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12年やってきた職種から別の職種に変わって感じたこと

最近、職種が変わった。別の部署に行ってみたいと思い、手を挙げて行ったはいいものの、半年くらいで戻った方がいいな。。。と思い、元の部署に戻った。

これまでは、専門職でやってきたので、てっきりまたその職種で働くものだと思ったが、今やってるのはちょっとした管理業務だ。特段楽しくもないが、つまらなくもないと言う感じだ。

その時感じたのは、正直「安堵」だった。12年間、その職種のはしくれとして仕事をしてきた。だから、また戻ったらまたその職種でバリバリやりたい欲が出てくるものだと、どこか思っていた。

だけど、現実は全然違った。良く言えば、執着がない。だと思うが、自分がこれまで時間やお金や情熱を注いできたはずのその職種に対する思いみたいなものはもう無くなっていた。

それが多分1番ショックだった気がする。もうやらなくていいんだ、よかった。とも感じてたと思う。

それから、毎日会社で仕事をしているが、前よりも暇になった。だからなのか、これからの自分について考える時間が増えた。人生これからどうやって行こうかな、何をしていこうか。

好きなことや、やりたいことをやろうと思うんだが、それが実は自分が思うよりも無いことに気づいた。でも、なくてもいいとも思うが、それでいいのかという葛藤がある。

何かをしてないと何かすごくダメなことをしているような気分になるのだ。何かを生み出さないと価値がないと思い込んでいるのかもしれない。
つまり、「何かを生み出さない人間は価値がない。」という思いや考えを持っているのかもしれない。

ここまで書いてふと思ったんだけど、そんなことはないよな。生み出すことだけが価値を生むわけじゃない。生み出さなければ、価値を提供できないかと言えばそんなこともない。

だって、価値は相手が決めることじゃないか。自分の生み出したこれには価値がある!と自分勝手に思い込むのは勝手だけど、相手に取っては何の価値もないことなんてざらにある。

自分に取っては取るに足らない、簡単なことがある人にとってはすごく助かる!ということが往々にしてある。だから、それも執着というか、勝手な自分の価値観を相手に押し付けようとしてたから苦しかったのかも。

それ以外でも、相手の役に立つ、価値を与えることはできる。だから、今できること、少しでも好きだとか、気になるなと思ったことはやってみたらいい。できそうな範囲で。

それが意外な価値を生むかもしれないんだ。自分は好きで楽しくゆるくやってたことが、人の役にたつことがある。だけどこれ人の役に立つかな?と考えてもそれはわからないから、とりあえずやってみる精神でやってみたらいい。


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