波動を弱めて生きています。
ここ1年、私は波動が弱い。
波動とは、「体験のすべてを仕事や自己実現につなげようとする」意識だったり、「何年後かの未来から逆算して今の行動を決めて」いたり、「周りを巻き込みながら何かを生み出す」熱量だったり。
そういう、人から溢れ出んとする力のことなのだと思う。
こういう文脈で「波動」という言葉に出会ったのはつい最近のことだ。
「波動の強い人との話はおもしろい!いつもこういう人と触れていたい!」
みたいな主旨のツイートか何かを見たときに
「そういえば最近、私の波動低いな」と感じたのがなんとなく心に残っていて、今回テーマにすることにした。
波動が強いと自覚していた時期
去年までの2年間ほど、わたしはずっと波動が強かった。
自分で立ち上げたメディアのことだけをずっと考えて、365日稼働することが楽しかった。
メディアは私の名刺代わりで、「鶏口牛後」な生き方に誇りを持ちながら、なかなか結果を出せない焦りと手取りの少なさを、やりがいと副業で補いながら過ごしていた。
最初は自然と溢れていた波動も、いつしか意識的に纏うものになっていた。
「波動が高い人」でいられるように様々な人に出会い、学びを得ようとしていた。SNSでは前向きで示唆のある発言をしようと努めていた。
元々ないところに被せただけのものは、ちょっとした衝撃で取れてしまう。
(この頃の話は別のnoteに書いているのでここでは省く)
ちょっと長めのお暇をもらったあと、新しく選んだ環境で、私は今波動弱めに生きている。そしてそれがちょうどいい。
今、本当に波動は弱いのか?
誤解がないように言うと、今いる会社がぬるまゆで、ゼロプレッシャーというわけでは全くない。
波動が弱めでも生きていけそうと思って選んだわけでもない。
自分に求められる業務の水準を満たしていなければ、降格のアラートが出るし、逆に十分に満たしていればちゃんと昇格する実力主義。
チームで追う目標は高く、未達成の場合はその理由と代替策をセットで求められる。
今までコンテンツを「つくる」だけだった自分に、コンテンツの価値を「測る」スキルをつける場所。そんな入社理由からもズレのない環境だと実感しながら働けている。
あれ、波動弱くなくないか?いやでも確実に去年の私のようなパワフルさはないのだ。何が違うんだろう。
今の時間の使い方を書き出してみると、項目的には去年と大きく変わらないのだ。
ただ一つ気づいたのは、その目的が全て自分に向くようになったということ。
今の私
・会社の業務→知的好奇心が刺激される&将来の自分をベースアップしてくれるスキル
・サーフィン→毎回の成長と&仲間との時間を楽しむ
・筋トレ→自分の体変わるの嬉しい
・栄養とカロリーを意識した自炊→自分の体にいいことしてる
・かなり稼働を減らした副業→楽しめる範囲で無理なく受ける
以前の私
・メディア業務→成果出さないといけない、仕事相手に責任を果たさなければいけない
・副業(4つくらい)→もっと稼がないといけない。収入源を増やすことが今の世の中大事だよね
・サーフィン→もっと時間をかけないといけない。誰かに認められないといけない
・筋トレ&自炊→痩せないといけない。今よりもっと体型コンプレックスが強かった
・パートナーとの時間づくり→会わないと拗ねられる
こうみると、去年はずっと「しなければならない」で動いていることが多くて「したい」で動くことが少なかった。
趣味のはずのサーフィンでさえも、「海に入らないとさぼっているみたい」という強迫観念に駆られていた時期もあったほど。
パワフルというより、追い立てられて走っているだけ。
その必死な形相が「波動が強い人」に見せていただけだったような気もする。
波動が自分向きになっただけ?
今は仕事の時間自体減らしていることもあるけれど、前提として「やりたいかやりたくないか」を軸に日々を生きている。
アクションを誰かに見せたり、伝えたりして、認めてもらいたいと思っていないので、意見交換も必要ない。
外への発信も、新しい人との出会いも、ただ楽しめるかをベースにするかしないかを決めているので、そのことが学びに繋がったかどうかなんて考えない。(自然に蓄えられている感覚)
それよりもノンストレスで生きることを大切にしている。
そして私は今、自分の毎日とこれからの未来が楽しみで仕方がない。
自分にも他人にもプレッシャーをかけて生きていたあの日よりずっと。
以前の私が人に向ける視線やベクトルは槍のような矢印で、「メリット/デメリット」「GIVE/TAKE」の二元論を常に問いかけていた。
それが波動のように見えていたのかもしれないし、もしかしたら波動でもなんでもなかったのかもしれない。
今は矢印は消えて、自分の周りに大きな円がある感じ。それは外部のストレスや固定観念から自分を守る盾でもある。たまに広がって誰かを受け入れたり、自然と境界になったりする。
だんだんこっちの方が波動っぽいイメージになってきた。
別に波動が強かろうと弱かろうといいのです。いいのですが、
パワフルな時期を過ごしたあとにそうでもない時期があると、「なんか最近やる気がないのはなんでだろう」と、またその頃の自分を取り戻さなければいけないような気持ちになることないですか?
私は最近までそんな気持ちに駆られて、波動が弱い自分に物足りなさを感じていました。でもパワーの向きと形を変えたんだなと思えたらほっとできて、悪くないよな、今の自分って思えるようになったのです。
インテグレーションジャーニーにあてはめてみた
日常:メディアやっていたころ。パワフル&とげとげ
旅立ち:無理が来てお休み→自分軸へ
拒絶:え、こんな波動低い私、私じゃない・・・!
出会い:今の仕事と仲間(サーフィン仲間も)とのバランス心地よいかも。一緒に成長していきたい。
今ココ(この先どんな試練が待っているのでしょうか)
今回のマガジンのテーマを忘れて、すっかり自由に自分を振り返ってしまった。最後に当てはめて考えてみると、「頑張ってなさそうな自分」に焦りを感じていたのは、拒絶だったのだなと。
必要なプロセスだったことがあらためてわかる。
偉大なり、インテグレーションジャーニー。
そして去年、旅立ちの時期を過ごしたハワイで、今このnoteを書いているという私のストーリー性の高さ。持ってる。
いい具合に自己重要感が高まってきたところで、今回は締めます。
企画してくれたりみさん、まーさん、ありがとう!