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あいわなしーゆー


ひとりでも大丈夫そう


何年も前だけど、当時ほんのりすきだった人に言われて、ずっとかさぶたみたいにこびりついてる言葉


『大豆田とわ子と三人の元夫』の1話で、若かりし日のとわ子さんが、ひとりでも大丈夫だけど、誰かに大事にされる人になりたいってお母さんに言ってて、本当に心の中で全力でそれな!!!!っておっきい声で言ったよね
『大豆田とわ子と三人の元夫』は、過去のしまったいろいろをそっと撫でられて埃がたつように、観ながらちょっとざわざわ、ぞわぞわ、ぬわーーってなる台詞が散りばめられてる


そして、ひとりでも大丈夫そうって
実際にわたし言われたなって、ちょっぴり苦い思い出が甦った

あぁ、わたしってそういうふうにみえるんだ


ひとりだろうとふたりだろうと、日々はすすんで行くから、その流れに乗っていかなきゃいけないから
ただ、それだけなのにって思ったけど、なんにも言わなかった、言えなかった

でも、大豆田の4話をみてしっくりきてしまった
わたしは、とわ子さんではなく、かごめちゃん側に立ってる

とわ子さんでなく、かごめちゃんにものすごくシンパシーを感じてしまった
なぜなら、4話のかごめちゃんをみて、わたしだ、わたしとおんなじだって思ってしまったから

かごめちゃんみたいに、恋はしないって絶対に決めてるわけではないんだけど
なんなら、わたしをすきにならないだろうなって人を敢えて選んですきになってきた
きっと無意識に、これ以上近づくことも今以上に遠くなることもないと思ってたからなのかなぁ

わたしは、大豆田とわこさんにはなれない
ましてや、早良さんはいちばん遠いかも どうやっても、そっちがわにいけない
きっとどこまでいっても マイノリティで平行線 マジョリティのふりができない
上手にみんなと一緒のふりができたらよかったのに

こういう話を誰かにしても、全然わかってもらえなかったから
友達には異性と仲良くなった話をすると、決まって「その人、彼女いないの?」って聞かれたけど、そういうのじゃないんだ

こういうきもち、誰にも理解されないのかなって思ってたから
わたしだけじゃないのかもって、少しほっとした
テレビの、画面の向こうだけど、きっとおんなじような思いを抱えていきてる人がいるっていう、ちょっとした安堵

藍色の海の底でひとりぼっちみたいな真夜中、みんなにとって当たり前のことができないって、ベッドでちっちゃくなってぐるぐる沈んでは、声を殺して泣いていたあの日をときどき思い出す


「恋愛はしたくないんだよ 理由はないんだけど、わたしの人生にはいらないの」なんて、かごめちゃんみたいには、まだ言いきれないけど
かごめちゃんがそう言ったときのとわ子さんみたいに、一言「そっ」って言ってくれる人がそばにいたらよかったなぁ

ひとりに慣れようとしちゃってる
それがきっと、寂しいことだっていうのも知ってるつもり
誰かと一緒にいる、いたいって気持ちは、とんでもなく素敵なことだって知ってる
でも、そのかたちをみんなみたいに上手につくれない、選べないんだもん


それでも
寂しいけど、その寂しさも全部でわたしなのかも


かごめちゃんにとっての、とわ子さんの存在がうらやましい
お父さんでお母さんで、兄弟で、おじいちゃんでおばあちゃんで、叔父で叔母でって、ひとりで何役も担ってて大変だけど、ようするに家族ってことだよね
家族って、一緒にいたくて選んで、そして出来ていくかたち

異性とか恋愛とかそんなの飛びこえて、“一緒にいたい”がなりたいかたちなのに
恋愛がないと、恋人にならないと、“一緒にいたい”も選べないなんて

男と女ってだけで、どうしてこんなに儘ならないんだろう


でも今は、

結婚しなくても幸せになれるこの時代に、わたしはあなたと結婚したいのです

そんなふうに言えるような、いつかの未来に淡い期待を込めていたいな

まだ





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