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たかが茶くみ、されど茶くみ(前編)

茶くみが嫌いだ。

私の場合、もともと家事が嫌いで給仕系の仕事は嫌いなので、ジェンダー問題とはちょっと違うのかもしれない。

液体を運ぶと基本、こぼすのでバイトでも喫茶店、ファミレス、居酒屋、ファーストフード等の飲食業は徹底して避けた。

私の会社では「女子がお茶くみ」が暗黙の了解で残っている。

ただし、会社の勤務マニュアル及びセクハラ防止規定に基づくガイドラインでは禁止されている。(お茶くみと電話については明確に例示されている。また、「男だから力仕事」というのも禁止されている)

なので来客が来たら男性社員は女子社員の横で明後日の方向を見ながら「会議室にお茶4つ」と言ったり、1.5m以上離れた場所から「応接にお茶5か6、わからん」とか言ったりする。

逆に人にものを頼む時の頼み方としてどうよ?と思う。(応接は2室、会議室は6室あるので)

まあ、私に言う人はいないので、ほっといてもいいと言えばいい。(「今の私に言いましたか?」と目線で聞いたら逃げていくのでたぶん私に言ったのではないだろう。うん)

後輩(20歳代)は「お茶くみ、大好きです!気分転換になるし、というかむしろそれだけやっていたい!!」と言っているので、好きでやっているのなら止めはせんが、今の仕事より本当は(日頃のセンスや興味・関心事項を見ていると)美容やアパレル系の接客業が好きで向いているのではないかな?と思っているところだ。

私が教育指導担当ではないし、他人の人生なので何も言わないが、自分の部下ならもっと活躍できそうな部署に異動を打診してみるところだ。

思い出したが、かつて私の上司も私に「俺がお前の能力を持っていたら、外資に転職するのになぁ」と言っていたのはこういう事か。。。とちょっと思う。

50歳代の先輩女性社員たちもお茶くみをする。(前々回、「パワハラ講習」の話に出てくるお二人)

「男の人はできないから仕方がない」と言う。

先輩(しかも勤続年数30年近くの人たち)がやっているのに、なぜ後輩の私がやらないかと言うと、私も入社以降何年もやっていたが、その間に何度も大参事を引き起こし、割った湯呑の数は余裕で20を超え(20以降カウントしていない)、お客さまにかけたが1回、自社の人にかけたが1回、倒して水害を起こしたに至ってはもはや件数を覚えていないという実績を積み重ね、「生物学上の性別が女性なら茶くみはできる」とか「茶くみは誰にでもできる仕事」という既成概念を変えたからである。(それでも全社の認識を「南に茶くみを頼んだ場合、事故が起きたら頼んだ人が圧倒的に悪い」に変えるまでには何年もかかった)

ちなみに、お客さまにかけた1回というのは相手が国税の人だったので、わざとだと思われているがわざとではありません。その節はどうもすみませんでした。

自社の人にかけたのは(既に退職されたひとなので時効でしょうか?)お客さまであった取引先の若い女性にセクハラと思われる発言をしていたので手がすべりました。わざとではありませんが、お客さまからは後ほどお礼を言われました。

それにしても前述の勤務マニュアル変更については女性の一般職が廃止された20年以上前には決められた事で以後、「女性のお茶くみ」は均等法違反、セクハラ防止、パワハラ防止の観点からコンプライアンス研修他各種社内研修や会議等で再三会社側からは注意されているにもかかわらず、しつこく生き延びているゾンビ案件である。(前回のサマータイムと並び『二大ゾンビ案件』と呼んでいる)

一般職があった時代のお茶事情は前々回に書いたのを再掲しておくとこんな感じ。
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女子社員のみお茶当番があって(1週間交代、2人体制)、当番は勤務時間前にお茶を準備しお茶を切らさないようにしてその週の全ての来客及び社内の会議や打ち合わせの出席者にお茶出しと片付けを行うほか、10時、昼食時、3時に全社員にお茶を出す。また、男性社員が外出から帰ってきたら茶を出していた。

昼食のお弁当は朝10時までに注文をとり、お昼にお茶、おみそしると一緒に配る。就業時間後に使った湯呑、布巾を消毒する。
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なかなか手厚いと思うが、他社の一般職経験者から聞いたところによると、だいたい似たようなものならしい。だとすると私に一般職は無理だ。

