2回のWSを終えて(金川→細谷)

2021年度開催の ななめな学校 連続ワークショップ における 金川晋吾さんの授業「夏への扉 日記をつける、写真をとる」の往復書簡で、金川さんとななめな学校ディレクター細谷でやり取りしています。
これは金川さんから細谷への、WS二回目のレポートに対する返信です。

細谷様

毎回丁寧なレポートを書いていただきありがとうございます!

自分は主催者側のはずなんですが、とてもおもしろいWSに一人の参加者としてかかわっているような、そんな気持ちになっています。この先どうなっていくんだろうか、不安もありますがとても楽しみですね。
それもこれも、参加者のみなさんがとてもナイスな人たちで、不安や葛藤などがありながらもオープンマインドで楽しみながら取り組んでくれているからこそ、今の状態が成り立っているのだと思います。ありがたいかぎりです。

日記と写真をネットで公開するかどうかの話になったときに、参加者のみなさんがそれぞれ自分の思いを語ってくれて、ネットでは公開せずに8月のギャラリーいなげの展示のときに何らかのかたちで開かれたものにすればいいのではないかというふうに話が落ち着いたのは本当によかったと思っています。言われてみればそれがたしかに一番いいなと思いました。参加者のみなさんからそういう提案を出してもらえたことが、僕にはなんだかとてもうれしくてテンションが上がりました。
ただ、ウェブで見せたいという方の意見もあったり、自分もそういう気分がまったくないわけでもないので、次回のWS内でもう一度参加者のみなさんの意向を確認してから決めましょう。

他人と日記を見せ合うということは、励まされたり勇気づけられたり、心動かされることがいろいろとありますね。と同時にそれが閉じられたサークルのなかであっても、他人に見せるということには少なからず緊張感も伴うものだなと思いました。

自分のことを書くというのは、自分自身の輪郭をゆるがすとても「危険」なものになりうる行為であり、だからこそ、あまり続けられない、だんだん書けなくなっていったりするのかもしれないと思いました。
その点、写真というのは自分の外部にあるものなので、そういう意味での危うさはない、ある意味ではヘルシーなメディアなのかもしれないと思いました。
細谷さんが6月に入ってからは写真を中心にした日記にしているのは、とても健全なふるまいに見えます。

この前の授業で僕が少し話したフランスの文学者というのはモーリス・ブランショという人のことです。WS参加者の方が「本当は書きたいことがあるけど、それは書くことはできないので、そのことは秘密にしながら別のことを書いている」というようなことをおっしゃったときに、ブランショのことを思い出して、何かそのことについて言おうとしたのですが、記憶はとても曖昧ではっきりとしたことは言えませんでした。
次回のWSには僕が読んでいたブランショの『カフカからカフカへ』という本を持っていくようにしますね。おそらく、まったくと言っていいほどうまく説明することはできないと思いますが、自分がブランショを読んだ時に感じたことを身振り手振りを交えて、なんとかみなさんにお話したいと思います。

日記をネットでは公開しないと決めてから、みなさんの書くものやアップする写真に何らかの変化が生じていると思います。そして、その変化に合わせて、読んだときの自分の心の動きもより大きなものになっていて、共感のようなものもより強くなっています。こういう心の動きはとてもおもしろいし、感動的と言ってもいいのですが、でもこれを手放しでよろこんでいいのだろうかとか思ってしまったりもします。この自制心は一体何なのでしょうね。

次回は僕と参加者の一対一の対話ではなく、できるだけ参加者同士での対話がおこなえるような場にしたいと思っています。
次回も何卒よろしくお願いいたします。

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2021年6月27日
金川晋吾

■ひとつ前の書簡(WS二回目のレポート)はこちら

金川晋吾(かながわしんご)・ 1981年、京都府生まれ。写真家。千の葉の芸術祭参加作家。神戸大学卒業後、東京藝術大学大学院博士後期課程修了。2010年、第12回三木淳賞受賞。2016年、写真集『father』刊行(青幻社)。写真家としての活動の傍ら、「日記を読む会」を主催している。
近著は小説家太田靖久との共作『犬たちの状態』(フィルムアート社)

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