死について考えるのが楽しい
死について考えるのが楽しい。
なんて、こんなことは9月1日に言うべきではないかもしれない。夏休みがおわって学校が始まる日は自殺が多い。おとなになっても、長期休暇明けの電車遅延は人身事故だったりする。
「死にたい」「自殺したい」なんて人生で一度くらいは思ったことがある。私も思っていたかもしれない。10代のころ、担任の先生に「悩みなんてなさそうだな、いつもニコニコしてて」と言われたけれど、私は悩みだらけだった。
あまり仲良くない人とはうまく喋れなかった。友達ならいくらでも話せるのに、席替えで隣になった男子とか、後ろの席のそこまで仲良くない女子とか、どうやって絡んでいいのかわからなかった。
今でも覚えていることがある。給食のときに、おかずのウインナーがうまく箸でとれずに机にころがってしまった。それを「あ、落ちちゃった!」なんてはしゃぐこともできず、ただ無言でウインナーを拾った。今の私なら、何も考えずに笑って過ごせることを、当時中学生だった私は笑えなかった。
それでも、ひどいイジメもなく過ごせたのは運がよかっただけ。
いじめられなかったけど、友達に裏切られたことがある。
ある日、私の家に電話がかかってきた。それは知らないおじさんからで、私の家の電話番号を友達に聞いたから電話をかけたと言った。なんのことだかわからずに、ただただ気持ち悪かった。内容は援助交際の申し込みだった。
友達は援助交際をしていたらしい。そして勝手に私の電話番号をおしえた。それがどうしても許せなくて私は友達に事実を聞くために、神社に呼び出した。結局、彼女は真実を言わずに泣いて逃げた。追っかけた。それでも本当のことが知りたかった私は彼女を問い詰める。
「なんでおしえたの?」
本当は「なんで援助交際していたの?」と聞きたかった。それから彼女は学校に来なくなってしまった。むしろ私がいじめたみたいになっているのかもしれない。それでも、担任の先生には仲良しだと思われていて、時々プリントを届けに行った。
中学2年のとき、同じクラスになって仲良くなった友達。そして不登校のまま、3年になった。また同じクラスだった。なんで同じクラスになったかという理由を実は知ってしまった。「私と仲良いから同じクラスにした」ということを家庭訪問のときに担任が言っていたらしい。
やっぱり抽選ではなく、おとなもおとなで考えてクラス替えしているんだ。友達だけでなく、なんだかおとなにも裏切られた気分だった。
そんな裏切られたことも、今では忘れて過ごしている。人間は忘れられるから良いのだ。いつまでも覚えていると苦しいことがたくさんある。たくさん泣いたことも、別れたことも、さみしいと思ったことも、ぜんぶつらい。
だけど、忘れられる。そして思い出すのは楽しかったことだけ。
死ぬ間際にさ、楽しかったことだけ思い出せればいいよね。会いたかった人にまた会えたり。会いたいなって思ってた人が連絡くれたり、手紙くれたり。好きな人が目の前にいたり。また話すことができたり。それだけで嬉しい。嬉しいなぁって思いながら死ねたら、私は笑顔で死ねると思う。
ブログでは「死の三部作」が完成した。
【月刊ナナメドリ】では、1000文字程度の日々是作文をお送りします。