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第2話 小銭も積もれば山となる
「店長、先輩、注文が溜まってきてますよ!」
厨房に向かって大声を上げながら、俺は空の食器を手際よくトレイに乗せていった。
バイトを始めたての時はビールを注ぐのも一苦労だったが、今ではジョッキを両手に3つずつ持って運ぶことも余裕だ。すっかり一人前の居酒屋店員と言える。
(別に、居酒屋店員のプロになりたいワケじゃないんだけど……)
運んできた食器を流しに並べると、店長の首のうちの1本が伸びてきて、スポンジで皿を洗い始めた。
首が全部で8本あるこの居酒屋の店長は、当然、人間じゃない。そして不思議なことに、客も半分くらい人間じゃない。
いわゆる、”八百万の神様”って奴だ。
今、奥の座席でべろべろに酔っ払っているのが、恵比寿様と大黒天様。どちらも七福神で有名な神様だけど、あまりそうは見えない。
一応、遠目にはスタンダードな神様っぽく見える。けど、よく見ると顔はその辺のおっさんみたいな感じだし、酔って喋ってる事もなんだかおっさんじみているし、なんなら恵比寿の方は魚市場みたいな臭いがするし。
2人は、よくこの居酒屋にやって来る常連だ。神様だからといって太っ腹かと言われればそうでもなく、むしろ頼み方はケチくさい。安いメニューを頼んでおいて、何時間も居座りながら「信仰されたい」と愚痴り、酔っ払ってべろべろになるのがいつもの流れだ。
店長のヤマタノオロチさんとは昔からの知り合いらしく、割と気楽に喋っている。ヤマタノオロチって神様というよりモンスターに近かったような気がするけど、良いんだろうか。何なら先輩のスサノオさんも、ヤマタノオロチの首を斬り落とした人だった気がするけど、良いんだろうか。
とはいえ、居酒屋でバイトするのに、周りが神様であることなんて大した問題じゃない。そもそも、俺は神話とか伝説にはあまり興味がないし、七福神も残りは弁財天様くらいしか分からない。
色々な神様がこの街にいるのもまあ何か理由があるんだろうけど、信仰されたいと言ってるくらいなんだから、多分人間に悪いようなことはしないだろうなと思っている。
そんな事を考えながらぼーっとしていたら、料理ができているのに気が付かなかった。スサノオさんが大皿を運んで行ったのを見て、慌てて俺も残りを運ぶ。
この居酒屋を選んだのは、働いた分だけキッチリ給料をもらえるから。店長はちょっと抜けてるとこがあるけど、スサノオさんが帳簿を握っている限り、給料はバッチリだ。
スサノオさんは真面目な上に、滅茶苦茶ラップが上手い。神話に出て来る有名人だけあって、力も強くて、頼りになる。これでもう少し愛想が良ければ、大分モテたと思う。
「 YO 」
「あ、スサノオさん。さっきはありがとうございました」
「You're welcome こっちはええ神
客はまだComing でももう上がり
定時は守りな さもなきゃ怒りをTalkyな労基から頂き I’m not joking」
言われて時計を見ると、確かにシフトの終わりの時間が近付いている。俺は残りの食器を急いで片付けると、スサノオさんと店長に声をかけて、バックヤードに引っ込んだ。
そんなに大きい店じゃないから、俺以外にバックヤードに人はいない。次回のシフトを確認しようとスマホでスケジュールを開いて、思わずため息が出てしまった。
来週の土曜日の欄には、『水族館!!!!!』と登録されている。
この予定は、ただの予定ではない。
大学生になってようやくできた彼女との、初めてのデートの予定だ。
だというのに、デートの事で埋め尽くされた心とは裏腹に、財布の中身はスッカスカで、あまりにも心許ない。大学生同士とはいえせっかくの初デート、さらっと会計を出して彼女にいい格好をしたいのに、それができるかどうかは正直怪しいところだ。
