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4月4日(土) Stay Home 9日目

今日は子どもの1歳の誕生日。1年前の昨日、陣痛が来ないまま予定日を1週間超過した私は入院し、誘発剤を注入して人工的に陣痛を起こした。翌4日、無痛分娩をするつもり満々、余裕いっぱいで出産を待ったが、待てど暮らせど子どもは降りてこず、結局私の腹をかっさばいて誕生した我が子であった。

文字通り腹から取り出された我が子、看護婦さんに「すぐに顔の横に連れてきますから、左側を見ていてくださいね!」と言われたにもかかわらず、出てきても泣き声がせず、シーンとしていた。嫌な予感がしたが、それには手術室の誰もが触れず、泣かない我が子は私の横に連れてこられないまま、看護婦さんがそそくさと別室へ連行していった。医者たちは、黙々と私の腹を縫合し続けている。「子宮筋腫、いくつあるって言われてた?」と聞かれ、下半身麻酔で朦朧としながら「2つです」と答える。「お腹を切って見てわかったけど、ごく小さいものも含めたら、無数の筋腫がびっしりと子宮を覆っている状態だったよ。だから赤ちゃんが降りてこられなかったのかもしれない。こんな子宮でよくここまで赤ちゃんを大きくしたね」と言われてゾッとした。予定日を1週間超過して、子はさぞ苦しかったことだろう。だから泣かなかったのか? 果たして今赤子は? とこの間、おそらく3分も経っていなかったと思うが、別室から元気のいい泣き声がするまで、とてつもなく長い時間に感じた。別室ではきっと気道確保などの緊急措置が取られていたのだろう。やっとのことで私の顔の隣に連れてこられた子は、しっかりと目を見開き、手足をゆっくりと動かして声を上げていた。

あれから1年、初めての育児で、あっという間というわけでは決してない濃密な時間を過ごした。目も見えず、寝返りも打てず、おっぱいはおろかミルクしか飲めなかった子が、今では、起きたら立って襖をどんどんと叩き「出せ」と要求し、肉でも魚でもなんでも大量に食べている。生きている人間にとって、1年というのは決して短い時間ではないのだ。

本来ならば、今日は私の父母を呼び寄せ、ごちそうを用意し、一升餅を担がせて盛大に祝ってやるつもりだった。明日日曜日には、誕生日が近い近隣のママ友たちと合同で餅つき大会を開催し、つきたて餅を交互に担がせた後、大人たちの祝宴を開くつもりだった。しかし、すべて延期。これはあくまで延期だ。いつか必ずやる。そう思っていないとやりきれない。

私と夫だけで、1年の総決算の愛情を込めた誕生日会を開催しよう。早朝に子どもに起こされて、子どもとともに朝寝をしている夫を叩き起こして、飾り付けの準備。先日夫に買ってきてもらった風船やバルーンアートを、夫が仕事で使うプロ仕様の背景に飾り付け。その間、私は子どもでも食べられるパンケーキをつくる。大好きなイチゴとバナナをたくさん飾り付ける。飾り付けに何度も試行錯誤し、ああでもないこうでもないとやり直しながら完成。頭を働かせ集中してベストを追求するディレクションをしたことで、仕事を思い出す。

寝ていた子どもが昼ごはんで起きるタイミングに撮影を敢行。おいしそうなパンケーキを目の前にして、すぐに食べられないことに癇癪を起こさないかヒヤヒヤしながら、何度もシャッターを切る。いい写真が撮れた!と思ったところで撮影終了。パンケーキをすぐに食べさせる。

やりきった高揚感が残る私たちは、歩いて行ける、最近若者に人気の商店街まで散歩に出ることにした。久しぶりの気分転換。散歩という名目なので足取りも軽い。夫は行きつけのお店でコーヒーを買いたいらしい。まずは子どもを公園で存分に歩かせて、靴を履かせて運動させてあげる。久しぶりに広いところで歩き回れて、とても楽しそう。ひたすら遊んでもまだまだこのまま歩きたそうにしていたので、心痛むが撤収。商店街へ。

小さな商店街なのに、すごい人出。ずっと引きこもっていたから、余計にそう感じるのか。すれ違う人たちとの距離感も近すぎて気になるほど。みんな明るい顔をして、楽しそうに焼き鳥の持ち帰りに行列したり、子どもや犬を連れて散歩をしている。私たちもそう見えるのだろうか。外出自粛という異常事態から遠く離れた惑星に来たかのようだ。

早速、私がずっと行ってみたかった紅茶専門店で、夫と子を待たせてチャイをテイクアウト。その後、友達が経営する居酒屋で晩ごはん用のお刺身を注文。お刺身をつくってもらいながら、夫が久しぶりに友人と話している間、私は隣近所で花とはちみつを買っていた。開店したのは知っていたけれど、入るのは初めてのはちみつ屋さん。変わり種がたくさんあって、次々と試食させてくれる。夫が戻ってきたので、一緒に試食させてもらう。私が長々と考えてようやく購入した後、外に出て、夫の機嫌が悪いことに気がつく。私はいつでもすぐに楽しくなってしまって、自分が置かれた状況をうっかり忘れてしまうのだ。

家にたどり着くなり、「買い物するのはいいけど、感染のことを考慮して接触を最小限にしている俺と子どもを巻き込まないでくれる!?」と怒られる。たしかに店内はオープンエアーで締め切っていなかったとはいえ、マスクを取って何度も試食をするのはよくなかった。反省。毎年風邪やインフルエンザをもらってきて私をげんなりさせていた夫が、ここまで神経を使ってくれていることに気がつく。外出時には必ずマスク、帰ってきたら手洗い、着替え、玄関他ドアノブの消毒、食材パッケージの消毒、携帯電話の消毒を互いに習慣づけている。今日は私に気の緩みが出てしまった。と同時に、人から親しげな距離や行動をとられた瞬間、いくら感染対策とはいえ、私はそれを拒否できずうれしくなって受け止めてしまうという習慣が抜けていない。拒否をする勇気までもたないと徹底できないのか。またまた気持ちが暗くなる。

日頃おおらかな夫までこんなに神経をすり減らし、妻へ苦言を呈するまでギスギスしてしまっている。在宅時間が多くなって、夫婦の距離がつまりすぎたり、我々のように対策に温度差が出たりで、「コロナ離婚」が増えているとどこかで読んだが、非常に頷けると思ってしまった。在宅の妻と通勤する夫で対策に温度差が出てくるのは必至だろう。売上減で生活苦の個人経営者、息詰まる生活の夫婦、子どもの休校対応の母親、感染して闘病する方々と疲弊する医療チーム。誰を見ても、いいことはまるでない状況。せめて家族だけ、友達とだけでも、仲良くいい関係を築き続けなければ、絶対に乗り切れない局面だと感じる。今後、夫婦喧嘩になるようなことはしないと誓う。

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