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いいわるい

こんにちは☺︎

昨日のnoteを書いてから、24時間経たないうちにまた似たようなことを書くのって、毎日決まった時間に自分の身の回りに起きたあんなことやこんなこと、言ったって誰も得しないような自分にしか分かんないことを書くような、物書きさんみたいな気持ちになる。

今はゆらゆら電車に揺られながら、スマホと睨めっこしながら書いています。ああ、書いてるところはひとに見られたくないけどね。

おおお。ちゃんと席譲った、お姉さん。おばあちゃん座った、よかった。

わたしもだけど、100人いれば100通りのいい悪いがあって、よかれと思ってやったことでもあからさまに余計なお世話だ、みたいな顔をされるときだってあるし、いい悪いがどっかちに転ぶまでの過程は、思っている以上に複雑で。間違いと正しいも然り。

もし、悪いことが起きてしまっても、大丈夫、と自分を言い聞かせることができたら気持ちは楽だろうし、もし、悪いことを目の前でしている人を思いっきり注意できたらせいせいするはず。

でも、ひとって、勇気を出してやってみた結果と頭の中でこうなるだろうって考えてたことのギャップを恐れるし、最初のそれとひとの考えの違いを受け入れられずに怒ったりもしちゃう。

違ってていいって分かってるのに、なぜだかこの違いが居心地が悪い。もしこうなってしまうのが仕方のないこととみんなが知っていたとしたら、きっとみんなこころのトレーニングが必要なんじゃないかなと思う。こころのあり方がわたしになるんだ。わたしも鍛えたい。

「こころがこころであるために」さあ、なにを準備してなにをしたらいいんだろう。考えて自分の中に落とし込むことができたら、きっとみんな今より幸せだろうと思うんです。

ネックレスをつけること自体久しぶりで、少し嬉しかったのにチェーンが見事に切れてしまいました。でも、きっと何かが変わるときでチャンスなんだと思ってまた嬉しい。



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