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この世界の全てを僕に教えなくたっていい


ドアを開けた時に吹いた風で少し暑さが和らいだかもと感じ嬉々として散歩に出ると全然そんなことなかったと結局ダラダラ汗をかいてしまう、そんな気候ですね。

みなさんは夏バテしてませんか?


こんにちは。


2024年はいろんなことが起こりすぎて、noteでも途中から仕事のことと旅日記ばかり、「なんでもない日記」が書けていなかった。

なんでもない日記のようなものを交互に送り合っていきたいね、ということで友人と始めたこの「往復書簡」も、生活をただこなすだけでなにもかもがありすぎて、なんでもないようなことに全然焦点が当てられず、とっても素敵な文章を送ってもらったのに、6ヶ月もそのバトンをあたためてしまった。


もう卵だったらニワトリになってるよね。ごめん。

そう、「往復書簡」とは、いわば文通のこと。
我々はこのnoteで、【公開文通】なるものをやろうとしている
(私がマガジンにまとめているので、よければフォローしてください)。


往復書簡1通目(とっても素敵な文章)はコチラ↓


マガジンはコチラ↓
この友人のおばあちゃん、「死んだら金星で逢おう」って言ってくるらしい。なんてロマンチストなの。


往復書簡の相手方と私は、大学時代からの友人。同じサークルの仲間。
大学3年の時、大きなライブの企画者になった友人が、私に「一緒にやろう!」と声かけをしてくれて、もう一人の友人と共にプロデューサーをやってから、なんとなく仲良くなった。

私は本当に本当に、「絶対自分はこれをやりたい!」とか「こっちがいい」みたいな、所謂拘りといったものがもうほとんど無い。
「拘りが無い」ことが、「個性が無い」ことと同義な気がして、「なんて味のしない人間なのだろう」と思う時もある。

でもだからこそ、人から「〇〇やらない?」って誘いを受けたり、「こういうことしてみたら?」みたいなアドバイスをもらったりすると、すぐに「えーやってみよう!」と思えて、そんでやってみたら楽しかったり自分に合っていたり充実していたりする。自分一人の考えや意志では辿り着けないところに到達できるのは、シンプルに嬉しい。
※勿論全ての選択の責任は自分ですが。


「往復書簡」も、こうして友人が誘ってくれたことで始められて、文章を書く機会が増えて、嬉しく思っている。がんばろ〜。



じゃあ逆に私が自分の意だけで決めて行動していることってなんだろう?と振り返ってみたら、あ、ライブハウスに行くことだ、と気づいた。

好きなバンドのライブ告知があったら、すぐにGoogleカレンダーに登録して、日程に問題がなさそうだったらチケットを取って、足を運んでいる。だいたい、一人で。


ちょうどさっき(9月6日21時ごろ)も、ナードマグネットのワンマンが発表されたので、カレンダーに「ナードワンマン😭」と入れておいた。
※冒頭の挨拶の季節ズレからお察しの通り、このnoteもかなりあたためています。



ライブハウスが好きだ。ライブハウスにいる自分も、なんか好きだ。
なんでかはあんまり、わからない。



他の記事でも散々書いているが、私は仕事のあたふたによって心身に不調をきたし、2ヶ月ほど休んでいる。
本当に全てが立ち行かなくなってベッドから出られなくなったのが6月の中下旬、そこから只管養生して、ちょっと動けるなと思えてきたのが7月の中旬ごろ、だいぶ楽になれたなと思ったのが8月の下旬ごろ。

養生期間〜まだ結構しんどめ〜な頃である7月5日に、ずっとずっと楽しみにしていたライブがあった。

「FREESIAN presents - 歌遭 “KASO” Vol.1 - 」

フリージアンの2マンライブのゲストがハンブレッダーズ、と言うスペシャルすぎるライブ。
フリージアンはドラムとベースが関学出身で、ハンブレッダーズは同志社付属香里高校で結成されたバンドで、どちらも元々関西でバンド活動をしていて。ちなみにハンブレのボーカルとフリージアンのドラムはUSJに一緒に遊びに行く仲。

フリージアンは前身バンド「COSMOS」があり、またそのさらに前身バンドとして「逢マイミーマインズ」がある。

ハンブレッダーズがメジャーデビューし、大阪から上京し、どんどん大きな箱でライブをするようになったころ、「COSMOS」が「フリージアン」になった。
「フリージアン」は「フリージアン」として、イチからスタートを切り、2023年の夏、初めて東京でワンマンライブをやった(勿論行った。大盛況だった)。

今年は「フリージアン」として大きく活動してくぞ!ということで、関西と東京でツーマンを、そして東京でどでかいワンマンをやる。
その東京ツーマンの対バン相手が、ハンブレッダーズ。

フリージアンは、俺らがハンブレッダーズを呼べるくらいでっかくなったら対バンしたい!と言っていた。※ニュアンス
つまり、「フリージアン」とハンブレッダーズの初めての対バン。
このツーマンは、フリージアンがそれだけでかくなったぞ!ということを体感し、関西バンドシーンを背負った2バンドのぶつかり合いを目の当たりにできる、
関西バンドファンにとってはアツアツのイベントなのだ。


本当に本当にこの日を楽しみにしていたから、絶対に行きたい、行ってやると思っていたが、精神的なものから体調を壊した自分なんて、「行くべき人間ではない」と思っていた。会社に、上司に、社会に、負けた気がしていたから。

でも、この日まで這いつくばった日々っていうのは嘘ではないし、消えることもない。少なからず「この日のために…」という思いがあって、仕事をギリギリまで頑張れていた。


だから、行くことにした。


でも、1週間ほどほぼ寝込んでいた私。
そもそも家から最寄駅に向かうまでの歩行で精一杯だった。
電車はなんとか座れたものの、息も絶え絶え。なんとか渋谷について、開演ギリギリに到着。


