キャリアと採用と社会的ジレンマの話
先日、Twitterを見えていたら、何だかの人が炎上していた。
なんでも、育児や出産で仕事を休むと、それだけキャリア的に不利になるのは当然のことで、会社としては休まない男性の方を重視したい、それは利益を追求する会社側からすれば当然みたいなことだった。
この手の話は、目新しいものではなく、ずっと昔からある。
男女共同参画社会基本法が施行されたのは1999年のこと。
昔からこういう話はあるのだ。
この話は正しいといえば正しい。ミクロ(会社の視点)で見れば。
会社としては、そりゃあ休まずに働き続けられる人を採用したり、昇進させたい。育児や出産で休んだり、結婚して退職するような女性を採用するならば、転勤も長時間労働もOKな男性を採用したいというのが本音だろう。
企業の短期的利益のみを考えるのであれば、この考え方は合理的である。
しかし、マクロの視点(社会全体)で考えると、必ずしも合理的にならない。マクロ(社会全体)でも不合理だし、その上、ミクロ(会社)でも不合理な結果になることがある。
この問題について、時系列とミクロ・マクロの影響で整理を試みる。
こういうふうに、ミクロ(個人)でみると合理的な行動だったのが、マクロ(社会)でみると不合理であり、巡ってミクロでも不合理となるようなものを、社会学や心理学では「社会的ジレンマ」と呼んでいる。
「囚人のジレンマ」の社会版みたいなやつ。
上のような社会の問題は、色んな因果や変数が絡み合っていて難しいので、もっと簡単にいうと以下のような感じである。
駅で缶ジュースを買い、家に帰るまでの間に飲み終わったとする。
手に持っている空き缶は邪魔になる。
そこで、どうするのが合理的な行動だろうか。
ミクロレベルで考えると、今すぐ手に持っている空き缶を道端に捨てることが正解である(罪悪感だとか人が見てるとかは考えないと仮定する)。
もはや邪魔なのだから、一刻も早く捨てるのが個人としては合理的である。
ゴミ箱を探したり、家に持って帰るのはその分コストがかかる。
が、どうだろう、大勢の人がこの行動を取ると、どうなるか。
道がゴミだらけになる、清掃をしなければならなくなる、清掃のコストが発生する、環境問題など、マクロでは合理的でない。
さらに、ミクロに戻ると、個人はゴミだらけの道を歩くことになったり、税金の形で清掃コストを負担することになるかもしれない。
結局、ミクロでも不合理な行動となってしまう。
これが社会的ジレンマ。
こういうことが、社会ではままある。
行動を選択したり、戦略を決定する際は、ミクロで合理的だからといって、短絡的に決定するのではなく、マクロではどうか、長期的にはどうかのようなことを考える必要がある。
とはいえ、短期的なメリットや利益は今すぐに目に見えて手に入るので、手を出しやすい。長期的なメリットとか損失は、今はわからないということも多いし。
件のツイートを見て、ミクロで正しいから正しいでしょ、だけの主張は、正直、思考が浅いのではと思った。
そもそも「弱者男性」とかのラベリング、マジックワード(わかりそうだけどなんだかよくわからない言葉)を使用している時点で、思考のレベルは浅くなるが…
「どうして正しいことを言っているのに炎上するの?」みたいなのも見たけど、それは普通に言葉遣いが悪いとか、態度が悪いからなのではないかと思った。
社会において、言葉遣いとか態度が悪いのはそれだけで人に不快な思いをさせるので、炎上しても仕方ないのでは。
Twitterでこういうのは目に入ってこないようにミュートしたり、リツイートオフにしたりしているのだけど、おすすめやらなんやらの形でどうしても目に入ってきて辛いな~。
ことに最近はTwitterを見るのが辛くなってきた。
なんかコロナになった2020年あたりから、人に罵詈雑言を浴びせていたり、やたらと怒っていたり、人に強く言う人たちが目に付くようになったと思う。
なんかあの「#検察庁法改正案に反対します」みたいなタグの頃から。つらい。
とてもつらい。
あとなんかなんでもうまく行っている人を見るのも正直つらい。
家庭もあって、仕事も順調みたいな。
その人たちには何の罪もないし、見えないところの苦労とか不満とか努力とかはあると思うのだけど。
そういうものが何もない今の自分を直視しなければいけないのでつらい。
見なきゃいいのだけれど、見なきゃ見ないで、この宇宙にたったひとりになったような孤独感に襲われたりする。
私の頭のなかをそのまま出せる場所だったりするし、なにかをつぶやけばリアクションしてくれる人もいて、存在が軽くなり、感謝することもあるし。
ふぅ。どうしたものか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?