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理解と誤解あるいは理解したつもり

元のTwitterの投稿は削除されたので内容はうろ覚えだがしばらく前に「セクハラをする人に『女性という性別ではなくまず人間として対等に扱ってくれないか』と言っても会話が成立しないが、それは相手が自分自身のことを性別、肩書き、年齢、役割等で理解しており『人間として』という意味がそもそも通じていないからではないか」というようなマンガがあった。

前に書いたが、私は身近に「年齢を聞くのがなぜセクハラなのかわからない」と言っている先輩がいて、先輩がそう言うたびに反対意見を言っているが延々並行路線を走り続けている。

この先輩(女性)とはセクハラについても意見が割れることが多い。

先輩は「昔はもっと酷い人がいた(職場で女性社員のお尻や足を触る上司がいた)。そういう人をやり過ごすのも仕事のうちだった」「冗談も言えないとは窮屈な世の中になったもんだ」「若いイケメンなら許すんじゃないの?」「(年取って)セクハラされないのもセクハラって言われたりしてwww」「その場では嫌がっていないフリをしてあとからハメてくる女性もいる」と言う。

この先輩の意見はセクハラをする側(や擁護する側)が言の典型的な意見と考えられるので、逐一反撃しているのだが、どうにも議論が平行線になって話が通じている感じがしない(相手もそう思っていると思うが)。

なので、この投稿を見たとき「そうか、前提条件がそもそも異なっていたから、先輩との間では、双方が自分の意見を言うだけで同じ内容が延々リピートされているのか!」と目からウロコな思いをした。

この投稿は既に削除されていてその理由も知らないので、内容についてあれこれ言うのもなんなのだが、セクハラされた方は「美人は得だよね」「なんで結婚しないの?彼氏は?」「痩せたら」という発言を「値踏みされる商品=モノ扱い」されているように感じて「人間として扱ってほしい」と言うが、発言したほうは自分自身を含め他人を認識するために自分の物差しを使ったり、レッテルを貼ってわかりやすくしているので、「人間として扱う」の意味が通じていないという話だったと思う。

なるほど「人を理解するというのはどういうことか?」という定義や理解する手段が人によって違うということかと、改めて思い知ったというところである。(いや、私が気付いていなかっただけで、そんなの当たり前じゃないかと思っている人もいるかもしれないのだが)

全く別件で「人を理解するというのはどういうことか?」と悩む場面がもう一つあった。というか、現在進行形である。

これも詳細は諸般の事情によりぼやかせてもらうが、職場のコミュニケーション活性化策として「あまり交流のないメンバーとお食事会をする」という企画に強制参加させられることになった。

原則として他人に興味のない私としてはいきなり罰ゲームを食らったようなもので、困惑しているのだが、さらに困惑させられているのがお食事会でトークのネタにするから自己紹介を書いてくれと渡されたシートの内容である。

①今の担当業務(仕事のやりがい、課題、やってみたいと思うこと)
② 趣味、最近のマイブーム

交流がないとはいえ同じ会社の人である。各々の担当業務についてはざっくりとは把握している(少なくとも1時間弱の食事会レベルで得られる情報は把握している)。

仕事のやりがいについては、昨今「やりがい搾取」が取り上げられることもあるが、そもそも仕事にやりがいは必用と思うかどうか聞いてみたいところではある。

が、食事会にふさわしい内容とも思えない。

ちなみに私自身は「やりがいは自分で見つけてモチベーションをキープするためにはあったほうがいいが、他人が押し付けてくる場合はクソである」と認識している。

他人の言う「やりがいのある仕事」とは「内容がきついし支払が少ないかもしくは全くないし、キャリアアップにもつながらないけど誰かがやらなきゃいけない(ただし自分は除く)仕事」という意味である。おおむね。

この話は今回のテーマではないのでこのへんで終わる。

担当業務における課題というのも部ミーティングででも話して部内共有して解決策を検討することだし、やってみたいことは上司との面談でのお題で日頃交流のないメンバーと話す内容ではないのではない。