当社は以前、女性は全員一般職で、男性は全員総合職だったのだが、均等法の関係上(というか均等法ってもっと前に成立していると思うのだが)一般職が廃止された時、同時にグループ企業の再編があり、女性社員の3分の2位が他の会社に行き、残った3分の1は人事制度改革により全員が総合職の方に統一された。

総合職の下にさらにランクを作りそこに一般職全員を放り込む形で。

なので、一般職の女性社員たちは全員年収が下がった。上に行くほど下がり幅が多く一番多い人で50万円、平均で30万円位だったと聞いている。そして、そのぶんは男性社員にの給与が上げられ、「人事制度改革」を行った総務部のマネージャーと部長はその実績をもって親会社に栄転していった。

抗議した女性社員もいたそうだが「嫌ならやめろ」で終わったとのこと。

そしてこの時の女性社員の処遇を当時総務や経理の仕事についていなかった男性社員は全く知らされていない。管理職ですら他の部署だった場合は知らなかった節がある。(関心がなく、ちゃんと聞いていなかった可能性も否定できないが)

男性社員への説明は人事制度改革で
1.一般職はなくなり総合職に統一されます。
2.年功序列ではなく目標管理制度を採り入れ、成果で評価します。
3.新総合職では各ランクの名称が変わります。
4.名称が変わるだけで、ランクは変わりませんが、給料は各ランクちょっとずつ上がるようにしています。(ランクごとに上がり幅は若干違いますが、全員上がるのは上がっているからいいよね(*^_^*)みたいな感じ)
と言う説明がったらしい。

男性社員は女性社員の給料も同様に上がったかスライドしただけだと思っていたようだ。(むしろ一般職から総合職になったので、大半が大幅に上がったのだと思っていた)

お茶当番が廃止され全社員に出せれていたお茶が出なくなったり、社内打合せでのお茶汲みが禁止されたり、各種社内サービスが廃止されたのは女性社員の数が3分の1に減ったから手がまわらなくなったからと世の中的に不況で緊縮路線になったことと、均等法が厳しく言われるようになったからで、女性社員の給料が数十万単位で減らされたとは知らなかったという。

なので、来客へのお茶出しやコピー取り、執務室や会議室の清掃、資料作成、書類整理などなどは今まで通りやって当然と思っていた。

ここで、経理部の女性社員がプチ反乱を起こす。女性社員の中で最も給料が減らされたのが経理部の社員であり、また立場上、女性社員の給料が減らされて男性社員の給料が増やされた内実をよく知っていたこともあり、「自分の部署(経理部)以外の営業部等のお客さまにお茶出しをしなければならないのは納得がいかない。自分の部署以外は出さない」と宣言した。

この時の経理部の女性社員のトップは経理業務では最も実力がある人で(影の部長と呼ばれる)、かつ某実業団で活躍したため年末に親会社の重役が挨拶に来るくらいの有名人だったので、以後、経理部は治外法権となる。(しかし、彼女がおそらくもっとも給料を減らされた社員だと思う)

私は一般職と総合職が統一された後に入社したわけだが、同期入社した男性(同じく学卒)より4ランクか5ランク下の(一般職女性が放り込まれた一番下)職責からのスタートと言われた。(年収で約40万円少ない。そして昇給スピードは倍以上遅い)

それでも「まぁ、いっか」と思っていたのは、横着者なので再度就活するのが面倒だったのと、氷河期だったのでそもそも正社員になれる人が少なかったし、友達に聞いても年収は似たり寄ったりだったどころか、「正社員として就職したが、研修費をとられて月収が8万円だった」というのも一人や二人ではなかったから「マシな方」だったからだ。

ここで、私は入社1週間後に出向する。今考えたら、怒るべき話のように思うが、当時はそういうもんなのか?と思っていた。

総合職に統一されたとはえ、実態としては総合職の下に一般職用の下のランクを作り、その中でも一番下に入れたのだ。それを、1週間、各部の説明を受けた上で別業種の別会社に配属するというのは無茶すぎる。

話は違うが、出向先の話をする。この出向経験が、後々、異動する先々の部署で「常に全力は出さない」「やる気がなくても、モチベーションが低くても、横着者でも、うっかりものでもミスなく円滑に業務がまわるように合理化を進める」という原動力になっている。

