「元々サブカルの人間だった」という言葉に救われた気がした
日テレプロデューサーの話
GERAのラジオ『春とヒコーキのグピ☆グパ☆グポ』の聴いていない回を追いかけていた。
春とヒコーキのぐんぴぃが出演したドラマ『大病院占拠』の話をしていた回。
ぐんぴぃのことを気に入っている大病院占拠のプロデューサーと、ぐんぴぃが二人で下北沢の居酒屋で飲んだという話。
この中で、今の自分に刺さる言葉があり、色々と考えた。
大病院占拠のプロデューサーの方の「元々サブカルの人間だった」という言葉。
メインカルチャーに染まってつまんない人間になっている、このままだと自分はダメになる、だから今この漫画を読むんだ。
といってバキ童チャンネルで紹介されていた『股間無双』を読んだという話をぐんぴぃがしていた。
※注意:下ネタバカ漫画です。
日テレの土曜10時、櫻井翔主演のドラマのプロデューサーだ。
そんな方の「元々サブカルの人間だった。忘れてねぇか」という言葉が、今の私の胸に響いた。
ここ数年は、けっこう仕事を頑張っていた。
余暇の時間も仕事の勉強に費やしていた。
漫画やアニメは全く観ていなかった時期もあった。
なんだか、自分が自分でない感覚、そういうモヤモヤしたものがあった。
それが今回、そのモヤモヤが、「元々サブカルの人間だった。」という言葉で形を与えられ、スッキリしたように思う。
そうだ。自分は元々、オタク/サブカルの人間だったのだ。
子どもの頃から深夜のお笑い番組を観て、深夜ラジオを聴き、
深夜アニメを観て、青年漫画を読む。
森見登美彦の小説を読む。
the pillowsを聴き、フリクリを観る。
東中野のポレポレや新宿ケイズシネマに映画を観に行く。
ゆかりんのライブに行く。下北沢のライブハウスにも行く。
本を制作し、文学フリマやコミティア、コミケに出展する。
自分はオタク/サブカルの人間だった。
違和感の正体。
仕事を頑張ることで、何というか大多数の、メイン側の営みをしていて、それで知らず知らずのうちに疲れてしまったのではないか。
頑張っているときは、それなりに昂揚感を感じていた。
資格試験に合格したり、給料が上がれば、気分がよかった。
でも、それは、自分という核になるもの、本当の自分の心に真に合ったものだったのだろうか。
うまく波に乗っているときも、どこか退屈で、つまらなさを感じていた。
もうそろそろ、認めなければならない。
いよいよ、そのときが来たのかもしれない。
自分は、オタク/サブカルの人間であることを。
オタクという言葉
自分は言うなれば涼宮ハルヒ世代なので、まだまだオタクが蔑まれていた時代。
高校でも漫研の人は露骨に見下されていた。
時代は変わり今、Z世代の人は「手っ取り早くオタクになりたい」と言う、というのをどこかで見た。
「オタクって言葉好きなの。好きなものを突き詰めてる感じがしていいなって。ゆかりんも女オタクだから」
こんなことを、ゆかりんが2022年のファンクラブイベントで言っていた。
私が大学生だったころ、Twitterを始めて、なんというかオタクの人が輝かしく見えた。
漫画を読み、アニメを観て、フィギュアを買い、コミケに行き、エロゲをやる。
これがオタクだった。
感化された。
Twitterでオタクをフォローし、面白そうなアニメの情報を集め、観ていった。
今でも私のTwitterでは、いにしえのオタクが残っている。
フィギュアも買ったなー。
ねんどろいどとか。
2009年の写真が少し残っていた。なつかしみ。
大学生の頃は、オタクというものに憧れみたいのもあったし、楽しかった。
これはもっと後の話だけど、コミケやコミティア、文学フリマにサークル出展をした。
短歌とかエッセイを書いた本を作って頒布した。
私の本を買ってくれる人や、とても良い本だったとメッセージをくださる方もいて、本当にうれしかった。
これが自分なんだよな。オタクなんだろう。
厄介な自意識
そんなオタクな自分にもうひとつ、厄介な自意識があった。昔から。
オタク方面に突っ走っている人が羨ましいのは、このせいかもしれない。
自分は普通だ、という自意識。
自分は普通に安定した職業について、結婚して、家庭を持って、普通に、普通に暮らす。
なんかそういう自意識。
ある。これはある。
これが度々邪魔をする。
自分の好きなものに正直になれない。
漫研もアニ研も入らない。オフ会にはいかない。
(元々極度の人見知りでそういうのが苦手というのもあるのだが)
だから自分は、出版社とかエンターテインメント業界とかを志望することもなく、安定してそうな会社に入った。
なんだか、オタクには憧れるけれど、同時にオタクにはなりたくない。
嫌悪もあるという感じ。
非常に厄介な人間だなぁ、ひねくれているなぁと自分は思う。
今は、それなりに仕事をして、給料もそこそこあるけれど。
馴染めない。自分が自分じゃないような感覚。
それで人生、楽しかったか?
楽しくない。
こんなものが欲しかったのか?
そうじゃない。
本当に、本当に欲しいのは…
そろそろ
そろそろ、自分の中の好きなものとかそういうのを認めて、
そのために生きて、楽しんでもいいんじゃないかって。
考えていた普通には馴染めなかったし、そもそも馴染めるわけないんだよね。
それが自分なんだから。
んまー、そんなところで、そのために動いてみようかと。
趣味方面でも仕事方面でも。
決意ということで、今ここに記しておく。
自分は弱い人間なので、すぐにビビったりへこたれてしまうから。
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