2番目の趣味、マイブームについても昨今はSNS等で交流したい人とは交流している。


今更、普段あまり話したことのない同僚と話す必要性はない。

そもそも食事会と言うような場では当たり障りのない話ししようがない。

「最近、子供がしゃべるようになりました。チョロチョロ動くようになったので目が離せなくて大変ですが充実しています。」


「健康のためにランニングを始めました。今の目標はマラソン大会に出ることです。」 


「夫婦で山登りをはじめました」


「休日は自分が料理を担当することになりました。今はパスタにはまっています。ウチは家事は分担しています。」


「学生時代にやっていたので子供のサッカークラブのコーチをしています。」


「趣味で全国のお城めぐりをしています」


ぐらいが妥当であることは出席する前から明白である。

間違っても
「帰宅したら嫁と家財一式がなくなっていました」


「息子が引きこもりになってしまってマジヤバい」 


「親がボケてきていて介護がしんどい」


「腸内洗浄やってみました」


「転職活動中です」
というような話は出ない。いい悪いは別として。

そんな中で「趣味とかマイブームって特にない(T_T)。何しゃべったらいいの」と困っている同僚を見ていると「自己紹介とは何ぞや?」という疑問が湧いていくる。

趣味やマイブーム、仕事の話をすることが「自分を紹介」したことになるのか?

紹介したい、知ってもらいたい「自分」というのは趣味や仕事で表現するものなのか?

いや、職場の食事会だから仕事はいいか…。でも食事会じゃなくて良くないか?

趣味や仕事のやりがいや目標がない人は「自分がない」のか?

そんなはずはないだろうし、そしてそれは恥ずかしがったり、悩ませてしまうのであれば職場で行う企画としてどうなんだろうと思う。

いやいや、そんな哲学的な何かではなくて職場でのコミュニケーション活性化が目的なんだから、仕事の話とか趣味の話とかで自分との共通点を見つけたら、もっと親しくなれて話やすくなるでしょ?ということなんだろうなと思う。

で、いきなり最初の
「セクハラをする人に『人間として扱ってほしい』と言っても会話が成立しないが、それは相手が自分自身も他人も、性別、肩書き、年齢、役割等で理解しているから」という話に戻る。

「性別、肩書き、年齢、役割」に「趣味」「仕事」を追加してもいい。

自分では意図したつもりがないのに、セクハラ発言をしたと言われる人は、他人を理解するために自分なりに肩書きや性別、年齢等の物差しを持っており、それをつかって解釈したり相手の人となりを推測しているが、対する「人間として扱ってほしい」と主張する側は「あなたの勝手な物差しやレッテルを貼ってバイアスのかかった解釈をやめてほしい」と言っているので「人間としてって、じゃあどの物差しつかうのよ?」「いやだから物差しやめろって」「物差しなしで理解しろってどういうこと?」ってことになって平行線になるのではないか?ということである。

「セクハラとかパワハラとか気にしていたら何もしゃべれなくなる」と言う人には「だったら黙ってたらどうですか(-_-;)」とされた側は思うのだが、それではいつまでたっても話はすすまない。

困ったもんだ。

確かにレッテルを貼ったり、物差しを使うと理解の補助になるとは思う。

私自身は中高の友人(極めて個性的な天才なので興味深い人である)が付けた「他人に興味のない人」というレッテルが気に入っていて、開き直りと言い訳も兼ねて積極的に周知するように努めているが、そうしておくと「あの派遣さん、いくつ位の人なのかね?結婚してるのかな?」などと話を振られた場合「興味ない」の一言で終わらせることができて楽だからだ。

この手の内面的な話はカミングアウトすることによって周囲の方が配慮してくれるので自ら言うのは問題ないと考える。

しかしそれ以外のことはどうなのだろう?先輩のほうが私より社員のプライベート情報(年齢と出身校、好きな野球チーム)に詳しいが、社員のプライベート情報(年齢と出身校、好きな野球チーム)に詳しくないと仕事ができないかというとそういうことはない。

仕事であれば必要な情報があれば持っている人に聞く。自分の持っている情報で機密情報以外は公開する(機密情報はレベルに応じてしかるべき人と共有する)。課題があれば部内または関係各所と情報共有し、解決策を考え実行する。業務マニュアルは適宜更新する。