店長に頼み込み、シフトを詰められるだけ詰め込んだが、それでもデートの日には間に合いそうもない。だからといって、親に借りるようなこともしたくない。俺だってもう21な訳だし。
気が重くなるのを感じつつ裏口から店を出ると、居酒屋の中とはまた違ったざわめきに包まれた。
居酒屋の中の騒がしさは荒々しく、澱んでいて、内側に向かって力をかけられているような心地がするが、外の騒がしさはぼんやりしていて、少し寂しく、耳を澄まさなければ幻みたいに消えてしまいそうだ。
神拗町の夜は俺が小さい頃からこんな感じで、賑やかなのに、名前通りどこか拗ねたような雰囲気がある。ここらでは有名な繁華街だけあって、夜になれば人通りも決して少なくないのだが、都会の本物の街に比べたらまるでおもちゃのようなものだ。
ふと、視界の端で何かが動いた。
つられるように視線を向けると、そこにいたのは1匹の三毛猫だった。室外機の上で、招き猫のように手を動かしながら顔を洗っている。俺の知っている猫だ。
「どうしたラッキー、こんなとこで……あっ!」
ラッキーは撫でようとした俺の手をすり抜けて、室外機から飛び降りてしまう。しなやかに地面に降り立ったラッキーはこちらを振り返り、「ニャー」とひと声鳴くと、俺を誘うように先に立って歩き出した。不思議に思いつつ、後を追いかける。
ラッキーが向かった先は、居酒屋の表口だった。店の前には何故か米が散らばっていて、格子戸越しに見える店内には、客はもうあまり残っていない。恵比寿と大黒天の姿もない。
俺が支度をしている間に帰ったんだろうか。そんな事を考えながら突っ立っていると、いつの間にかラッキーはいなくなっていた。
「何がしたかったんだ……」
特に居酒屋に用事もないし、明日は1限から講義があるから早く帰って寝たい。大体猫のすることなんて良く分からないものだし、俺は気にせず帰ることにした。正確には、しようとした。
そうできなかったのは、後から声をかけられたからだ。
「よっ!いい眉毛だね!」
酒でかすれて、どこか調子の外れた男の声。
驚いて振り向いた先にいたのは、酔い潰れて顔を真っ赤にした恵比寿と大黒天だった。見知らぬ酔っ払いでなかった事に、少しだけ安心する。
あの神様達も別に知り合いという訳ではないが、いつも居酒屋で飲んだくれているのを見ているから、あまり怖くはない。
それにしても神様が俺の眉毛を褒めるなんて、どんな風の吹き回しだろうか。まさかカツアゲされやしないよな、と警戒したが、それが俺に向けられた言葉じゃなかったのは、続く言葉ですぐに分かった。
「よっ!ナイスヒゲ!グッド服!え〜っと、グレイト福耳!」
「うふふ……って福耳はお前もだろ!」
どういうわけか、恵比寿は大黒天を褒めまくっている様だった。あれを「褒めている」と言っていいかは、微妙なとこだったけど。
「つっても褒めるとこがなあ……オシャレな小槌だね!とか?
いい俵使ってんね!とか?」
「え?そ、そうかなあ、うふふ」
「いいのかよ!」
そんなやり取りをする2人の傍で、固いものが地面に落ちる音がする。恵比寿が地面に落ちたそれを拾い上げるも、すぐに放り出してしまった。
「かーっ、駄目だ!小銭しか出ねえ!」
「そりゃそうだよ、恵比寿に褒められたとこで
お世辞だって分かってるんだし」
なんと、音の正体は小銭だった。恵比寿が大黒天を褒めると、大黒天が持っている小槌から小銭が飛び出してくるのだ。
(打出の小槌って、大黒天様の持ち物だったのか。
一寸法師のアイテムだと思ってた)
飛び出した小銭は地面にあった別の小銭とぶつかっては転がり、ジャラジャラとメダルゲームのような音を立てる。恵比寿は長い間そうやって大黒天を褒めていたようで、2人の足元には結構な量の小銭が散らばっていた。
だが、2人は足元の小銭には見向きもしない。
「ええい、良く考えたら別にリアリティを求める必要はねえんだ!
よっ、イケメン!天才!モテ男!」
「いやいや、そんな適当じゃダメだよ。もっと心が籠ってないと」
「って言いながらも500円出てんじゃん!