出向先の業種は、高橋まつりさんと同業種だった。

髙橋まつりさんの自殺の話を知ったとき、まず「あの業界、変わってないな」と思った。


ブラック・ブラック・ブラック

ただし私の場合は自らブラック化させていったところが多々ある。会社は悪くない。

本当に悪くないかと言われると、ちょっと微妙なところもなくはないが、法的に訴えられるレベルには全く達していない。その辺は高橋まつりさんとはだいぶ違うのだが。

会社の先輩や上司はものすごくいい人たちだった。今でも尊敬しているし、教えてもらったことも非常に多い。

また、小規模だったため、新人の時から一つのプロジェクトを企画立案からプレゼン、設営、運営、撤去まで、見積から請求まで全部経験させてもらったのは楽しかった。ブラック労働のパワーワードだが「やりがいのある仕事」というやつであるが内容にウソはない。

時々、髙橋まつりさんと違って、なぜ自分は生き延びる事ができたのだろうか?と考えた時思いつく事が2点ある。


1.上司や先輩がものすごくいい人で、パワハラをされた事は一度もない。また、お客さまもいい人が多く、助けてくれる人がいた。プレゼンで負けても、励まされこそすれ叱責された事は一度もない。


2.職責権限が事務職の最下層に設定されており、給料が最も安い社員だった。

1.については諸刃の刃だった。私は、上司、先輩がみんないい人で「いっしょにがんばろう!」という人なので、私は自らブラック化していったとも言える。

自分だけ「できない」とは言えなかった。いや、「できない」と思った事すらなかった。みんなが出来ている事は当然自分もできると思っていた。

なので、始発で帰宅してシャワーを浴びて1時間後に出社して10時にプレゼンしたり、夜10時に店舗の営業終了後に設営を開始して4時に終わって朝7時からバイトの子たちにシフトを説明する状況はみんなもやっている事だったし、携帯のタイマーで3分をセットしてトイレで立ったまま寝るのも普通だった。(立って寝るのは座ると起きられないからだが、常識だと思っていた。いや、マジで)

もしパワハラ上司だったらどうなっていただろう?

即、見切りをつけて辞められたら良いが、そうでない場合はやはり自殺に追い込まれたかもしれない。とにかく圧倒的に睡眠時間が足りていないので、まともな判断が出来ていたかどうか怪しい。

2については逆じゃない?と思われるかもしれないが、自分の給料が少ないのが納得がいかなかった。

おそらく出向元の社員に比べると、どの人よりも過酷な仕事についているはずなのに、最も給料が安いのである。「事務職では経験できないやりがいのある仕事」と言われるが、その定時で帰る事務職より給料が安いのである。

「やりがい」とか「事務職のような誰にでもできるルーチン業務ではない」と言われても、平日はプレゼンや企画書の書きのほか事務作業のほかにお茶出しやコピー取りなども全部自分でやっていたし、休日はイベント本番で現場に出ていたので、疲れてきたら「やりがいどうでもいいから、帰らせてくれね?」とか「じゃあ、そのやりがいのない事務職と給料ごと変わってくれね?」とか思っていた。

また、周りで同じ仕事をしている男性社員や大手社員は私よりかなり多い給料をもらっていた。どうも納得がいかない。

根が横着者だし、みんなより給料が安いのに同じくらいがんばる必要ってあるのかな?。。。とちょくちょく考えていた。

これがもし、他の社員より職責が高く給料が良かったとしたらどうだろう。

例えば「年収100万円下がってもいいから事務職にしてください」と言い出せただろうか。周りと同じ給料をもらっていたら、ずっと周りと同レベルかもっと上の仕事をしなければならないと思ったのではないか。

当時の自分のプライドの高さから考えると、年収が高かった場合、下方修正しようとはしなかったと思う。

年収が人より少なかったからこそ、がんばる事への違和感があった。

「やりがい」を餌に誰よりも低い給料で誰よりも長時間勤務させられている事に。

ただ、自らブラック化していった私は、違和感をおぼえながらも、なかなか抜け出そうとはしなかった。睡眠時間の圧倒的な不足により、徐々に判断力がなくなっていたのかもしれない。

それに、足りていなかったのは睡眠時間だけではない。

私は眠くならないようにモノを食べなかった。

最初、牛肉、豚肉を食べるのをやめ、油ものをやめた。食べると眠くなるから。次に炭水化物を減らした。最終的にはレタス以外には、少量のササミ、豆腐、ツナ缶くらいしか食べていなかったように思う。

