エクストリーム7年生 (1)

   プロローグ・謎の赤マスク

「助けてくれー!!」
 夜の帳が下りたキャンパスを、一人の男子学生が疾駆していた。彼が振り返るたびに追手の姿は近づき、焦りは募るばかりであった。
 ──僕が何をしたというのか、何がいけなかったのか。酸欠気味の頭であれこれ考えるが、まともな答えは出なかった。なんとか正門の警備員詰所まで逃げ切ろうとした矢先、下り坂で足がもつれて転んでしまった。ほどなく三人の追手に取り押さえられると、彼はキャンパス内にある山林へと連れていかれた。

「ぼ、僕が何をしたというんだ!」
 一人の男に羽交い絞めにされた学生は、正面に立つもう一人に向かって叫んだ。見張り役の一人も含めた追手はいずれも背が高く屈強で、線が細く背の低い学生とは対象的だった。
「お前のような奴はこの大学には邪魔だ、消えろ」
 正面の男がズボンのポケットから折り畳み式のナイフを取り出した。殺される──これから起こる出来事を予感し、学生は我が身を呪った。たった一科目が不合格になったために、卒業も内定も失った。5年生という汚名を被って新年度を迎えた途端、こんな形で人生を──

「エクストリイィィィィィィィィィィィィム!!」

 およそ人間が発したとは思えない大音声が、その場にいた者の全身を震わせた。咄嗟に耳を塞ごうと腕を動かしたとき、学生は羽交い絞めが解けていることに気づいた。振り向くと、追手が首を真横に曲げて後ろに倒れていた。さらに目を凝らすと、誰かもう一人いるように見えた。

「貴様、何者だ!!」
 正面にいた男が、ナイフを構えながら叫んだ。異変に気付き合流した追手と共に、その眼は学生の斜め奥を見据えていた。ややあって現れた人間は、黒いジャージの上下に赤いマスクを被った奇妙な姿だった。やがて庇うように悠然と学生の前に立つと、あの大音声を再び発した。

「将来ある学生を消さんとする悪党ども、許さん!!」

 言うが早いか、左手に持っていた火炎瓶に着火して「悪党ども」のすぐそばにある木の根元に投げつけた。直撃ではないとはいえ間合いを取るべく二人が下がると、続けざまに文庫本ほどの小さな紙箱がいくつか投げ込まれた。見張り役だった男が赤マスクに攻撃しようと走り出したとき──想定外の破裂音と閃光と煙に襲われた。

「爆竹……箱ごとか」
 ほんの数秒の衝撃だったが、火薬が尽きたときには既に赤マスクも学生もいなくなっていた。下がっていたナイフ男はともかく、真正面で食らった見張り男は怒り心頭だった。
「くそう、あの野郎どこ行った!こうなったら徹底的に探して……」
「待て、消火が先だ。ここで火事が起こっては洒落にならん」
「ちっ……!」
「あの学生はいつでも消せる。しかし、あれは一体何者だ……?」

「怪我は無いかね」
「助かりました……ありがとうございます」
 キャンパスを正門から脱出し、学生は赤マスクに深々と頭を下げた。相変わらず顔は見えないが、テノールの利いた声は印象的だった。
「礼には及ばん。それより、私がいるから安心して通いたまえ」
「はい。でも……」
学生は伏し目がちになった。
「僕は5年生ですよ」
「そんなことは関係ない。学べるということが大事なんだ」
「はあ……」
 変人と思っていたのに急に道徳的なことを言いだしたので、学生は面食らった。
「では、さらばだ」
「あの」
 赤マスクが背を向けて去ろうとしたので、思わず呼び止めた。
「お名前は」
「……」
 赤マスクはしばらく黙っていたが、やがて静かに、
「エクストリーム7年生」
 それだけ言って、キャンパス脇の暗い道へと走り去った。

「エクストリーム……7年生……?」
 学生は、わけがわらかなくなり立ち尽くした。変人で、知的で、留年生。命の恩人とはいえ、できれば二度と会いたくないようにも思えた。

   (完)