しっかり気持ちよくなってんじゃん!」
「でもねえ、小銭がいくら出たところで……」
浮かない様子の大黒天に、恵比寿はまた褒め言葉をかけ始めた。やはり小槌から出てくるのは小銭ばかりだが、時々500円玉が出ると、2人は悔しがる様子を見せる。
どうやら、大黒天が嬉しくなればなるほど、高い額の小銭が出て来るらしい。それで恵比寿は大黒天を喜ばせるために、あれこれ褒め言葉を考えているようなのだ。
それにしても、どうして小銭ではダメなんだろう。高い額のお金が欲しいのだろうか?足元の小銭を集めれば、3000円くらいにはなりそうなのに。
気付けば俺はすっかり2人が気になって、その場に立ち尽くしてしまっていた。酔っ払いが騒いでるのはこの街で何度も見たことがあるのに、騒いでるのが神様だからなのか、まるで自分がどこか普通じゃない場所にいるような気がしてくる。
立ち並んだ建物の向こうから電車の走る音が響き、2人の声をかき消していく。轟々と耳を塞ぐ電車の音だけが聞こえる中で、コミカルな動きを繰り広げる神様たちは、なんだかギャグ漫画の切り抜きのようだった。
そしてそんな状況が続いたまま、20分くらいが経過した。
いつまでやってるんだ、あの2人。
「それでは次の問題。『こんな大黒天は嫌だ』」
「人で大喜利始めないでよ……。あ、何?嫌な僕の例えを出すことで、
逆説的に本当の僕はそうじゃないって褒めてくれるってこと?」
「『18才までママとお風呂に入っていた』」
「実話やめて!!!それはもうただの嫌な僕じゃん!!!」
大黒天が叫びながらひっくり返り、地面に広がっていた小銭をさらに撒き散らす。いくつかは俺の足元にまで転がってきて、スニーカーの先に当たってコツンと鈍い音を立てた。薄い金色の、大きな硬貨。500円玉が、1、2、3枚。2人は気付いていないようだ。
5円や10円ならまだしも、1500円は流石に無視という訳にもいかない。特にあの神様達は、しょっちゅう会計でもめているのを見ているからなおさらだ。これで放っておいて、後で難癖を付けられてもかなわない。
けれど、絶賛あれこれと叫びながら暴れている2人に声をかけるのも、それはそれで気が乗らない。というかもっと言うなら、そもそもあの2人に話しかけたくない。性格悪そうだし、なんか洗ってないチューハイ缶に塩辛入れたみたいな臭いするし。
誰か代わりに声をかけてくれたりしないかと、俺は周りを見回す。飲み会帰りの大人達は上司の機嫌を取ったり、部下に偉そうにするのに必死で、俺達の事は気に留めもしない。それか、いかにも面倒そうな神様達に、気付かぬふりをしているだけかもしれない。
俺は騒ぐ神様達を眺めながら2分くらいたっぷり悩むと、渋々500円玉を拾い上げた。
「あのぉ……」
恐る恐る声をかけるも、神様達は振り返らない。無視している訳ではなく、自分達の騒ぎで俺の声が聞こえなかったのだろう。俺は大きく息を吸い込むと、エプロンとバンダナを身につけた、居酒屋アルバイトの自分の姿を頭に思い描く。
「あのすいませんお客様!!!」
「わあっ!な、何?!誰?!」
張り上げた接客用ボイスに驚いた2人は、漫画のように飛び上がった。ついでに周囲からいくらか余分な視線が向けられているような気もするけど、努めてそっちは向かない様に、真っ直ぐ神様達を見据える。
いきなり大声をかけてきた謎の男に怖気付いたのか、恵比寿は咄嗟に大黒天を前に押し出して、その後ろに隠れた。
「ちょ、ちょっと!恵比寿!
