第三者の立場から宗教を考察する
ある日のことを書こうと思います。
宗教の話
わたし自身は、まあ特定の宗教に属することなく、おそらくこれを見ているほとんどの人と同じ感じです。クリスマスやってお正月やって...という具合。
大学では何学んでるの?って聞かれたら(教養学部って言っても「?」って顔されるので)、宗教学学んでますって言っている。
なんで宗教に興味を持ったのだろう。って考えたときに、宗教ってわたしたちからすると何か引き付けられません?特に世界史とかでやっていると宗教間の対立、宗派が分かれたり、宗教が、宗教が...って。聖典もあって、The Bibleなんて世界で一番読まれている本。
そうやっていろいろ考えていくと、まず現代の日本人..........??ってなんなんだ?ってなります。いま『日本人に宗教はいらない』という新書を読んでいるんで、読み終わったらそれに関してnote書こうかな。いやちょっとだけ概略書くけど、面白いんですよこの本。ネルケ無方っていう元プロテスタント、現禅僧のドイツ人が日本の宗教観について考察した本。いやもうこれだけでワクワクするでしょ(笑)。’宗教はいらない’、というか、日本人は’非常に寛容な宗教心’をもっていると語っている。日常の中(例えば学校の教室掃、日常の挨拶、言葉遣い、譲り合いの精神)で自然に宗教が身についているんですよってこと。気になる方は、ぜひ。
話を戻します。
こんなことを考えていたある日、(説明すると長くなるので省きますが)初めて会う留学生からキリスト教×誕生日パーティーをミックスした会があるとお誘いを受けたので興味本位で行ってみることに。
10人くらい参加者がいて、初めゲームを楽しんだ後、空気が変わって、説教が始まった。
まるで教会でミサを聞いている気分だった。司教?の人もすごい表現力豊かで俳優ですか?ってくらいな勢いで、’どうやって恐怖に立ち向かうか’を熱弁するんだわ(英語で。+日本人の奥様が通訳していた)
不安なことやモヤモヤしたことがあったら「ジーザスという名のもとで、恐怖よいなくなれー!」っていうと、前向きになれる。自分ははじめはずっとつらいときがあったけど、これやってきて明るい今の生活がある
みたいなことをそれはそれは本当に活き活きというのよ。もうそれに感動しちゃった。第三者の立場から。宗教ってここまで誰かの一人生の深く深くまで入り込んでいくのだな。生まれてから死ぬまでずっと一緒に心の中にあるもの。そして時として暗い人生を前向きにさせるんだな。一種の超強力なマインドフルネスだな。って。
と同時に思ったのは、個人的な話、やっぱり私には宗教が必要ない。この宗教は本当に必要な人のところに届けばいいと思うし、本当に必要な人のもとにこの教えをジーザスは届けると(彼ら風に言うと)思った。
今回は恐怖というテーマでお話をしてくれて、「恐怖や不安があっても、自分は大丈夫だって思って強く見せておけばどうにかなる」と。まあ結局は超単純で当たり前のことなんですわな。わたしはポジティブの塊すぎて困っているくらいの人間だから、不安を感じるということがまずもってそんなないし。(よくないことでもあるんだけど...)
でもこの教えが、この人たちがこうやって今の時代(ヨーロッパでさえ教会に行く若者が激減している)に、しかも日本でこの布教活動をして、やっていけて、こうやって集客もできるんだから、それを必要としている人は確実にいるのだなと思った。
でもね、ちょっと話脱線するんですが、「しあわせ」について調べていた時に、その人の人生が幸せになるかどうかを決めるの最大な要素って衝撃的なことに5割くらいが遺伝なんだって。でも、なんか信じたくないけど腑に落ちてしまう。
想像してみてください。ネガティブな人はいつもマイナスのことを口にする。例えば、わたし高校の時一番仲良かった子は超繊細、かつネガティブな子で、いつも帰り道に変な形の雲見ては「地震雲だ」っていって顔を引きつらせていた。戦争が起きるって思ってずっと布団にこもって学校休んだこともあるらしい。
わたしは、地震雲ってその子が言ったときは「いやいやアレただのうろこ雲だよ~~(笑)地震が起きないにかけるわ。」っていうんだけど1mmも効果なし。聞いてくれている気配もなし。今考えると大変だったな~。こういう子も世の中にはいるんだなといい経験になったけど。もちろん仲はいいですよ☺
まあ考えるに遺伝子の力って相当強いもので、ちょっとやそっとじゃ変わらない。だからそういう人ってこういう情に押してくる、人生の道しるべを与えてくれるようなものってすごくキラキラして見えるのかもな。
でも、(過去にあった過激なアブナイ団体とかでない限り)それが個人の心の範疇にある限り、誰にも迷惑をかけない限り、心の支えとしてなにか教えを提示してくれる宗教のようなものって心の健康にいいんじゃないかと思うので私は賛成。
そういえば、エホバとか日蓮?とかそういう俗にいう怪しい(失礼)宗教団体の勧誘って今までめちゃされてたけど純粋にこうやってピュアな(?)カトリックの教えを目の前で聞くのって初めての経験だったなあ。
きょうも初めは、げ、大丈夫かな?って思ったけど、有難い教え&最後にしたい人だけでお祈り(食事食べる前に敬虔なキリスト教徒がやってるやつ)で終了だったもん。普通に聞き入っちゃったし、別に「キリスト教、入会しませんか」みたいな空気はなにも感じなかったし、てかトルコ出身の人がいたから逆に私が、この人ムスリムじゃないか...?大丈夫か??って心配になっちゃったもん。
「布教」することの優先度が各宗派によって違うんだろうか。
彼らの資金源は何処なのかも気になる。あそこまで上手にお話をできる方だと、絶対信者だったらお布施みたいなのあげたくなっちゃうよなあ。
あと、余談の余談だけど、英語で説教されても時になんも違和感感じないのに、通訳してくれている日本語がなぜかものすごく胡散臭く感じた。なんでだろう。普段そういう言葉を使わない、聞きなれていないからなんでしょーかね。偏見や、偏見..
宗教=関わったら面倒なめんどくさいもの って思っている日本人も多いと思うけど、第三者的な視線で分析したらおもしろかったよ。気が向いたらまた行こう~ってことで、今回のnoteをおわります~。
おやすみなさい☆