人間、躁の日もあれば鬱の日もある
前回の記事で興味の移り変わりが激しい話をしましたが、私はテンションの移り変わりも激しいです。双極性障害とは診断されてないのですが、その片鱗はちらちらと見えているのです。
私がnoteを書くに当たって、勝手に思い込んでいたことがありました。それは「ポジティブかネガティブかどちらか選んで、そのキャラで文章を書かないといけない」というものです。
私はポジティブな時とネガティブな時の差が激しく、一番上の時と下の時とでは考え方もまるっきり変わるのです。故に「書く上でキャラが違いすぎるのはブログ的にどうなんだ?」と疑問が湧いたわけです。
結論、「躁時、鬱時の差も含めて個性になる」となりました。
私は心理学やスピリチュアル、自己啓発などを学ぶことが好きで、その学びを取り入れた日には凄くポジティブな明るい人間になります。そんな日はポジティブな文章を書きたくなるし、自分が経験した明るい話題をしたくなるものです。意味もなく、人生が素晴らしいものに思えるし、全ての出来事が必然に感じます。
けど辛いことがあった時は落ち込みますし、突然漠然とした不安に襲われる時もあります。そんな日はネガティブな文章を書きたくなるし、自分が経験した暗い話題をしたくなるものです。意味もなく、人生お先真っ暗に感じるし、全ての出来事が私を陥れるものに見えます。
このように見れば、日によってポジティブな日もあれば、ネガティブな日もあります。書きたい文章も、日によってまったくテイストが異なります。それすら全て「私」という存在であって、どちらかに偏る必要はないのだと。無理してキャラ作りをする必要はない。
例えば、悲しいストーリーのアニメを見た時にも、心はネガティブモードに入ります。これに関してはその心が落ちる感覚を楽しんでいる自分がいるのです。ネガティブというのは基本感じたくないものですが、たまにアニメや映画などで自らその気持ちを体験したい時があります。皆さんも「今日はこの映画を見て思いっきり泣きたい!」というようなことがありませんか?それと似たようなものです。私は突然、子供向けアニメを見て心を純粋に晴れやかにしたくなる時もあります。
今まで見てきたブロガーさん達は、ある程度のキャラが構築されているように見えましたが、そういう風に勝手に解釈して、勝手に思い込んでいただけでした。
躁時も鬱時も全て私と受け止めて、その時に書きたい文章を素直に書いて行こうと思います。とある記事では「人生は素晴らしい!」などと言ってても、とある記事では「人生は理不尽だ」と、一見矛盾したことを発言してると思いますが、人間そんな感じです。意見が変わったりすることもあると思いますが、それが当たり前なのだと受け入れて、これからも続けていきたいです。