【こころの記憶】2023年上半期
おはよう。
こんにちは。
こんばんは。
わたしにとって、これからもきっとそうだろうけど、
“今”何をどう感じていて、
“今"のわたしはどうなのか。
こんなことをきっちり残さずにはいられないのだ。
思い出も、ちょっとした出来事も、うれしいも悲しいも悔しいも大好きも大っ嫌いも。
時間が経てばどうせ忘れるし、忘れたところで、誰も何も損しないし何も起きない。
でも、大切なこころの記憶たちが、わたしの人生の中でなかったことのようになってしまわないか、いつもびくびくしているのかもしれない。
自分の日記なるノートを振り返って読んでいると、誰にも見られなくても知ってもらわなくてもいいけど、大切にしたいものがあるとかなんとか書いてあった。
そう、誰の目にも留まらなくていいし記憶にも残らなくていいし、ましてや誰かの人生に訴えかけようなんて滅相もないのだけど、ただ、過去のわたしと未来へのわたしへの「ありがとう」や「ごめんね」を、これを見返したときに伝えられるように、
きっと、わたしのこころの中の記憶たちが、いつかのわたしや大切な誰かを救ってくれると信じて、こんな、なんでもないことに時間を使いたいのかもしれない。
写真を見たり、ノートを読んだりしていると、まあ、いろんな感情や出来事が思い出されて溢れてくる。
同じことを、何度もやっているはずなのに、そのたびにわたしのこころの中はたちまち騒がしくなるのだ。
ちょっと前は、ここに書くことが気持ちが良くてうれしくて、見てもらいたかったけど、今はちょっと違うかも。
もう十分振り返って、こころの中をわしゃわしゃしたから、もういいや。
そんな燃え尽きたような気持ちでいる。
あんなに寒くて死にそうだったのに、暑くてくさくてベタベタして鬱陶しいくらいに暑い季節になったし、
相手の顔も見えなくて、自分の顔も半分しか見せてないマスク生活が当たり前だったのが、まるで嘘だったみたいに思えるし、
家を出る前には深呼吸して、帰ってからもひとりで、どこか寂しくて満たされてなかったのに、
ああなりたい、こうしたいばかりで、今のわたしを否定ばかりしていたのに、
いつしか、季節は巡って、夏になって、
冬までに溜め込んでいた重たいものたちが、いつしか流れていって、
わたしの中の「当たり前」が変化した。
今はかなり、気持ちが軽くなった。
重たいものやドロドロしたものと、さよならして、少し前よりも、軽いこころと体で、ひとと自分と接することができるようになった。
前ばかり見て、落っこちそうになってた時もあったけど、今のわたしは今を見ている、今を生きている。今が一番大切。
大切にできてないなあと感じることをあるけど、人間だから、そんな時は、
美味しいもの食べて、一緒にいたいひとと一緒にいて、いつもより早く寝ればそれでいい。疲れていたら、毎日笑顔な人もそりゃしかめっ面になるし、ニキビもできる。
5年くらい前は、ずっとそうだったなあと思う。
ずっと笑顔のわたしがわたしで、顔をしかめるだなんて、泣き言言うだなんて、
絶対に有り得なかった。
だけど、今はしかめっ面にもなるし、泣き言も言うし、嫌なことがあったら話を聞いてもらう。
今は、そんな風に「頑張らないわたし」でいられる瞬間が増えたのかもしれない。そんなわたしでいさせてもらえる、ひとができたんだろうし、甘えられるようになったことは、とってもいいこと。
東京での暮らしは、3年目に入って、たくさんの変化と出来事があった。
いっしょに暮らすひとも変わって、職場の空気も仕事への意気込みも上々。
子供っぽくて、ユニセックスがよくて、ゲラでお酒を飲むとお母さんそっくりで、ドラマ好きで未だ夢見がち。そんな25歳になったわたしだけど、
今は、こころが沈むことも浮くこともなく、健康診断はB判定でちゃんと健康だから自分に「はなまる」あげちゃおう。💮
(コレステロール値が高かったの。気をつけたい。)
1年って、1ヶ月って、1日って、過ぎるのがとっても早いね!
そう母親に伝えたら「もっと早く感じるようになるよ〜」だって。
30歳になったわたしは何してるかとか、考えもつかないけど、20代ならなんでもできるよ!20代にやっときなよ!ってたくさん言ってもらえるから、夢は持ち続けようと思う。
25歳の年、2023年という1年、もう半分だね。
当たり前になった今や、当たり前のように側にいてくれる人への
「ありがとう」「ごめんね」を忘れないでいたい。気持ちは常に謙虚で!👍
魔法の絨毯/くるり