スニーカーエイジ観てきました
画像は阪急のレゴ宝塚です。
この展示のすぐ近くにある『ビクター』という喫茶店のモーニングがすごく美味しかった。
クロックムッシュ最高だしカフェラテも美味しいし素敵な朝ごはんでした。また行きたい。
というわけでスニーカーエイジを観てきました。
最初の学校のギターソロが圧巻。のっけから凄すぎてぽかーんとしてしまった。
そのあとエントリーナンバー2のサザンでブチ上がりました。ああいうのが大好き。リスペクトを感じた。
ロックバンド塾の四人も良かったです。スリーピース+ボーカルであれだけ迫力あるとはさすが全国レベル。
台湾の学校はボーカルが綺麗すぎて思わず「うまー」と口に出てしまった。
タマシイレボリューションも良かったなあ、身体に音がめちゃくちゃ響いた。
兎にも角にもハイレベルな演奏ばかりでした。中学校も高校もクオリティ高すぎる。
おかげさまで投稿した途端に止まりかけていた筆が動き始めて寝れてないです。寝ろ。
で、今日は朝から歩き詰めです。車社会に慣れきっているのでしんどい
大阪に行ったのは何年前だか忘れてしまう程度の昔なので、ひたすらSiriとGoogleマップに振り回されながら駅周辺だけをうろうろしておりました。お前嘘ばっか教えるな。ホテルの場所も遠回りさせよってからに。
最初は大阪城行こうかと思ったけど歩きで1時間かかるからやめまして(軟弱者)、じゃあどうするか、と考えたときに一つ思い出しました。
大阪にはニンテンドーストアがあるじゃない。あとポケセン。
意気揚々と行ってみれば同じフロアにあるし。ありがたや。
あほみたいに一人で盛り上がりながら店内見てたら、ジャックのぬいぐるみを見つけてしまったので即買いです。あとハンカチにメリヤスちゃんがいたからそれも。
ぬいぐるみ、一番好きなビンタがいないのが残念。ポケ森コンプリートもお供はビンタなので若干の悲しみ。ミッチェルやみすずやジュンも可愛いけどビンタもたまには思い出してください……
あとゼルダ好きの家族のために旅コログ。
ポケセンではナマコブシのぬいぐるみを首尾よくゲットいたしました。東京駅よりでかいのね。
レジの人がナマコブシを優しくショッパーに入れたあと「たくさん可愛がってあげてくださいね」と言ってくれて愛を感じました。こういうとこが好きなのよ任天堂。一生ついてく。
あとは新幹線の車内で読む本も買いました。旅先で本屋に寄るのは最早習性。
ここまでは良かった。
ロッカーからスーツケース出して、クリスマスということで運良く焼きたてのりくろーおじさんのチーズケーキを複数個買い、お世話になっている親戚にも配る為551蓬莱をしこたま買ったら両手が完全に塞がった。あかん。
腕が今めちゃくちゃ痛い。しかも一万二千歩歩いてる。普段一日二千歩歩けばいい暮らしの身体が悲鳴を上げており……待合室で座ったら
もう疲れちゃって 全然動けなくってェ……
知らない街で限られた時間の中上手く遊ぶのは難しい、とはあずまんが大王のゆかりちゃんの名言ですがほんそれ。
名古屋も大概人当たりしてメンタルゴリっと行きましたが(あれは連休に行くのが悪い)、大阪は純粋に右も左もわからないのでそっちのしんどさがある。
でも側から見たら551蓬莱の保冷袋とりくろーおじさんの紙袋にニンテンドーストアとポケセンのショッパー持ってて、ただただ大阪満喫した人である。すみませんとても楽しかったです。足腰より腕がしんどいたすけて
ところで全く演奏と関係ないのですが、昨日ステージを見ていて、なんかスクリーンのCMの字が読みづらいなーと思い、何回か目薬さしたんですが、今新幹線の電光掲示板が全く読めなくなっていることに気がつきました。
これは老眼か?
ずっと裸眼で生きてきた(かと言って視力はよくないし死ぬほど乱視)のでメガネは作ってもかけない人間でしたが、いよいよ年貢の納め時がきたようです。
まあ、丸二年パソコンのモニターとスマホだけ見てたらなりもするか……
むしろ今まで目薬さす以外よく何もしないできたな、我ながら。
その目薬も、いつも使ってる高級品をまだ半分残した状態で、この旅の始めに落として紛失してます。かなしい
来年もまた大阪で全国大会があるそうです。
そこまでは必ず取材に行くと決めているので、来年は早めに宿を取って、可能であれば家族旅行にしたいですが、まあ難しいかなあ。年末も年末だし。
例のウイルスで旅行もなかなか行かなかったし、キャンプも道具買ったけど、猫飼い始めたり流行りすぎてキャンプ場が密で行くのやめてそれっきりなので、名古屋以外にもどっか行っときたいんですけどね。
話変わります。
住まいの近隣で手話サークルを探してみましたが、聾の方がいる会がなさそうで躊躇。
遠い昔、母に連れられて聾の方がいるサークルに参加したことがあるのですが、何しろ子供も子供(ろう文化宣言前)だったので、あまり記憶が無いのです。覚えてる手話も名前と自己紹介だけだし。
あの時いた聾者のお姉さんは今どうしてるかな、お元気かなあ、と、今書いてる話のファイルを開くたびに思い出します。
当時使っていたテキストの『わたしたちの手話』を全日本ろうあ連盟のサイトで見つけた時の衝撃よ。
これだー!って叫んだ。まじで。
聴者だけで集まって手話を勉強するのは嫌なんですよね。
その聾のお姉さんの前で、手話歌の『四季の歌』を聴者の女子高生が歌っていましたが、どんな顔でそれを見ていたかが思い出せない。
カクヨムとなろうの話、最初のうちは単に楽しく趣味で書いてただけですが、八歳からずっと心に引っかかったままのそれを思い出してからは、その答えを出したくて参考文献やら論文やらの資料だけを頼りに書いています。
ちゃんと当事者の方から聞かなければならないことばかりだし、聞きたいことがたくさんあるけど、何から聞いたらいいかわからないな……
そもそも私がコミュニケーション取れるかってとこからですね。この間も美容院でほぼ無言だったからな。精進しなさい。