言葉についてこねくり回す②
メンタルが弱っているとほんっとうにしょうもないことでさらに悲しくなってくる。
いちごみるくの角がへこんだとか、なにも賭けてないじゃんけんで負けたとか、その程度ですべてを放棄したくなって、
頭は冷静にいやそれだけじゃんと判断を下しているのに、腹筋のあたりがぐらっと熱くなってしまうのを観測こそすれ制御ができない。
幽体離脱の下位互換みたいな感じじゃないだろうか。
というわけで本日も言葉について思うことをこねくり回すだけ。
保定
細かいことはよく知らないが、保定という単語が好きだ。
動物とかを診察・治療するときに、ケガをしない方法で動かないようにする押さえ方、でいいのかな。
特に、しっぽをつかむとおとなしくなる、とか、この体勢でくるむと落ち着くらしい、とか、そういう生き物の特性を利用したやつがすごい好きだ。
なんでそうなるんだろうっていうのもあるし、生き物のことを知っているがゆえの技能みたいな知の結晶的なやつがものすごくかっこよく感じる。
これは言葉の話ではなかったな。
家族
血のつながりに絶対的な意味を見出すことにこだわり続けるのはナンセンスだと思っているが、その話はまた今度とする。
家族、というものが指す意味が2種類あると思っている。というか、なぜ使い分けるための単語が2種類ないんだろうとずっと思っている。
ホストファミリーだとか生みの親と育ての親だとか、そういうくくりでも考えられるが、もうすこし何も考えず「ふつう」と思われる多くの状況でも、使い分けたほうが便利なはずだろうと思っている。
が、適切な新単語を提唱することができていない。
便宜上「既存家族」と「創出家族」とするが、自分でも納得はいっていない。
「既存家族」は、自分が構成要員のひとりとして生まれてくるほう、自分が生まれた時、すでにどのグループに属するか規定されているほう。簡単に言ってしまえば、親と自分たち(子)で構成されるほうの家族。
「創出家族」は、自分が(理想的には自由意志によって選んだ)配偶者と婚姻関係を結ぶことによって作るほう。結婚式とかで「新しい家庭をつくっていきます」とかいうほう。自分たち(親)と多くの場合は子で構成されるほうの家族。
例えば、ご家族は?と聞くこと自体がデリカシーがなく令和の時代に適応していないと言ってしまえばその通りなのだが、わからなければ聞けばいいだけかもしれないが、家族は地方におりまして、というのが、親は実家にいるが自分が独立してこっちにきた話なのか、配偶者と子どもを置いて単身赴任している話なのか、いまいちはっきりしない。
というか、やっぱり性質が違う気がするのだ。生まれた時にすでに決められているところにほぼ強制的に加入するものと、自身の選択によって新しく他人と構築していこうとするものとでは。
そういう使い分けがされている言語ってないんだろうか。
自分の生まれた家庭から独立して新しい家庭を作ったとしても、既存家族も家族であることには変わりがないという人が大半だろうし。
ひとつの家庭で、親から見た場合と子どもから見た場合で呼び方が異なるというのが簡便でないからか?
これだけ
どっちだと思いました?
これだけだけど、だと少ないことを指し、これだけの人が、と言えば多いことを指すの、ほんとに私が日本語学習者だったらキレると思う。
たぶん語源とか語幹とか品詞が違うような気がするけど、イントネーションと文脈で正反対の意味になるのはさすがにひどいなと思う。
これだけしかない、これだけ多くの、と言ってくれればまだマシか。
6月3日、1時間半、1500字