……あ、へへ、すみません、うるさかったですかね、僕たち……」
「あっ、違います!えっと……」
冷や汗を垂らしながら、強張った笑顔を浮かべた大黒天がペコペコと謝るので、俺は手を振ってそれを否定した。怒られるのではないことが分かって若干落ち着いた様子ながらも、不安そうな顔でこちらを見上げる大黒天。俺はその顔をじっと見ると、口を開いた。
「唇めっちゃぷるぷるっすね」
「えっ……」
思わず出た言葉に、しまった、と内心で頭を抱えた。とりあえず警戒を解こうと、何とか話題を繋げようとしたのだけど、今言ったのはコンパで女子相手に言うようなやつだ。
こんなおっさん、いやおっさんっぽい神様にそんな事を言ったところで……。
「む、むふぇふふふ……」
急に聞こえた不気味な声は、でれでれに照れた大黒天の笑い声だった。
ちょっと奇妙すぎる笑い声に気を取られていると、意識の外からバサッと紙束のような音がする。それを聞いた恵比寿は目を見開くと、大黒天の後ろから飛び出して地面に張り付いた。かと思うと、弾かれたみたいに立ち上がって、何かを俺と大黒天の目の前に突きつける。
目と目が合う俺と諭吉。
小槌から出たのは札束だった。
「お、おおお兄さん、もっとコイツのこと褒めて!もっと!」
「ええっ?!んな、急に言われても……!」
恵比寿に言われて、酔いと照れででろでろになった大黒天を見る。正直、パッと見で褒められるところなんて何もない。さっきとっさにあんな褒め言葉が出たのは、奇跡と言ってもいいくらいだ。
けど、なぜか目を見開いたままの恵比寿は鬼気迫る様子で、できないでは済まなさそうだった。俺は居酒屋店員スイッチの代わりに合コン回路をフル回転させ、大黒天の顔を観察する。
「えっと……鼻筋高くてカッコいいっすね!」
「そ……そうかい、むふぇふぇ」
「あと……あっ!もしかして奥二重じゃないっすか?羨ましいわ〜!」
「ま、まあ、実はね、そうなんだよ、もひょほほほ」
どんどん奇妙になっていく笑い声に比例するように、大黒天の小槌からポロポロと薄い札束が転げ落ちる。それでも、まだ足りないらしい。恵比寿が小声で「もっと、もっと」と急かしてくる。
俺は服の裾を握りしめると、自分に言い聞かせた。落ち着け、俺。俺は一人前の居酒屋アルバイト。酔ったおっさん2人の相手なんて、日常茶飯事だ。
これまで大黒天にかけてきた褒め言葉を思い返す。どれも喜んでいるみたいだったが、一番反応が良かったのは、最初の「唇ぷるぷるですね」だ。それで喜ぶということは、彼は美容に気を使っているのかもしれない。
ならば、俺の答えはこれだ。
俺は顔を上げると、渾身の営業スマイルを浮かべた。
「ってか、ほっぺ超すべすべっすよね!」
まるで言葉に殴られたがごとく、大黒天の体が大きく後ろに揺れる。
それと同時に、小槌からドサドサと重い音を立てて分厚い札束がいくつも飛び出し、地面に積み重なった。隣に、大黒天が満面の笑みを浮かべて倒れ込む。
恵比寿は両手を上げて喜ぶと、乱暴に札束の山をひったくって、少し離れた場所の地面にかがみ込んだ。札束を掴んで、地面に何かしているのだ。ひっくり返ったままの大黒天を気にしつつ、恵比寿が何をしているのか覗こうとすると、独特の嫌な臭いが漂ってきた。
「いやぁ〜、助かったぜ。
店の前で吐いたのがバレたら、スサノオに真っ二つにされちゃうからね。
あいつ怒らせたら怖いから。あ、でも今は草薙剣持ってないんだっけ?」
そんなことを言いながら恵比寿が振り返ると、彼の手元が見えるようになる。驚くことに、彼は自分達が吐いたらしいゲロを札束を使って拭いていた。一万円札を使っているというのに惜しむ様子すらなく、何枚もの諭吉の顔がみるみるゲロにまみれていく。
なんと贅沢なことだ。彼らはお金ではなく、紙が欲しくて札束を出そうとしていたのだ。
「おいいつまで寝てんだ大黒天!
お前も手伝えよ!いい気になってんじゃねえぞ!」
「はいはい、んふふ……あ、そうだお兄さん」
起き上がった大黒天は、何やら足元の小銭をかき集め始める。ぶつかりあった小銭はチャリチャリと音を立て、いくつかはどこかへ転がって行ってしまうが、大黒天はそんなことを気にしていないようだ。
おおよそ周囲の小銭を集め終え、バケツいっぱいになるくらいの山になったそれを、彼は俺に向かって押し出した。
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「こんなもので悪いけど、良かったらお礼として受け取ってよ。
500円玉も結構入ってるし、銀行で両替してもらえば
それなりの額になるよ」
「おい何カッコつけてんだ大黒天!いい気になってんじゃねえぞ!」
「はいはい、んふふ……」
2人は大量の札束を使い切り、なんとかゲロを掃除し終えると、そのまま連れ立ってどこかへいなくなってしまった。
俺は残された小銭の山の前でしばらく何もできずに立っていたが、電車の走る音を聞いて、明日の授業が一限からであることを思い出した。
すくい上げた小銭の重さを感じながら、水族館のチケット代を思い出す。
とりあえず、帰ったらこの小銭は死ぬほど洗おう、と心に決めた。
※この物語はフィクションです。
実在の人物や団体や神仏や妖怪などとは一切関係ありません。
★アルバイト中の福克の苦労が分かる『なならき』本編第二話はこちら