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My life Report Vol.2

脱アジア圏、出発の時

2022年10月1日、場所は成田国際空港第二ビル。高校生ぶりに来た空港は閑散としており、かつての賑わいは息をひそめていた。お気に入りの文具ショップも、物産店も、カフェもすべてシャッター。出国前に食べようとしていた鮨屋も同じく閉店の文字。しぶしぶセブンイレブンのおにぎりをほおばる。最後のダブル抹茶ティーラテを噛みしめながらのみ、集合時間まで家族と一緒に飛行場を見学、そしておしゃべり。見送りに来てくれた伯父と伯母、そして唯一のいとことシャッターを切り、いよいよ出発することを体感した。

来てくれた同期たち🍃
顔はプライバシーに関わるので隠します🙌

親戚のみでなく、夜遅いにもかかわらず駆けつけてくれたサークルの同期と後輩と、高校の同級生。留学頑張れといったメッセージをかけてくれる友達、出発することをさらに自覚する

先生や保険会社からの説明や労いを受け、いよいよ出発手続。荷物測定、身辺検査、搭乗までの手段を済ませ、長旅の始まりをラウンジで覚悟する。ともにリーズに向かう15人とともに、飛行機に乗るその時を待つ。

エコノミー症候群…??

になるんじゃないか、ってくらいは飛行機に乗ったなと思う。
カタールまでおよそ13時間半。半日以上を飛行機の上で過ごした。慣れない飛行機と、狭いシート。様々な国籍の人が乗ることもあり、匂いも様々。

多分きっとおそらくカツ丼

機内食は想像していた以上においしく、案外国外の航空会社も悪くないと実感。しかしやはり日本の会社が作るご飯が一番だなあとしみじみ。

そのあとは寝なければならなかったのだが、これがなかなかうまく寝付くことができず、両隣の寝顔を見たり、わずかな明かりで読書を楽しんだり、映画を見ることで気を紛らわした。映画の種類は豊富で、充実しており、退屈だと思う時間はあまりなかったように思う。
それでも私は映画を何本も観ることが得意ではないので、13時間半もあってみれた映画はたった一本であった。

この上ずっとモノレール通ってる🚝

ドタバタトランジット

日本にいても電車やバスの乗り換えなどに若干の不安が残るにも関わらず飛行機でも乗り換えをしなければならないというのは非常に酷なことである。なぜ直行便を用意してくれなかったんだと何回も思った。
「到着地の気温は40度です」の文字。信じられなくて何回も見直した。
日本語で見ても、英語で見ても、サウジアラビア語でみても40度である。

マジらしい。

信じられない暑さ、それもそう。乗り継ぎ先はワールドカップでにぎわいを見せるドーハである。
そこかしこから聞こえる英語は英語とは思えないほどのアラビアなまりのもの。
聞き取るのも精いっぱいである。
乗り継ぎの飛行機が何番ゲートなのかが到着しなければわからないとのことだったので、一生懸命電子掲示板で探すも見当たらず。
スタッフに聞いてもアラブ英語すぎる上に早いのでなかなか一発で聞き取れず、先輩とあたふた。今まで自分に英語を推してくれた人たちがいかにわかりやすく、そしてゆっくり自分に話しかけてくれたのかということを痛感。そして、同時に聞き取ることのできない自分の能力にも失望。

軽く英語(?)のジャブを受けて、荷物検査。一応受けなければいけないらしく、一同検査所へ。
自分たちよりも前の人たちがPCなどの電子機器をバックから取り出していたこと、日本国内でも荷物検査の際に中身から出していたことを鑑み、ドーハ空港でも同様に。

検査員から「中身全部いれてチャックしめろ」
日本と真逆すぎる上にアラブなまりだったため一瞬戸惑い動きが停止したのを見て一言
「お前ら英語わからないのか?わかるならチャック締めてこっちによこせ」

ショックのなんの。そこまで言わなくたっていいじゃないか。
やる気のない態度。アジア人だからなめられてるのか定かではないが、心底気分の悪い態度だった。
ドーハになんて、カタールになんて行くもんですか、ふん。

ほかにもいろいろあったが割愛。気が向いたらまたトランジットについて書きますわ~~^

一波乱のトランジットを終え、今度はマンチェスター行に。
また長旅である。8時間。絶望。

これは後少しの概念が崩れた当時の私が撮った写真

そうして私たちはついにマンチェスターに到着したのである。
マンチェスターからリーズへの道のり、そしてリーズでの1週目については次のVol.3にて。

ここまで読んでくれたあなたにとびっきりの感謝を。


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