【歌詞考察】スパイファミリー劇場版エンディング曲「光の跡」
映画公開からもうすぐ一週間が経とうとしていますね。
公開前に突然スパイファミリー公式からサプライズ発表があったエンディング曲。
星野源さん公式アカウントで、歌詞全文が画像で公開されています。
アニメ1期のオープニング&エンディングを飾ったアーティストが映画で揃い踏みするという展開に、テンションが爆上がりしました!
そして27日には星野源さんが歌う「光の跡」が配信開始。
改めて聴いて、感じたことをまとめていきたいと思います。
主題歌「SOULSOUP」考察はこちら
星野源さんとスパイファミリー映画映像とのコラボPVが配信されましたが、歌詞の構成をスパイファミリーに合わせて少し変えていました。
黄昏というワードは本来なら2番にあるところを、最初のサビ前に持ってくることで、スパイファミリー主題歌として魅せていて素敵です。
歌詞に関して、出だしから人間の喪失の概念に触れています。
生きている限り避けられない不変的な死や別れ。
楽しい日常も思い出も、苦しみも悲しみもやがて生命が生まれた海へと還り、キラキラと海が輝く様子が描かれています。
映画では、フォージャー家が解散の危機になり、アーニャが攫われてピンチになり、世界の平和を脅かす敵が現れます。
その映画のエンディングテーマでこの曲が流れるというのは、彼らの物語がこの先も続いていくことを表すとともに、その終わりもやってくるのだと示唆しているようです。
星野源さんのコメントにあるように、「緊張感と暖かさが悲しみの基盤の上で遊ぶ」点がスパイファミリーの根本的な魅力でもあります。
曲全体が、毎日の喜びと失う切なさを入り混ぜた、心にぐっと沁み入るメロディとなっていて、本物の関係性でも誰しもがいつか消えてしまうのに、フォージャー家は仮初だから尚のこと、いつか終わってしまう喪失を感じさせます。
だからこそ、フォージャー家が揃って家族旅行をしているなんてことのない風景が心を惹きつけるのだなあと。
背な、というのが背中のことで、和歌にも歌われている単語だそう。
単に文字数合わせなだけかもしれませんが、最近本誌ではアーニャと古語が取り上げられているので、聞き慣れない古い言い回しの単語にドキっとさせられました。
いや星野源さん絶対ここまで読み込んでないと思いますが。
つい深読みしちゃいます。
雨のような寂しさや悲しさを背中に抱えつつも、家族とともに前を向けば新しい景色が広がっている。
各々に語られていない過去があるフォージャー家とシンクロしてエモいです。
星野源さんはなぜ、を突き詰めたと仰っているように、とにかく歌詞に問いかけが多くあります。
終わりと未来は相反する単語ですが、何かの終わりは何かの始まりであるように、仮初の家族が終わることでフォージャー家が本物になるのでは、とそんな未来を期待してしまいます。
コラボPVで手を繋いでいるフォージャー家が流れました。
仮初の関係だということはみんな理解していて、それでも利害の一致に留まらない楽しさや喜びが溢れてきて笑い合える。いつか終わるからこそ今を一緒に過ごしたい。
そんな歌詞に感じられました。
アニメの豪華客船編・リゾート島で、ヨルさんがロイドさんの肩に寄りかかって寝てしまう場面を想起。
(その後の歌詞で、黄昏の中に願いを込めるや、抱きしめるという単語が出てきたのでロイヨルにも思えてびっくりしてしまいました……!)
原作でもアニメでも、今回の映画でも、フォージャー家が肩を寄せ合ったり抱きしめ合う描写はないんですよね。
信頼が芽生えていても、偽装結婚をした仮初の家族なので根本は他人で、ある一定の距離感を保っている。
その関係性がまた彼ららしいとも思います。
なので、仮初の日々を過ごす彼らが、こうした形に保存できない時間や感情を、心の中で抱きしめるようになったら尊いなあと。
願うことが黄昏の中に、という歌詞は、陽が沈む時少しだけ垣間見える美しい風景である夕焼け空に願い事をするようで、スパイとしての黄昏自身の中にも何か浮かぶ思いがあるのではと感じさせます。
これはアニメ1期の「喜劇」を思わせます。
喜劇では、『手を繋ぎ帰ろうか』とフォージャー家が帰宅して踊る様子が描かれていて、あやうい薄氷の上に成り立つ日常を楽しく過ごしていく彼らのこれからがまだ続いていくのだなと。
彼らが出会ったことで予測もつかない未来が出来上がり、新しい景色を見せてくれる。
そういう意味に感じられます。
東西平和のためのフォージャー家ですが、平和な世界が達成された後でも彼らの日常が続いてほしいと願います。
もう主題歌もエンディングもずっと聴いてます!
映画でまさか新曲が2つも出るとは思わなかったので本当に嬉しいです!
ありがとうございます〜!