多文化主義の失敗に学べ
多文化主義って一見よさげな言葉じゃないですか?
わたしも始めは、別にいいことなんじゃないの?と思ったけど、どうやら多文化主義は失敗するということがヨーロッパ諸国で証明されてきたという書評論文を見つけたので私流に解説します。
この論文は、ヨーロッパ世界の中でも最もリベラルな立場に位置し、第二次世界大戦以降積極的に移民を受け入れ、1990年代の経済成長と合わせて多文化主義政策を掲げてきたオランダと、移民としてオランダの地に足を踏み入れたムスリムの関係に注目している。前置きとして、2001年の9.11のあと特にムスリムに対する人種間対立や移民反対運動は高まってきたが、本書のデータは1998年にとられた統計であり、9.11以前からヨーロッパ系オランダ人と、移民の大半を占めるムスリムの間の人種的分断は明らかであったと述べている。
まず第一に、オランダが掲げた「リベラル多文化主義」とは、
多様な文化にそれぞれ価値があるものと考え、そうした複数の文化が私的領域に存在することは認めるが、公的領域では支配された「共通の文化」が支持されなければならない、とするものである。
オランダのリベラル多文化主義政策の具体例としては、マイノリティのための政策、ムスリムのための公教育やサービスを積極的に提供するなどがあげられる。
※留意したいのが、そもそもヨーロッパいおける多文化主義は、大戦によって一時的な滞在者であるべき「移民」がいつでも祖国に帰れるように言語習得、アイデンティティ形成をサポートするために始まったということ。特に戦後、ナチスドイツの反省から、人種差別や偏見と闘うことは無条件で多々しいという規範が支配的であった。
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論点
・このような多文化主義のどこが問題であったのか
・社会全体のメカニズムに焦点を当て、問題となるマジョリティのアイデンティは何なのか→そしてそれがどう国の政策につながるのか
論文の筆者らはこのように論を展開している。
・対立の構造:風俗や儀礼の違いだけではない。両者の間には決定的な価値観の違いがある。例えばムスリムにとって社会的に男女を区別することが規範である。しかし、ヨーロッパ系はムスリムは女性を差別していると攻撃をする。→マイノリティへの攻撃の正当性が生まれる
・オランダの政治的主流のリベラルなひとたちは、イスラーム教の価値観については否定的だが、ムスリムの存在については尊重する気持ちを持っており、ムスリムはムスリムの「生き方」を選択する権利があると考えた。一方で、オランダの主に低所得、低学歴で政治的にも社会の周縁に位置する人々の多くは、イスラームの価値観に加えてムスリム自体にも否定的。また、自分たちの仕事が移民に取られるといった不安から、移民の制限に積極的な人が多かった。
・だが注目したいのが、リベラルな人も、ナショナルアイデンティティ・自分たちの文化が脅かされていると感じたとき、移民に対して非寛容になる。自身のアイデンティティとして「オランダ人」であることを自覚していればしている人ほど、移民を、文化的統合を脅かす脅威として危険視する傾向が強い。
・今まではトップダウンのかたちで政府が多文化主義を進めてきたからこれが実現したものの、ヨーロッパ系の文化が移民によって破壊されつつあると強調された場合、将来的には、ヨーロッパ系としてのアイデンティティの再興を掲げていく排他的な極右政党が支持されていく可能性がある。
【→この論文は2007年に書かれたものなんですが、もうすでにでてきちゃってます。極右政党。】
【左はみなさんご存じドナルド・トランプ。右は”オランダのトランプ”とまで言われた極右政党自由党党首のヘルト・ウィルダース氏。ヘイトスピーチ、SNSを利用し、過激な半移民政策を掲げる。数年前からオランダ国内での支持が急上昇している。】
・ムスリムに対するマイナスイメージが移民に対する世論に影響を与えている。ムスリムに対する様々なイメージの大半が偏見によるものだが、その影響力は無視できないものだ。移民たち全般に対してもネガティブイメージが付きまとい、それを前提で議論が進められている。
・寛容について。今までの多文化主義政策は、ムスリムには彼らにとっての生き方を支援し、ヨーロッパ系にはオランダ社会の中の他者に「我慢」することを促す、いわば二者のアイデンティティを平行させていく試みだった。結果、ムスリムは常に他者であり続け、いつまでも自分たちのオランダに忠誠を持たない不信の対象。