少し前の自分なら絶対にopenと同時に並んで整番順にライブハウスに入り、startまでの1時間を只管立って待ち、できるだけ前の方で拳を掲げていたと思う。
だけど今それをしたら、間違いなくすっころび倒れて周りの人に迷惑をかけてしまうだろう。というか、前に行く勢いというか、元気そのものがなかった。
というわけで、後ろの端っこにもたれながら見ていた。


ゲスト側であるハンブレッダーズが先にステージへ。
いつもより、なんでだろう、とってもキラキラして見えて、魂をぶつけるかの如く
ステージの方へ押し寄せる人の波も、輝いて見えてしまった。

あー、いつもなら私もあっち側にいるのに、もう行けなくなってしまったんだ。
なんでこうなってしまったんだろう?と思うと、居ても立ってもいられなくなってしまった。涙で顔がぐっしょぐしょになった。

私がどんなに打ちのめされようとも、ライブは続く。
「BGMになるなよ」から始まり、最新アルバム『はじめから自由だった』の曲が連続し。


このアルバムに本当に助けられていたな、アルバムが出た2024年の2月は本当に毎日が苦しくてどうしようもなかったけど、このアルバムに救ってもらってたんだよな。頑張り切れたのは、このアルバムのおかげなんだよな。

そしてアルバムを引っ提げて4月から始まったツアーは4ヶ所回ったけど、その時って仕事場を異動したばかりでそれはそれは大変だったけれど、休みの日や仕事帰りにライブに行くことを何よりの支えにしていたんだよな。

あの時はギリギリの、裾を掴むようにして耐えて頑張っていたけど、なんとか頑張れていたよな、また頑張れる時が来るかもしれないな。でもそんなことあるのかな。こんなになったらもう何も頑張れないかもな。


そんなことをぐるぐる考えながら、気づけばライブは終焉へ。
去年の12月にリリースされた「グー」の頭サビ、ギターソロから始まるイントロ。

この曲が世に放たれた瞬間、私はこの往復書簡を繋ぐ友人と、もう一人の友人と、宴を広げていた。良い感じに酔っ払っていたら、突然「グー」の配信と、「はじめから自由だったツアー」の解禁、
近い未来に胸を膨らませ二人に乾杯を求め、しばし迷惑がられたことを思い出した。


うーん、まあ今までもいろんな事あったけどハンブレッダーズがくれた楽しみで乗り越えてきたもんな?と、曲の勢いも手伝ってか、とつぜん、ふっと、持ち直すことができた!

(さすが、リリースして2日で50回も聴いた曲は作用が違うねえ。)

で、そのまま〈踊れない僕らのダンスナンバー〉こと「ワールドイズマイン」。
さすがに腕をぐるぐるさせながら楽しくスキップを踏んでしまった。
ああこの曲で踊れる元気はまだあるんだ自分!と思ったら、なんだかめっちゃ、心が軽くなった。

なんだ、私全然元気じゃん。
急にそう思えた。

いつもありがとう、ハンブレッダーズ。


そしてそのままの勢いでバトンがフリージアンへ。
はやくてうるせーたのしー曲をたっくさんやってくれて、心の隅々までvo.マエダカズシの歌声を感じた。

あっという間に最後の曲。ラストは「悲しみの全てが涙ならば」。
演奏に入る前に、マエダカズシは「生きてりゃ悲しいことなんていっぱいあると思う。でもその悲しみなんて共有しなくて良いんだ、全部抱えて、一人で抱えてここにもってこい」と言った。


私は最近、仕事でメンタルダウンしたことについて、誰ともうまく感情の共有ができなかった。だから、フラストレーションを抱えていた。

私のことなんて誰もわかってくれない!話を聞いてくれない!ということではない。
寧ろ家族も恋人も友人も、皆私がどんな気持ちなのか、どんな状況なのか、ものすごく気にかけてくれていた。

でも、心のどこかで「私以外だったらこの状況も乗り越えられただろうしただ私が甘かっただけなんだろうな」と思ってしまっていた。
兎に角、私の悲しみや苦しみは誰にもわかられるもんではないと。

多分、もしも周りから「そうだよ、君が甘かったんだよ」と言われたら立っていられなくなるから、自己防衛に走っていたんだと思う。
どう考えても、そんなことは言わないで見守ってくれる人たちがたくさんいてくれているのに。

それだけでなく、自分が本当に何に対して悲しんで憤っていて鬱屈としているかなんて、100パーセント他人に伝えられるものではないじゃない?とも思っていた。
私が泣いて喚くことで誰かがもっと辛くなったり、傷ついたりすることが一番怖い。

だから、「全部一人で抱えてもってこい」と言ってくれたことが、とっても嬉しかったんだ。私はこのまま、一人で悲しい気持ちを抱えていても良いんだと。


「一人で抱え込まないで、なんでも共有しよう」「分かち合えば楽になる」みたいなことをよく言われるが、たまになかなかそれができなくなる性格の私である。

そういう自分を受け入れてもらえる場所だから、ライブに行くことも、ライブハウスにいる自分も好きなんだな、と気づけた3時間だった。

このライブで精神がみるみる復活して、最寄駅でラーメン食べて帰った。


なかなか長くなってしまったので、今回はここまで。
まとめる言葉のようなものがないけど、私が渋谷のライブハウスで体感したことの全てが、そのまま言いたいことなのだ。

書簡を渡す友人は私より音楽に詳しいし、歌ったり弾いたりなんでもできる人なので、音楽の話も聞いてみたいな。


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