運が良いか悪いかは、自分で決められる、と思う。
遅くなったが、3日坊主回避のために、今日も日記を書く。
今日は、一般的に言うと「運が悪かった日」かもしれない。
その理由は、何度もトラブルに見舞われたからだ。
ひとつひとつは些細ではあったが、1日でこうも連続するというのは、珍しいことなんじゃないだろうか。
起こったトラブルを、以下に書いてみる。
ジムに行くために外に出た際、家の鍵を忘れた
スタバでチャイラテを頼んだら、女の子が間違って私のチャイラテを持って行ってしまった
ジム用のバッグのチャック部分が壊れた
私は在宅ワーカー且つインドア派で余り外に出ないため、あまりこういった「ツイてないな」案件に遭遇しないのである。
以下に、もう少し詳細に説明してみる。
運が悪かったと思われる出来事の詳細
まず、1.では、ジムに行くために外に出たは良いが、なんと、家の鍵を忘れて出てしまった。
しかし自分では「鍵を持って出た」と思い込んでいたために、ジムの帰りに寄ったスタバで、ジム用の大きな鞄をゴソゴソと漁る羽目になった。(幾ら漁っても、当然出てこないわけだが)
注文した後、チャイラテを待つ間にゴソゴソしていたのだが、その間に起こったトラブルが2.である。
「チャイラテのトールサイズをお待ちのお客様〜」
店員さんの声が聞こえる。
しかしながら、鞄をゴソゴソしているためにすぐに反応ができない。すると側にいた女の子がスッと、恐らく私のチャイラテであろうドリンクを持って、出て行ってしまったのである。
だが、もしかしたら彼女もチャイラテを注文したのであって、私のチャイラテではないのかもしれない。その答えは、すぐにわかった。
「ほうじ茶ラテのグランデサイズをお待ちのお客様〜」
・・・。(し〜〜ん)
店内で商品を待っているのは私だけ。当然、店員さんと目が合う。
ここで私は、やはりさっきの女の子が間違って持っていってしまったんだなと、正しく状況を理解した。
事情を説明して、商品をチャイラテのトールサイズに変えてもらって、一度鍵を落としていないかジムに戻ってみることにした。
ジムのフリースペースで、もう一度鞄を開いてみる。
でもやはり鍵は見つからなくて、ジッパーをジーッと締めた、その時である。
なんと、ジッパーがそのまま明後日の方へ飛んでいってしまったのだ!
こんなことってあるだろうか。コントかよ。
でもね、本当にあるんだよ。
鞄が壊れたのはショックだが、それ以前に鍵がないと非常にマズい。家に入れない。「でも、ここで立ち往生していても何も変わらないし」と一旦家に戻ることにした。
オートロックはゴミ捨て場の方から入ることができたので何とかクリア。
部屋の鍵は、なんと閉め忘れていた。何とも無用心である。
そして無くしたと思っていた鍵は、玄関に丁寧に置かれていた。
…つまり、最初から鍵を忘れて外出していたのである。
でも、運が悪かったとは思っていない
いろいろあったが、それでも私は、自分が「運が悪かった」とは思っていない。むしろ、運がよかったとすら思っている。
「一般的に言うと運が悪かった日なんだろう」とか「運が悪かったと思われる出来事」とかいう表現をしたのは、私自身が、運が悪いとは思っていないからだ。
私は「運が良い、悪い」とは、自分が決めるものだと思っている。
自分にとって運が悪いことであっても、誰かにとっては運が良いことであったりする。つまりその出来事を、その人がどう受け取るかによって、運が悪い、良いが決まるのだ。
例えば、「今週スタバのチャイラテ1回しか飲めなかったよ」という発言では、運が悪いという見方になるが、誰かにとっては「忙しすぎてスタバなんて行けなかったよ!良いじゃん!」となる可能性もある。
つまり見方を変えれば、「今週はスタバのチャイラテ飲めた!私は運が良い!」と言い換えることもできるわけである。
また、この記事では、”悪い部分”にだけフォーカスが当たった書き方をしている。「じゃあ今日は本当に丸一日、運が悪いと思うようなことばかりだったのか?」と考えると、案外そうではない。
まず、ジムに行くために早起きができている。私はいつも昼過ぎまでつい寝てしまうので、これはまず非常にラッキーなことである。
更に、鍵をなくしたと思っていたがなくしていなかった。部屋も空き巣に入られたりしていなかった。非常にラッキーである。
鞄のジッパーが明後日の方へ飛んでいってしまったこと。これは少し悲しい出来事ではあるが、そればかりでもない。鞄は、特に高いものでもないので、買いなおせば良い。そして、今回の件で「安い鞄は壊れやすい」というのがわかったので、「後々のことも考えて、良い鞄を買うべきである」という教訓も得られた。
最後にスタバの件。これは、店員さんに事情を伝えたらすぐに作り直してくれたので、運が良かった。むしろ運が悪かったのは、間違って持っていってしまった女の子の方かもしれない。
ほうじ茶ラテとチャイラテじゃだいぶ違うし、グランデサイズとトールサイズも違う。女の子が悲しい気持ちになっていないか、心配である。
そして更に、今日は行きつけの美容室に行って、髪を綺麗にしてもらった。とても気持ちが良かったし、今日の一連の話もネタとして話して、随分盛り上がった。帰り際、担当の美容師さんが今日で最後だったので、退職祝いの品をプレゼントしたら、とても喜んでくれた。総じて幸せな時間を過ごさせてもらった。
長くなったが、そんなわけで、私にとってこれらは寧ろ「運が良かった」出来事なのだった。
運が悪い…と凹みすぎる前に思い出してみて欲しいこと
もちろん、今回のように全て「運が良かった」という方向に結びつける必要はない。寧ろ、無理やり運が良かったと思い込もうとすることは、心に重い負荷がかかるので避けた方が良い。
何でも「運が悪い」と受け取りがちな人は、最初のうちは「この出来事の悪いところばかり見てしまっているけど、良いところはないだろうか?」と少し立ち止まってみることから始めると良いかもしれない。
”運の悪い出来事だった”というのはまず認めて、”でも、もしかしたら良いことでもあるのかも”と考えるのである。
それを繰り返すことで、段々、物事の「良いところ」と「悪いところ」の両方が見えるようになってくる。少なくとも、私の場合はそうだった。
あとは、もっと俯瞰して見てみると良いと思う。
私の今回の例で言えば、些細なトラブルには見舞われたものの、「今日一日」で見たとき、それ以外にも幸せな出来事はあった。
じゃあ「今週」で見たら、「今月」で見たら、「今年」で見たら、「人生」で見たらどうだろうか。
そうしたら、もしかしたらあなたは「なんて些細な出来事に取り憑かれていたんだ!」と思うかもしれない。