(1)人生は牢獄?アヤワスカで感じたこと
一晩目のセレモニーが始まった。屋外のセレモニーなのに、強い雨が降っていて、空気がどんどん冷え込んでいく。祈りの場の中央で、焚火が大きく燃え盛っている。雨が降り続いても消えないように、ファイヤーキーパーが熱心に火の手入れを続けている。
アヤワスカを飲んで一時間くらい経ったころ、自分が重い憂うつを感じ始めていることに気がついた。わたしは去年の春にうつの診断をされている。だけど、わたしのうつは波があるので、アヤワスカを飲んでいるうちに、しばらくしたらうつの気持ちは消えるだろう、と最初は楽観的にとらえていた。アヤワスカセレモニーは、夜明けまで続く。まだまだ夜は長くて、時間はたっぷりある。
でも、時間が経つにつれて、わたしの憂うつは軽くなるどころか、ますます重くなっていった。消えたい。もう無理。すべて意味がない。何をしても悪い方向にいく。そういう考えが頭の中でどんどん大きくなって、他にはなにも感じられなくなっていった。
ああ、これが今夜「浄化・手放すべき感情」なのね、そう思って、無理やり吐いたり、シャーマンたちが奏でる音楽に合わせて踊って、気分を変えようとしてみた。踊ることは楽しいのだが、踊り終わるとまたうつが復活した。
本当は寝てはいけないことになっているんだけど、起きてうつを感じることに耐えられず、もう寝てしまおうと思った。目を閉じてみる。そうすると気持ち悪さに襲われる。目を開けると今度は憂うつで心も体も麻痺したように感じる。しまいには、シャーマンたちの演奏する祈りの音楽でさえ、わたしを休ませないための拷問のように感じ始めた。
苦しい、いやだな、どうして?うつの最中は、何を考えてもそのうつのループから抜け出せない。全部がうつの重力に負けて、うつのブラックホールに吸い込まれていく。どうしてわざわざアヤワスカセレモニーにまで来て、またうつの世界に引き込まれなきゃいけないんだろうか。
アヤワスカは、わたしのうつには効かないのか。そのことを確認するだけのセレモニーになるのかな。わたしの中に、静かに絶望が広がっていった。
そのうつの最中、「ああ、そうか、地球って牢獄なのかもな。」とふと思った。
「地球で生きるということは、
人間にとっては罰そのものなのかもしれない。
ここでは何をしても、何をがんばっても、
わたしたちは結局囚人にすぎない。
牢屋から出た、と思っても、その外にはまた別の牢屋がある。
そしてその外にはまた別の牢屋。
牢屋での人生をマシにするために、
そこここで楽しみや喜びを見出したとしても、
それは結局瞬間瞬間のはかない楽しみでしかないんだ。
それに気がついてしまったら、
二度ともとのようには世界を見ることはできないんだ。」
わたしの中の絶望は、取り返しがつかないと思うくらい深くなっていった。まさか、今回のアヤワスカセレモニーでの気づきが、「地球で生きることは囚人として生きることと同じで、それに気がついたら二度ともとのように世界を見ることができない」みたいな、とてつもなくネガティブなものになるとは思わなかった。
祈りの場にいつづけることが耐えられなくなった。わたしにはシャーマンたちの祈りが届かないように思えた。もう無駄だよ、って。
つづく