一日に2回も時が止まった話
みなさんが直近で「あ、今、時止まったな…」と思ったときって、いつだろうか?
ああでも、時が止まった瞬間には時が止まっているので、脳も止まっており、「あ、今時止まったな…」とは思えていない気がする。
「あの時、時止まってたな…」と思ったとき、が正しいのかも。
時が止まる。
そのワードを聞いて私が真っ先に思い出すのは、ある友人の婚約者の言葉である。
「初めて会って挨拶をした時に、時が止まったんだよね。で、バーンって稲妻が走った」
所謂「一目惚れ」というものなのであろう。
今までの時間はこの子と出会うためのものだったと思った、とも言っていた。
私は4ヶ月ほど前にこの話を聞き、「ウワーなんて素敵!人生一度でいいからそういうこと言われてみたかった羨ましすぎる!いいな〜」と強く強く思い、しばらく「バーンってされたいよね!」「人の時、止めたいよね!」といろんな友人に話していた。人の時止めたい、はちょっと異世界表現すぎるが。
哀しくもロマンチックとは縁遠い私の人生において「時が止まるとき」とは、だいたいアクシデントに見舞われたときや、あんまり良い意味じゃない方でびっくりしたとき。
人生のロマンチック度って、結構個人差あるよね〜。
昨日から今日にかけて、私は友人と箱根温泉旅行に出掛けていた。
雨を大義名分としてホテルに籠り喋り、サーロインのしゃぶしゃぶに舌鼓を打ち喋り、温泉で皮膚という皮膚がふやけるほど喋りと、ひたすら喋りを大満喫。
みんな住んでいる場所がやや離れていることから、現地集合現地解散というサッパリスタイルを採用。少しの寂しさとあたたかい余韻を噛み締めながら、一人で帰路に着いた。
普段あまり乗ることのない旅行感満載の特急列車を降り、いつも使っている路線に乗り換え、数十分。
電車がとある駅で停車した。
あと2駅くらいで最寄駅に着くな。
私は「あまりにもせっかちすぎる」と最近世を騒がせているレインボー池田のモーニングルーティン動画を1.5倍速で再生するほどのせかせか女であるため、最寄り駅まであと少しと気づいた時点で家の鍵を鞄から取り出し、洋服のポケットに入れたり、鞄の取り出し易い位置に入れ直したりする。
宇野なずきの歌集『最初からやり直してください』の立ち読みに夢中になっていた私は、流れ作業のようにカバンに手を突っ込んで、ほぼノールックで家の鍵を探した。
…ん?
あるはずの鍵が無い。
鞄の中を手でどんなに弄っても、手のひらに当たるのはのど飴や口紅のみ。
いや、まさかな。
旅行鞄とサブバッグと洋服の中のありとあらゆるポケットを叩き、鞄の中をかき混ぜ、それでもどこにも鍵がない。
私が旅行鞄として愛用しているのは、ブラックホールとの異名を持つ(つまりそれほど中で物を失くしやすい)ロンシャンのル・プリアージュであるため、これでもかというほど念入りに捜索。でもどこにも鍵が無い。
…マジで鍵、失くしたかも?
そう思ったとき、完全に時が止まった。
さっき超感動した短歌の五・七・五なんてもう完全に忘れてしまった。
鍵、失くしたかもしれない。
鍵、失くしたかもしれない。
鍵、失くすのは、流石にやばいよな。
青い顔をしていたら、あっという間に最寄り駅。もちろん一目散に下車。
とりあえず、鞄の中身をひっくり返してでも探そう。ちゃんと探せばあるかもしれない。落ち着け!
自慢ではないが私は「しょっちゅう物を失くしかけるが必ずすぐ見つかる」タイプである。
今までの己の運とギリギリの管理能力を信じて、この鞄の中にある!と思って探すのだ。夢中で改札への階段を駆け降りる。
※私的探し物の流儀、それは「必ずあると信じて探すこと」。
改札の手前のベンチに向かって走る。
ちょうど等間隔に人が座っているが、端のスペースが1.5人分ほど空いていた。
空いたスペースの隣では同い年か自分よりやや年上かと思わしき女性が、駅中で配られている冊子を熱心に読んでいる。
ちょっとおとなり、使わせていただきますね。
心の中で会釈。
椅子にはゴミと思わしき黒と青のテープのようなものがくっついていたので、
それを避けるようにして鞄を置き、早速荷物を取り出し始めた。
もう「こんなところには絶対入ってないだろう」と思うようなところまで探した。
着替えが入っている巾着の中とか、メイクポーチの中とか。
荷物を広げに広げきって中身という中身をチェックしたが、「絶対に出てこい!!!!」という私の念も虚しく、全然姿をあらわしてくれなかった。
ええ、本当に本当に無いかも。そんなことある?
