してみた。

この宇宙ですら絶対とは言い難い。何故ならば、宇宙の塵よりも小さな部分しか人類はまだ知る事が出来ず、余りにも曖昧な宇宙の起源や宇宙の端について等は、色々な観測や計算に基づき、高度な学問を習得した学者達が提言しているが、まだ創作レベルの結論にしか至っていないと個人的に思うからだ。また、今考えている宇宙はこの瞬間、違う形に変わっている。

そして、そのような事を考えている自分ですら絶対的な存在ではない。この身体は3ヶ月で新しい細胞に変わり、思考や思想もあらゆる経験や外部からの影響で変わっていく。恋や愛ですら絶対とは言えないのは寂しい話だが、この絶対という言葉が何故あるのかと考えると、不変の何かに縋りたい、或いは信じたい願望なのではないかと個人的に考える。後、誇張する時には使えるかもしれない。

しかし、この絶対はないという考えには救いがある。それは、あらゆる悩みや悲しみも絶対ではないからだ。視点や時間軸を変えると、その悩みや悲しみが違って見えてくるのと、その物への捉え方次第ではプラスに変える事が出来るからだ。そして、絶対ではないもので現代人が囚われている大きなものが1つある。
それは常識だ。常識とは現代の、その国の常識であって絶対ではない。学校や会社での常識やあなたの周りの常識もあるだろう。生活していく上で必要な常識は勿論あるが、要らない常識も多いと思われる。例えば、「友達は必要だ、結婚するべきだ」等は正に人によるものだ。それが必要ない人、そして、ないほうが幸せを感じられる人がいる事は事実だ。その様なものを強要する事はしない方がいい。そして、あなたに必要ない常識を考えてみて要らない常識なら、さよならするのも1つの断捨離になるのではないだろうか。
ただし、あなたに必要な常識は捨てなくていいし、前向きに捉えてほしい。

ここで私が言いたかった事は、絶対というもので苦しまないでほしいという事だ。

お互いに、もっと気楽に生きていきたいものですね。深呼吸して、コーヒーブレイクでもしましょう。

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