冬の日の旅路

頬にあたる風が肌を刺すような冷たさを帯び、辺りがもう間もなく銀一色に染まろうとする頃、彼らはやってくる。銀に泥を塗りながら一直線に。確かな重量を持った音がやってくる。

「キュッ!」

全身を羽毛で覆われ、村に住む幼子と同じ程度の大きさの脚が生えたその獣は村の入り口で足を止め、道中雪に降られたのだろう、かつて雪であったものを絞るかのように身体を振るわせている。

『こんにちはー』

その獣の引く荷車から赤毛の青年が顔を出す。背丈はそこまで高くないが切り揃えられた頭髪、色素の薄い目、鼻筋の通ったその顔はどこか品を感じさせる。荷車の主はいかにも余所行きといった風の厚手のコートを身に纏い、村の中央付近にある大きな青屋根の家に向かって歩き始める。

カラン

扉についた木工細工が互いにぶつかり合い、小さな音を出す

『ここは相変わらず寒いですね、もう寒くて手綱を握る手が凍えて凍えて。』

暖炉の前で赤くなった手を擦り合わせながら、青年はどこか懐かしいというような表情で語る。

『ここに来るのも楽じゃないだろうに悪いね。もうじき本格的に冬が来るから足りないものがあったら揃えないといけないし、エフの持ってくるものはどれもこの辺りじゃ手に入れづらくてね、本当にいつも助かってるよ。』

白い顎髭を生やした男が湯気の出たお茶を両手に椅子へと腰かける。

『いえいえ、いつもお世話になってますからこれくらいはさせてください。それに村長さんに譲っていただいたエムッキュがいなければここに来るのももっと難しかったでしょうし。』

『まさかあの雛鳥があそこまで立派になるとはね。荷車を引くだけじゃなく、子供の遊び相手もできるとは賢く育ったもんだ。この時期になると村の子供たちはエムッキュが来るのをまだかまだかと待っていてね。』

窓の外の獣を眺めながら過去の記憶に耽るように呟く。外では子供たちが獣に乗り、そして追いかけ合い、極寒の中とは思えないほど活発に動き回っている。

「キュキュッ!キュ?キュッ!」

『今回はどれくらい滞在できるんだい?』

『ー。』

『実はまだアルケミナでの仕事が残っててそっちを済ませなくちゃいけないんです。』

青年は俯いてそう答える

『となると、』

『はい、明日のお昼頃にはもう出ようかと。』

『そうか残念だが仕方ないね。でもあれだな、子供たちが駄々をこねる姿が目に浮かぶよ。』
『よし、そういうことなら早めに伝えて目一杯遊ばせてあげようか。じゃあ私は子供たちに話しにいってくるからエフは夕飯までゆっくりしてなさい。』

『はい、ありがとうございます。』

カランと、扉にかかっていた木工細工の音が鳴ると同時に冷気が急激に足元の体温を奪っていく。

それから数刻程した後、先ほどまでしていた歓声が鳴り止み、不気味な静けさが訪れた。聞こえるのは風の音。吹き付けた風が窓を揺らし、外気の冷たさをより一層感じさせるようだった。

『やだ…。やーだーー!!明日も1日遊ぶって約束したもん!遊ぶの!』

涙ぐんだ叫びが村中に響いている。風の音を書き消し、世界に悲しみしか残っていないかのような錯覚に陥ってしまうほどに、それは悲痛な叫びだった。冬の冷たさがどこかその空気を後押ししているような。そう、まさに彼らが世界の中心だった。

『…。』

カラン、

再び冷気が勢いよく部屋に入ってくる

『いやー、参ったね。あそこまで粘るとは思わなかったよ。けど、エフの言った切り札が上手いこと刺さってね。さすがはアルケミナの商人だ、人の心を掴むのに長けてる。ひとまず今晩は平気そうで安心したよ。』

『うまくいったみたいでよかったです。』

それから二人は同じ食卓を囲み、語らった。

今年一年で起きたこと、今まで行った先々のこと、そしてそこで出会った人たちのことを。まるでそこが自分の家かのように落ち着いて、今まで見てきたことを誇らしげに語る、そんな青年がいた。

明日には出てしまう彼のことを思うと一緒に酒を飲むこともできないと残念がった。この日のためにととっておいた秘蔵の一本。また一年後かあ、なんて言いながらも笑みの耐えない男がそこにいた。

二人を結びつける何かがその場を作り、そしてその何かを互いに求めていた。胃が膨れた満足感と、話が盛り上がった充足感が眠気を誘う。


心地のいい目覚めではなかった。寒さによって起きる脳の覚醒は、脳が自身に出す危険信号だ。体を起こそうにも身体が動かない。正確には動かないのではない、動く気がないのだ。この脳は自分で自分を起こしておいて、それでいてこの寒さに動くことを拒絶している。見上げた根性だと諦め半分に感心していると、

『おはよう、昨日はよく眠れたかな』

そう、昨日と同様両手に湯気を抱えた男がこちらに向かってやってくる。

『はい、ですがやはりこの寒さには慣れませんね』

暖かいお茶が全身の機能を取り戻す。

『そうかそうか、むこうじゃここほど寒くないだろうしなあ』

もうずいぶん前に起きていたのだろう、髪も整えられ、厚着をした男の腕には雪が微かに積もっている。どうやら雪かきを終えた後らしかった。

『子供たちはまだ起きてないのか?』

普段であればこの時間帯には子供の声が響いていたはずだが、寒さに不馴れな人間が起きるような時間になっても一向ににその声は聞こえない。

『はい、どうやら昨日遅くまでエムッキュと遊んでたみたいで。』

『それで君の言った通りエムッキュとまだ仲良く夢の中ってわけか。』

昨日の泣きわめく子供たちを説得するための策とはこのことだった。普段はできない、かの獣と一緒に寝ること。それが青年の提案した懐柔策だった。

『エムッキュは起きてるんだろう?起こさないでいてくれるなんて本当にいい子だ。あとで何かおいしいものでもあげようかね。』

『そうしてください、エムッキュも喜びます。』


青年が朝食を食べ終えた頃には既に陽は昇り、冷えきった大気を暖めようとしていた。
ふと窓の外に意識を向けると、村中に活気のある子供たちの声が溢れていた。満面の笑みで、そして先ほどまで眠っていたと感じさせないほどの声量で獣と遊んでいる。

その声に誘われるように青年は外に出て、それを聞きながら彼は自身の仕事を始める。空いた荷車に積んでいく村の特産品のリストを確認し、男たちと荷物を運んでいた。「食後の運動だ、若いんだからきびきび動けー!」そんな会話が聞こえてくる。


『エムッキュほんとにもういっちゃうの?』

「キュ?」

『ごめんね、お兄さんたち仕事が忙しくてね。また来年くるよ。そのときはまたエムッキュと一緒に遊んでくれるかい?』

『うん、わかった。待ってる。』

『これあげる。』

そう言って彼らはその優しき獣の胸に鈴を結びつけた。

『村の子供はね、迷子になっても分かるように一人一個必ず鈴を持ってるんだ。だからね、エムッキュも迷わないでまたここに来れるようにあげる。今度はもっと早く来てね、また遊ぼうね、絶対だよ。』

『バイバイ』

そうしてエフと呼ばれた青年とエムッキュは村を後にする。

かの獣は時に頼れる相棒として、時に親しい友人として愛され、人に寄り添って生きている。今日もまたエムッキュは彼らを求める人に会いに行く。それがどんな険しい旅路でも。その甲高い声と小さな鈴の音と共に。

「キュッ!」

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