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祖父との別れ、人生の短さを実感|ライフキャリアコーチへの軌跡(13)

自分の業務量を見直して、そもそも自分の手元に残った業務が自分のやりたいことなのかなど漠然とした悩みが続いていた中、祖父が急遽入院することになりました。「やりたいことができてない」というぼんやりした悩みにひとりで浸っているわけにはいかない状況になり、“おじいちゃんと過ごす時間”を可能な限り作ることに集中し始めました。その約1ヶ月間は仕事が終わったらそのまま病院に直行する毎日を過ごし、可能な限り一瞬でも祖父の生きている姿を見逃さないように一生懸命だったと振り返ります。
 
祖父の容態はなかなか改善せず、病院に入院していたころはコロナ禍だったため気軽に会いに行けることができませんでしたが、その後ホスピスに移ることになりました。ホスピスに移るということはどういうことなのか察するだけでとても心が締め付けられました。でも、そのホスピスは面会に関してとても寛容でいつ来てもいいし、犬も入っていいと言ってくれたのです。祖父が自分で選んだ場所なのかなと思うくらい、最後は色んな人も動物も彼に会いに行きました。
 
不思議な奇跡も起こるものです。
 
あるとき私一人だけ家族みんなが来る前にホスピスに到着したことがありました。祖父は認知症も進んでいたので、もともと寡黙でしたがより寡黙になっていました。到着したときも意識が朦朧として寝ている状態だったので物音を立てずにベット回りを整えたりしていました。すると、予定よりも早くホスピスの訪問医の先生が到着し、たまたま私がそこにいたことで診断結果を直接伺うことができました。そのときの診断結果はいよいよ余命が1週間かどうかというところ。もし付き添いがいなければ診断内容の書面が預けられるだけの状況で、話を直接聞くことができてよかったと思いました。また、私がその場にいたことで、ホスピスに向かう途中の家族に電話で繋ぐこともできたので。
 
先生の一連の話が終わって、まだ寝ている祖父の部屋に戻り、余命の話を聞いて頭の整理がつかず、部屋の中にあった洗面所の水で手を洗っているとき、急に後ろから「ななちゃん、元気か?」と祖父が声をかけてきたんです。顔を見たら目がぱっちり開いていて、認知症もない頃の祖父のようでした。意識がはっきりしていて。基本は寡黙ですが、孫が来るとひょうきんなことを言ったりしたり、楽しませようとしてくれる祖父でした。それは認知症のときにもそうでしたが、でも、その声をかけてくれた瞬間は完全に認知症もなかった頃の表情に感じたんです。
 
今、このホスピスにいることをどう感じてるんだろうとか、どこまで自分の状況を把握しているんだろうとか、そういう具体的な話は通じない中で、でも、その「ななちゃん、元気か?」という一言には大きな愛が詰まっているようにストンと落ちてきました。この会話ができることさえ奇跡なんだなと強く実感した瞬間でした。もしかしたら、今のこの瞬間なら何か聞いておくべきことが聞けるのかもしれないとピンときて、また、おじいちゃんには自分の人生を振り返ってみてほしいなと思ったので、「じじは今まで色んな国に出張してたけど、どの国が一番よかったの?」と聞いてみました。そうすると、「ヨーロッパかなあ・・・」と言って、私がフラメンコを習っていたことを覚えているので、フラメンコの踊りの真似を手だけで表現していたり、この会話を交わせることの貴重な時間を噛み締めながら会話を楽しみました。
 
あとは、きっと今のおじいちゃんの身体にいるおじいちゃんに感謝の気持ちを伝えるのは今がいいんだろうなと感じて、「じじ、たくさん愛をくれてありがとうね」と伝えました。でもこんな言葉を自分が発すると思わなかったです。表面上の祖父はそれをどこまで理解しているのかはわかりませんでしたが、まるで祖父がふたりいるような感じで、もうひとりの祖父はしっかり聞き留めてくれているような・・・そんな不思議な気分を味わいました。1対1で同じ空間で会話を交わした本当に貴重な時間だったと感じています。
 
祖父の地球での生活最期の日は、たまたま残業が長引いたことで習い事に行くのを断念し、家に真っすぐ帰ることに決めてから、電車に乗っている間に家族からお知らせが入ってきました。「もしかしたら今日かもしれない」と。父が最寄り駅に車で迎えに来てくれていて「間に合わないかもしれないし、今から行くと夜遅くなるけど大丈夫?」と聞いてくれましたが、何が何でもたどり着かないといけないし、最期の奇跡を見届けなくてはいけない、そんな気持ちが大きくなっていたので連れて行ってもらうことにしました。
 
車でホスピスに向かっている途中、母から「じじは天国へ旅立ちました」というメッセージが届きました。ああ、間に合わなかったのか・・・と最初は思いました。でも、まだ身体の中に魂が残っていて待ってくれてる気がして、引き続き向かいました。ホスピスに着いて、いつもの部屋に行くと、それまではゼーハーゼーハーと荒い息の音がしていたのに、シーーーーンとしていて。音がしないってこういうことか、というくらいに。

こんなにも空間の雰囲気は変わるのかと感じました。今まで気づかなかったけどゼーハーゼーハー聞こえているときはオレンジっぽい雰囲気で、シーーンとした今は紺色のような暗い雰囲気。比較したことで気づいた違いでした。

祖母が私が到着したのを確認すると「見てごらん、じじはとても幸せそうな顔だよ」と言って側に連れて行ってくれて「まだ温かいんだよ、触れてごらん」と言ってくれました。触れてみると本当にまだ温かくて、そのとき直感で「やっぱりまだ血が通ってるってことは反応できるほどの力はないけどまだ身体にいるんだな」という思いが湧きました。なので、手や顔に触れてみて、来たよ!ということを伝えてみました。NLPの勉強をして、目に見えない反応を脳はすることを学んでいたからこそ腑に落ちたような、そんな気持ちでした。耳元で「じじ、ありがとうね」と伝わるように願いながら言い続けてみました。

「もし、じじが意識がまだあったらどう感じるんだろう」とふと思い立って想像を膨らませました。孫が来てくれて嬉しいかな、もうどこも痛くないのかな、幸せな気分なのかなとか。ふと思いついたのが、きっと生まれたころからこれまでの人生を振り返ったんじゃないかなということ。それを自分も想像してみたときに「人生って短い」その言葉が頭に流れてきました。

「もし自分が明日目覚めなかったらどう思うんだろう。じじみたいに幸せな顔をしているだろうか。いや、まだやりきったって思える人生になってないな。だってあれもこれもできてないものたくさんある。どうしていつかやろうって思ってるんだろう、いつかっていつなんだろう、振り返ったら一瞬ならやる前に息を引き取ったらできないんだ」どんどん思いが膨らんでいきました。焦り始めました。やりたいことできてないじゃん!と。

「じゃあ、私が子供の頃にやりたかったけどまだ実現してないことってなんだろう・・・」自分で自分に無意識にその質問をする時間が増えていきました。焦りの気持ちとともに。生きているうちにやらないといけなくて、じゃあ何をしたかったんだっけ?と。

その日を境にやりたいことにやっと正面から向き合って、自分の中にあるはずのやりたいことを自分の中から探す過程がスタートしていきました。

(追記:祖父の命日は13日でしたがこの記事の番号も(13)であることに少し嬉しさを感じています)

次に続く・・・


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