そうすると1~2時間の睡眠で動ける。むしろ本人的には身軽で快適と言ってもよかった。

入社2年目に体重は38㎏を割っていたが、特に気にしていなかった。体調は良く、風邪もひかなかった。

「体重よりも体調」を自分の都合のよい方向に解釈し、体重計に乗らなくなってしまっていたので、最終的には30㎏くらいまで痩せていたように思う(服のブカブカ感から)。父が入院していて(詳細は「鬼の住む家」のシリーズで書いている)、たまの休日は母を休ませるために介護を代わった。出向元で必要とされる資格試験にも合格した。(同期の中では最も早い合格だった)

ノープロブレム
風呂で2回ほど寝てしまって、起きたら水だったけど風邪ひかなかったし、1回気絶して椅子から転落したけど、怪我しなかったし、すぐ気が付いたし。
ノープロブレム

私は元気だ。父親の車いすも押せるよ(*^_^*)

今思えば狂っている。
それに、食べない、寝ない、なのに可活動。。。。拒食症だ。

終わりは突然来た。

入社2年目の終わり頃、バイクで事故ったのだ。

早朝、自宅マンションの敷地内の自損事故で自分が大ケガをした。

不幸中の幸いは他人を巻き込まなかったことだ。

部屋に戻り、破れて血がついた服を脱いでバスタオルで止血したものの、なかなか血が止まらない。腕と脚に酷い傷があり、特に膝は骨が見えていた。

とりあえず病院に行かなければいけないので、出社が遅くなると思ったので会社に電話したら部長が出た。「何時に出社できる?」と聞かれたが、「え?」と答えたまま茫然としてしまった。

3枚くらいバスタオルを犠牲にしたのに止まらない血を見て思った。「何時?何時になったら止まる?っていうか今何時?私は出社できるのだろうか?何時?何時に?今日、何か予定あったっけ?わからない。わからない。どうしよう。。。」

というか

膝、骨見えてるんですけどっ!!!

笑いそうになった。どう見ても「今日は休む」が正解ではないか。

必死になって、何時なら出社できるか考える自分が急にバカバカしく思えた。


「今から病院に行きますが、今日の出社は無理だと思います。もう一度、診察後電話します。今やっている案件はA先輩から引き継いだものなので、フォルダを見たらわかると思いますのでお伝えいただいて引き継いでもらえますか?」

と言って電話を切った。

お医者さんは「1週間療養が必要」との診断書を書いてくれ、上司は承認してくれた。

1週間実家に帰り、父の介護を手伝ったり、犬と遊んだりしていた。

かなり酷い傷だったので「もう半袖やミニスカは着れないかな」と言ったら、母がロングスカートを買ってくれた。

兆候はいくつかあったのだ。お風呂で寝てしまったり、椅子から落ちたり。

お風呂で寝たのは本当に寝ていたのだろうか?気絶していたとしたらそのまま溺死もあり得た。

つくづく、敷地内の自損事故で良かったと思った。自分は傷跡が残るかもしれないが、他人に怪我を負わせたわけではない。こちらはバイクなので、下手したら誰かを死なせたかもしれない。早朝ランニングしている人や、早めに登校しようとした子供とか。

また、公道で気絶してたら自分が轢かれて死んでいたかもしれないし、轢いた人の人生もメチャメチャにしてしまう。

逃げなければいけない。自分が死ぬ前に。誰かを死なせる前に。

それに父は、5年後には間違いなくこの世にいない。いや、5年ないかもしれない。

変えなければいけない。時間の使い方を、優先順位を。

1週間の休みの間、だいたいこんな事を考えていた。

傷がある程度塞がったところで、母が近所にできたスパや温泉に連れて行ってくれたのでお風呂に入ってのんびりした。

だいぶ後になって、「某社大手広告代理店の社員さんで、やたら寝てないのに活動的な人がいて『覚せい剤やってるのでは?まさか、ね。』と同業者の中で噂になってたんだけど、その話を仲の良いお客さまにしたら『いや、お前もそういう噂出てたよ』って言われたわ、あはは~ないないないない」という話を母にしたら、「いや、私も疑っていたよ」と言われた。

