雑記:映画「天気の子」感想
天気の子鑑賞。すでにエンタメ業界搾取論だのセカイ系だの方々で論評されているので、ここではごく個人的な感想にとどめる。
今回の鑑賞は、新宿歌舞伎町東宝シネマズIMAXにて。
会場として文句なしである。
なぜならば、本作はいくつかの場面で歌舞伎町が舞台として登場する。
私自身が10年以上新宿に住み、現在もたまに歌舞伎町で働く身(月に何回か、女子プロレスバー「ちゃんす」にて)なので、逐一あのビルはどこそこ、と思いを巡らせるのは地元民のささやかなぜいたく。
一連を通して感じたのは、「未成年って本当に無力で、無敵」。
冒頭から家出少年として新宿を放浪し、真っ当な居場所からどんどん隅へと追いやられていく帆高。大人を頼らず自活するために自分を偽り流されそうになる陽菜。
序盤は社会に放り出された立場の弱い未成年と、それを搾取する者たちの構図がこれでもかと描かれる。たとえ子供でもいつか終わりが来ると分かる、場当たり的な半径数キロメートルの逃避行は「このサイテーな世界の終わり」を彷彿とさせた。
そして帆高は警察に追われる身となりながらも我武者羅に走り抜け、かつて自分と同じだったらしい大人に「大人になれよ」と諭されたりもする。(それにしても、なぜ映画の主人公はあんなにも走るのだろうか)
<あれほど>派手に道を踏み外しても、さほど難なく社会復帰できているのは、少年法に守られて保護観察処分とされたからに他ならない。
銃をぶっぱなしても、ひと夏の非行でおしまい。煮え湯を飲まされた警察からしたら、無敵の人である。
しかしながら、私は未成年だったころに感じていた不自由さ、窮屈さを帆高にどこか重ね合わせて、彼の若さゆえの無鉄砲さと浅薄さすら、手放しで美談にしてしまいたくなる。
それは自分が大人になったからなのかもしれない。
また、陽菜の役割に関して、個人的には、誰かが人柱として犠牲になるのならその恩恵を受ける人は皆それを知り、何らかの思いを抱いてほしいと思う。それには英雄譚、伝説、民話、さまざまな形が考えられるけれども、必ずしも全員が代償を払ったり感謝しなくてもよい。それはやりたい人が自発的にすることだ。ただ、その時そんな人がいた、と知ってほしい。
だから、陽菜に関心を向ける大人がいないと気付いた帆高の最後の選択は大いに支持したい。よくやった、少年。
ところで、作品冒頭シーンでバニラの求人トラックが歓楽街の象徴と言わんばかりに見事な舞台装置として機能していたように思う。
それには、風俗業界が健全か必要悪かセーフティネットかをおいても、風俗の求人アドトラックですら、一つの都市文化として一般人に認知されきったのだな、という小気味よさがあった。
流行らせたいことは耳に残る音楽を繰り返せばいいのか。
なんて単純なんだろう。いや、それが大衆化ってことか。
それにしても、天気の子の世界では防水に役立つゴム関連株が高騰していそうだし、都心の不動産価格が暴落しそうだし、保険会社のいくつかは派手にぶっつぶれているだろうし、政府は助成金の捻出に四苦八苦し、熱帯雨林化した東京で新たな生態系が生まれて学者がわきわきするとか、いろいろ妄想が捗って楽しい。
期待しないで行ったせいもあるが、全体的にすっきりとした良作だった。
ぜひこの夏のうちにぜひ観に行ってほしい。
没入感を得るために、歌舞伎町を一回りしてからの東宝シネマズがおすすめである。