狼狽えたと同時に、私は思い出した。
そういえば昨日家を出る時、急ぎ過ぎてて鍵をかけずに「ごめん鍵閉めておいて!」と家族に言いながら走って出ていったな。家を出る時間を20分も勘違いしていることに、正しい出発時間の5分前に気づいたのだ。
昨日の自分のアホさを思い出して辟易としたが、つまりそれは家に鍵がある可能性も微レ存ということ。
もしかしたら、きっと、家にあるかもしれないから、信じて走って帰るしか無い。
とりあえずこの広げた荷物を片付けよう。
家にあると念じながら片付けよう。
そう思って荷物の一つを手に取った瞬間。
ゴミだと思っていた黒と青のテープらしきものが、視界の端っこでブルッと動いた。
完全に生き物の動き方をしていた。
目を見開き、視線を右にうつす。
私がゴミだと思っていた黒と青のテープらしきものは、なんとも色鮮やかなアゲハ蝶であった。
また時が止まった。
私は恐怖で固まった。
私は虫や魚などの生き物自体はそんなに苦手ではないし、自然の中で出会っていたら特に何も思わなかっただろう。寧ろ蝶なんて「わ、綺麗〜!」なんて思うかもしれない。
しかし、私は部屋の中に虫がいた時など「そこにいるはずのない生き物がいる」という状態になんともいえない気持ち悪さを覚えてしまうたちであった(生き物ごめん)。
私が今いるのは都心ではないにせよまあまあ首都圏かつある程度栄えた駅の、改札手前のまだ室内と呼べる場所のベンチ。小さな虫とかはたまた鳩とかはいるかもしれないが、恐怖を覚えるほどに綺麗な模様のアゲハ蝶はあまりにもミスマッチだった。
怖い。怖すぎる。
でも荷物を片付けなくてはいけない。
思わず隣に座っていたお姉さんの顔を見てみる。
お姉さんも事態に気がついたようで、アゲハ蝶を見て固まっていた。
「…まさかここにいるとは思いませんよね?」
思わず話しかけてしまった。
「綺麗ですけど…駅のホームにはい、いないですよね」
「あっちが外だよ〜、、、なんてね、聞こえないですよね…」
もう今すぐにでもその場から立ち去りたかった。
だがしかし私はベンチに物を広げっぱなし。これを全部回収しないと帰れない。
なかなか飛ばないアゲハ蝶は、ブルブルと私の荷物に近づいてくる。
どうしようどうしよう。
完全に体が固まり脳内も固まっていたその時、
お姉さんが、熱心に読んでいた冊子を半円状に曲げ、アゲハ蝶を覆ってくれた。
「この間に荷物回収して、行っちゃってください!!」
この瞬間、私はこのお姉さん、いやお姉様を、以後天使、神、ミカエルなどと呼ぶことにしようと決めた。おそらくもう一生会うことはないが。
私は夢中で荷物を片付け、鞄に押し入れた。
全部の荷物をまとめて手に持つことに成功したものの、流石に先に立ち去ることなんてできないので、お姉様が覆った冊子をもとに戻すのを、じっと見つめた。
もしかしたらアゲハ蝶は飛ぶのに疲れて、座りたかったのかもしれない。
冊子がほどかれ視界がひらけても、ブルブルとその場に留まっていたので、
お姉様もそのままベンチから立ち上がり、逃げるようにして立ち去っていった。
お姉様、本当にありがとう。
あなたのおかげで私、帰れます!
立ち去るお姉様の背中に心の中で語りかけ、私は一目散に改札を出て、走った。
心臓がバクバクしている。でも走る。
走りながら考えること、それは鍵が家に無かった時どうしようかということ。
私のキーホルダーには家の鍵と恋人の家の合鍵を1本ずつ付けてある。
とりあえず私の父と母と恋人の顔を団子三兄弟のように並べて頭に浮かべ、何度も謝った。マジで鍵無くしたかもしれません。ごめんなさい。
ひとしきり想像謝罪を繰り返したのちに、具体的な動きを考えた。
とりあえず両親にはめちゃくちゃ謝るしかない。多分結構怒られ呆れられるだろう。
防犯上危険だから、万一のことも考えて、鍵は交換することにしよう。
鍵交換、確か8万とかするよね…痛い出費だ…
これを機にダブルロックキーにしよう!とか言われたらもっとかかるな。絶対に阻止したい。ああごめんね万年金欠娘で…。
頭も足もフル回転。家路を走る。家が世界一遠く感じる。
恋人にも、本当謝ることしかできないよな。
あ〜合鍵をもらった時「くれぐれも無くさないように気をつけるんだよ」と言われ、「相変わらずお父さんのようだなあ」と思ったことを思い出した。あの時の自分を殴りたい。
いつもことあるごとにパパみた〜いとイジっているツケが回ってきたんだ、きっとそうに違いない。本当にごめんね!!!!
謝るならはやいほうがいいよね。今日電話しよう。
寝てるかもしれないから、「電話で話したいことがある」「謝りたいことがあって」と言うのがいいだろうか。
でもこの間、〈突然ラインとかで深刻そうな話を持ちかけてくるのが結構怖い、大体内容はなんてことないのに〉みたいなこと言ってたな。怖がらせたくないんだよな。謝りたいだけなんだよな〜〜〜。
「全然怖い話とかじゃないんだけどとにかく謝りたくて電話していいかな?!」みたいに言えばいいんだろうか。
いや、とにかく謝りたいって言われる時点で何があったんやって思って怖くなるよな。
でもこんな重大な失態を隠して平然と装い電話しようなんて言えないよ!
だからといってラインで言うのもおかしい、絶対直接(?)謝るべきことだ。
「本当にごめん。電話しよう」
シンプルイズザベスト、もうこれしかない!
ラインするシミュレーションをしている途中で、家に着いた。
ピンポンを鳴らして、家族に鍵をあけてもらう。
ただいまの挨拶もそこそこに、自室へ一直線。
…あった。
いつも鍵を置いてあるトレー皿の上に、鍵がちょこんと乗っていた。
あ〜〜〜〜〜〜よかった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
体中から力が抜け、なんとも言えない疲労感でいっぱいになった。
時を止めると、疲れるんだなあ。
これを機に絶対に鍵にAirTagをつけようと心に決めたので、
可愛いAirTagケースをご存知の方がおりましたら、ご一報くださいませ。
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