「だから、服を買ってあげるって言って何着も試着させたり、お風呂に連れて行ってた。注射の痕とかないかどうか確認してたのよ。」との事。

マジか。。。。

一方会社では私が1週間休むことをお客さまや協力会社の担当者さんに上司が説明したところ、「めちゃめちゃ痩せてるけど、やっぱり癌なのか?」「入院先はどこ?」「本当に1週間後には出て来られるのか?」という質問が相次ぎ上司や先輩は初めて私が痩せすぎなのに気が付いたという。(毎日見ているとなかなかわからないものらしい)

バイク事故の話をすると「働かせ過ぎなのでは?」と言われ、一部のお客さまや協力会社の人からは「労基署に通報する」と言われたらしい。(その後実際通報されて労基署の指導も入った。前述の「会社が悪くないと言い切れない」と書いたのはこの時点で有効な手を打たなかったという意味である)

ということを1週間後に出社したときに聞かされたが、「今後注意するように」と言われたが「何を?」という感じで、その時はそれで終わった。

そこからすぐにその会社を辞めたわけではなく、1年かけて業務を効率化しながらマニュアルを作成して他の人が引き継げるようにし、一方で本社に帰社できるように根回ししていた。

1年やって帰社できなかったら、会社を辞めようと思っていたがほぼ1年後帰社できた。

相変わらず、最も低い職責で。

前述のとおり本社の業務に必要な資格試験に合格していたので、免許の申請をしてもいいかと総務部のマネージャーに聞いたところ、女の子は業務に必要ないから認められないと言われた。(この時点で同期入社の男性たちは資格試験に合格できていない)

「でも、最近は女の子の方がよく合格するんだよね。ヒマだから」

と言われて、こいつ殴ってもいいかな?と思った。

(このマネージャーは現在は別会社に出向し人事部長になっている。優秀なエンジニアほど即他社に引き抜かれる。若者を育てても優秀なエンジニアに育ったところで引き抜かれると泣きごとを言っていたので、ざまあみろと思った)

結局、2016年12月にわたしの免許申請は許可された。

父は私が本社に帰社した翌年に亡くなった。
資格試験の勉強の応援をしてくれていた母は2016年3月に亡くなっている。

なんだかなぁ~である。

元々、私が入社するまでしばらくの間女性社員の採用がなかったので、私が入社した時、「下の子が来た!!」と女性社員一同はけっこう喜んでいたらしいが、1週間後に出向したのでがっかりしたらしい。

私が入社してから帰社する3年間。再度女子社員は採用は抑制され、一方で元一般職の女性が結婚や出産で退職しても補充はなかった。

経理部の女性社員は雑用係に使われる事を拒否し、営業部の女性社員は自分部署の男性社員のお世話係だけで手いっぱいだったものの、それ以外の部署男性社員および役員(約30名くらいだったか?)のお世話係が総務部の女性社員1名になってる・・・・というのが私の帰社したときの状況だった。

出向先では自分のプロジェクトは基本担当者が全部雑用も含め切り盛りするのが鉄則だったので、電話に出ない、コピーとらない、請求書の支払い処理しない、稟議書や決裁書は回覧中に放置して紛失、自分の来客の人数を知らない、自分がどこの会議室をとったのか覚えていない男性社員たちに心底ビックリした。

バカなの?この人たち。「電話に出たら死んじゃう病にかかった」と思い込んでるの?

しかもさらに驚いたのは「他の部署の男性社員の雑用係は断る」と言った経理部の人たちも内心は「男の人たちはそういうの苦手だからやってあげなきゃ」と思っていたことである。

よくよく考えたら「他の部署の~」は「自分の部署の男性社員の雑用は受ける」という意味だし、「男性社員は女性社員に雑用を言ってくる」という認識や慣例がなければ、そもそも上記発言はない。

なるほど。

しかし、会社側は均等法やセクハラ防止等の観点から女性社員に雑用を押し付けることを禁じていた。

なので男性社員は女性社員の横で明後日の方向に向かって「お茶4」とか「コピー」とか言う状態になっており、女性社員はスケジューラ―を見て会議室を確認してお茶出しをしたり、「コピーは何部取ればよろしいのでしょうか?」とこちらから進んで自主的にやってあげなければならなくなっていた。

アホらし。

私が帰社したのは、そんな会社だった。(つづく)



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