だいたいこれでなんとかなる。

これのどこに「美人は得だよね」「彼氏いる?」「年いくつ?」「やっぱり頼りがいのある男性(お金、イケメン、マッチョに置き換え可)が好きなんだよね?」というような話題を入れなければコミュニケーションができないのかわからん。むしろ入れる方が難しいと思う。

それに触るにいたっては「相手を理解しようとしてやっている」という物凄くいいように解釈をしようとしても成り立たないように思う。

触る人に聞いてみたところ、「男性というものは全員女性を触りたがっているし、女性は男性に触られたがっている。嫌そうにしていても、そう振る舞う方が女らしく見えるからでむしろ誘っている」と本気で信じていてビックリした。

「触るのは『君は女性として魅力的だよ(*^_^*)』というサービスでもあるのに。だって、触られないのも淋しいでしょ」とのこと。

私はてっきり「撲殺されても良い。いやむしろされたい!」と思っているのだと思っていたので、実行する前に誤解が解けてよかった。

それにしても「男性というものは~」とあたかも男性代表のようにこんな意見を語られると、かなりの男性にとって迷惑な存在ではないかと思うがどうなんだろう?

そのように言い返すと、「そういう男性は女性にモテたいか嫌われたくないからそう言っているだけで、内心は触りたいと思っている」(内心思うのと本当に触るのとでは雲泥の差があると思うがそれはさておき)と言う。

またもや平行線である。

娘がいる人には「あなたのお譲さんが社会人になる頃にはもっとマシな世の中になっているといいですね」と言い続けていて、ようやく多少の理解を得られるようになりつつある。

今のところセクハラ発言対抗するには相手に家族の話をさせるように誘導するのがもっとも効く。

中には「うちの嫁は理解がある」と言い返してくる人もいるが、「過去にそう言っていた方がいましたが、ある日忘年会から帰宅したら家財道具と妻子が消えてなくなっていました(実話)。理解があると思っているのが誤解かもしれませんよ」と言っておけばまあなんとかなる。(たいがい、「えっ?それ誰?誰?オレの知ってる人?」と詮索してくるので、抑えてほしいポイントを外しているとは思うが)

どうにも根本的な解決及び相互理解が難しい。

セクハラをする人や擁護する人は「男性と女性では考え方に明確に違いがあるので、相互理解は難しいがどちらかといえば女性が男性を理解してあげるべきである」と思っているふしがある。

なぜ「女性のほうが理解してあげるべき」で逆ではいけないのか聞くと謎の生物学とか狩猟時代の話をされる。あまり納得のいく回答を得たことがない。

狩猟時代ですか?

ところで、前述の先輩の娘は今年就職ならしいが、髪はベリーショートの金髪で背が高く(170㎝超)服装はパンツスタイルでスカートは大学生ごろからか全く履かなくなったらしい。

もう一人、別の年齢を聞いたり「昔はもっと酷いセクハラはあったけど、かわすのも仕事のうちだった」と主張する先輩の娘も今年就職ならしいが、髪を青く染めて刈上げにしているとので女の子らしくないと嘆いていた。

ファッションは自分を表現すると同時に居心地をよくしたり、楽しませてくれたりもする。いいじゃないかと思う。(興味がないならないでそれも一つの自己表現だと思う)

あと10年もすれば先輩の娘たちのほうが社会の主流派になるだろう。
私がどう思おうと、世代は交代するし価値観は変化する。


大きな流れとしてはやはり多様化に向かっているのではないか。
いい傾向だ。

他人を本当に理解するということは難しい。ただ、仕事をする上でプライバシーまで踏み込む必要性があるのだろうか?プライバシーや内面を探ることが理解するということなのだろうか?

それに10年もすれば今よりももっとセクハラや性別による差別がなくなっているのであれば、なぜそれを今無くしてはいけないのか?

セクハラや性別による差別をなくし、相手の年齢、出身、出身校、趣味、家族構成、結婚観など知らなかったからといって業務上のコミュニケーションには特に支障はなのではないか。

とりあえずお食事会を強制してくる部署に言いたいのは「ルーチン業務舐めるな。君らの部署の事務作業ミスが多くてガタガタやで。ちゃんと部内でコミュニケーションとれや」なんだが。。。

いや、仕事しようや。ちゃんと。

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