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「書く」の呪縛に手を差し伸べてくれた方へ

6月、ライティングコミュニティ『sentence』に入会した。

『sentence』は、”「書く」を学び合う”がコンセプトのコミュニティ。
入会しているのは、ライターや編集が本職の方や書くことを日常として大切にされている方。
slackの多種多様なチャンネルを通して、お互いに優しく、そして真摯に知識や経験を共有しあっている。

そんなコミュニティ内で、私は先日、こんな悩みを共有した。

“書き続けられない”

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これは、私が入会前からずっとコンプレックスに思っていたことだ。

ライター・編集という肩書きを持っているが、私は偉く遅筆でしかも気分屋。
さらに変なところでこじらせた、完璧主義なところもある。
だから、お仕事の締め切りに迷惑をかけないまでも、自分の文章はからっきし続かない。『sentence』に入会したのも、この自分のだらしなさから脱却し、「自分名義の文章をしっかりアウトプットしたい」という目標があったからだ。

にもかかわらず6月に入会してから、私はコミュニティを通して、ただの1本も自分の文章を更新できてなかった。
他のみなさんが精力的に活動されているところを眺めながら、「尊い!」と思ってアドリアクションを押す日々。
純粋にすごいと思いつつ、心のどこかで、入会前から消えないコンプレックスとともに、自分への劣等感を募らせていたと思う。

「この気持ちをなんとか昇華させねば……」
そう思ってえいやと出したのが、先の悩み相談になる。

自分を縛ってた“呪い“

書くことを生業とする自分にとって、弱みを曝け出すような悩み。
(送ったのが土日で、最初のリアクションがつくまでヒヤヒヤしたのを覚えている笑)
こんな甘えのような言葉にもかかわらず、コミュニティのみなさんは優しく、共感の言葉やアドバイスを送ってくれた。

どの方の言葉も大切に心に刻んでいるけど、ひときわ胸に響いたのが、くらげさんという方の言葉だった。
彼はコミュニティ内ではかなりベテランで、自身のnoteの更新量も半端じゃない。
私が羨望の眼差しを向けていた方の一人だ。

くらげさんの言葉や書くことに対する問いは、このnoteにまとまっているのでぜひ一読いただきたい。
彼からの言葉で、私は自分の中の「書くことを好きになるための“呪い“」に気づかされることになる。

コンスタントに書くというのは文章がうまくなる「前提」であって、文章を書く「結果」ではないのだ。この因果関係を間違えると「毎日書くこと」が目的になって、「書くことの意味」がおざなりになることだってある。

noteのこの一節は、まさに私のこれまでの状態を表していた。

「毎日書かなきゃ、そうじゃないとうまくならない」
「書けない自分はなんてダメなやつなんだ」

勝手に否定的になって、本当の目的や意味を忘れていく。
これこそ私の中の“呪い“だった。

いずれにせよ、あなたが「書く」ことの意味は「毎日書くかどうか」ではない。「何を書いたか」であり、「読者の心をどう揺さぶったか」であり、「そのことを書いたことであなたはどう変わったか?」ということである。

今思うと本当にこの通りだなと思うばかり。
だけどnoteを読み終わったときの自分にとっては、心の重さをすとん解き放ってくれる言葉だった。

この世は”楽しい“ものづくり地獄

今日、久々にnoteを開き、この筆をとっている。
僭越ながら今回の悩み相談に関して、お礼とそのアンサーをしたいと思ったのだ。

実際まだ、自分の中の書く意味については、 見つけきれていない。
(そのうち、つらつらと思考して書いてみたいなとは思う)
ただ以前よりは前向きに、書けている気がする。
これもみなさんの言葉のおかげだろう。

永く根深い、コンプレックスが詰まった『呪い』の紐だ。
まだまだ先っぽを少し解いたくらいかもしれない。
大好きな星野源は、著書『蘇る変態』の中で自身の活動を“ものづくり地獄“と言っていた。

毎日書き続けられなくてもいい、ヘタクソでもいい。
例えどんなに地獄でも、その先にきっと快があると信じて、この呪いを解いていきたい。

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