【ちなみに、この平行社会のことについてもっと詳しく。「pillar society」柱社会という造語があります。社会生活のかなりの部分を宗教的な場で送ることができる仕組みのこと。(ちょっと古いかもしれないんですが。)つまり、プロテスタントの家の子はプロテスタントの幼稚園~大学、職業に勤め、冠婚葬祭もプロテスタントのやり方でやって.....というかんじ。イスラームに関してもしかり。ムスリムの過程に生まれたら、生まれてから死ぬまでずっとムスリムのコミュニティで暮らす。だからお互いの柱のことは別に興味ないし、おそらくこれから関わることのない、ただの”他者”。ただ、やっぱり同じ国で生活していく上でそれも長続きしないらしい。”ただの他者”って言ったけど、相手に不満があると攻撃したくなる。あと、相手のことを知らないから「なにやってるの、怖い」となる。そこで対立の溝がどんどん深まっていく。なんかの記事でオランダは"the second worst place for Muslim (in Europe)"って書いてあった。移民に対するデモだって起きているし、(ちなみにイスラーム価値観やムスリムへの嫌悪をこれも造語なんですが"Islamphobia"って言ったりします)、現にウィルダースの極右政党も出てきて支持を集めている。】
【pillar societyの図。オランダ語ですが読めなくはない...?】
結論:マイノリティが彼ら自身の価値観に従う権利を守るだけではなく、彼らの価値観そのものを受け入れていく、新たな社会的寛容が必要。異なった文化の共同体【pillar】に対し、どのように積極的にアプローチしていくかを明確に定義し教育してくことが必要。→開かれた寛容
考察:多文化主義は大きな岐路に立たされてきた。
・2010年代、多文化主義政策をとってきたイギリスやスウェーデンは、尾の政策は失敗であったと公式に発表。
・2006年にオランダは「移民は社会に統合される義務がある」とし市民統合試験(civil integration examination)を移民希望者に課している。この質問の中にはムスリム移民に対してのみ行われる「ホモセクシュアルについてどう思うか」という質問もある。
...みなさんはこれをどう思うか。寛容を「正しい規範」として押し付けているようにしか見えない。書評筆者の荻原氏もこの見解について
「寛容」を非寛容に移民に押し付ける構造は、単なる同化主義政策と本質的には同じものではないだろうか
と、この方針を疑問視している。また、
マイノリティに働きかける「寛容」の実践は楽観的になるべきではないだろう。そこには常にマジョリティとマイノリティの間の力関係、強者の倫理が働いてしまうからである。
民族が脱色されたシステムとしての国家、つまりオランダはヨーロッパ系オランダ人のモノでなく、「オランダ人」すべてのものである、というアイデアが新たな多文化の共生を目指す手がかりである。
と締めくくった。こんな簡単に行けばいいのですが。この問題を解決してくれるのは時間しかないと思っているのですが、どうでしょう。移民問題はほんっとうに複雑で難しくて興味深い。オランダで移民の授業をとっていて、個々の事例をピックアップして勉強していたのですが、こういう俯瞰的に移民とか移民に対する政策を見ていくのも、点と点が線で結ばれていく感じで面白い。
今日のは長くなっちゃったけれど「『移民』で読み解く世界史」という本の中で、筆者の神野正史氏が言っていた言葉を紹介して締めくくろうと思います。
移民は例外なく災いしかもたらさない。移民は社会を混乱させるが、歴史を次に進める。
では☺今日の一枚は、さんざんオランダについてしゃべったので、マーストリヒトのお気に入りカフェtea zoneの一枚。お茶のメニューが100種類以上あってお店も家みたいな内装で薄暗くてテンションあがる。オランダで超本格ban-cha(番茶)を飲めたことに感動。
出典:
書評論文 「『生き方』がぶつかるとき」荻原宏章
Paul M Sniderman & Louk Collide
When ways of life Collide: multiculturalism and it’s discontents in the Netherlands (Princeton University press, 2007)