優しさとは(土星♓太陽♓)
「先生、なぜぼくは、いつも優しいと言われるのでしょう」
花壇の花を植え替えながら、ぼくは先生に尋ねた。
先生は手に着いた土を払って、うんと伸びをしてから答えた。
「それは、きみが優しいからですよ」
スコップを傍らに置いたまま、先生は穏やかに微笑む。庭の花に向けるのと同じ、暖かな眼差しで。そしてそのまま、ぼくの納得のいかないしかめ面と向き合った。先生にものを尋ねると、往々にしてこういうことになる。先生は、ぼくに考えを話させたいのだ。ぼくの発言がどんなものであれ、そこから対話を重ねていくのが先生の好みのようだった。
ぼくは、ゆっくりと考えながらぽつぽつ呟いた。
「ぼく自身は、少しも優しくないと思っています。ぼくが人に優しくするのは、そのほうが平和でいい事だからです。そういう環境の方が、ぼくは居心地がよくて、それだけでもぼくの利益になるのでそうしているだけです」
先生は無言で続きを促してくる。ぼくは、必死になって言葉を探した。
「誰も彼も、争ったり奪ったりすることが自分に最も利益を与えると思い込んでいます。本当はそうではないのに。それに気付かないばかでおろかな人間どもめ、と見下すことさえあります」
先生は、そうですか、と言ってスコップを手に取った。目の前にある枯れた花を引き抜くために。ぼくは、それに構わず言葉を続ける。
「そもそも、ぼくだって頑張って優しくしているんですよ。ぼくだって、みんなのように利己的に振る舞いたいですよ、そんなの。でもみんながやらないから。ぼくがやらなければ誰もひとに優しくしないから。
それなのに、それに気付きもしないで。ぼくの心根が優しいなんて思い込んで……本当、よく言えたものだなと」
先生のスコップが、枯れた花を掘り起こしていく。よく研がれ、手入れされている先生自慢のスコップで。
「それでもきみは、信じているのでしょう。きみ自身がひとに優しく接することで、ばかでおろかな人間どもが良き行動に目覚めることを。攻撃もせず、主張するでもなく、ただひたすら祈るように。
ばかでおろかな自分にも出来ることなのだから、すべてのひとが出来ないわけがないと、信じているわけです。それを優しさと呼ばずして、なんとあらわせば良いでしょうか」
ちがう、と言いかけて、ぼくは口を噤んだ。先生の言う"優しさ"に、別の意味を感じたからだった。
かわりに、先生が口を開く。
「自分が好きでやっている訳でも無く、それにやりがいを感じているでもない。そんなことを続けるのは大変でしょう。
やめてもいいのでは。何も変わらないのなら。自分に優しくするほうがよほどいいですよ。それに、きみがやるべきことは、それこそ星の数ほどありますからね」
先生に掘り起こされた花が、あっさりと乱雑に投げ捨てられていく。かわいた土の上にほっぽり出されたその花がなんだか痛ましくて、ぼくは自分で抜いた株をそっと地面に横たえた。
ああ、こういうところだな。ぼくは胸中で独りごちた。
「それでもぼくは、ひとに優しくしてしまうでしょう。そうしたい、そうしようと思ってしまう。だって、そのほうが、ずっといいです」
先生のいつもの微笑みが、空気を伝わってくる。
「それならば、そうしなさい。きみがやるべきことは、そういうことです」
先生が、二本目に手をかける。今度は優しい手つきで掘り起こし、丁寧に土を落として地面に横たえた。
「とはいえ、相手に具体的に伝えずに要求するのはきみの悪い癖です。みんながみんな、きみほど周りに優しく出来るわけではないのですから。ばかでおろかな人達には、はっきりと言葉で示してしまわないと伝わらないのですよ。
例えば、枯れた花でも丁寧に扱って欲しい時とか、ね」
一体誰に似たのでしょうか、という先生の悪態を聞き流しながら、ぼくはそっと俯いた。
花壇の土の上には、ぼくのスコップが乗っている。土だらけサビだらけの汚いスコップだ。買ってもらった時はぴかぴかで、大事にしようと心に決めた真っ青な海の色も、今では見る影もない。
「ぼくに、できるでしょうか」
先生は、まだ微笑み続けている。
「できますよ」
最後の一株を抜き終えて、先生はゆっくりと立ち上がった。ぼくもそれにならって立ち上がる。空の青さが目を刺して、ぼくはうっと目を瞑った。
「土は掘り返せば柔らかくなり、スコップは手入れすればぴかぴかになる。そうなれば、植えた花は伸びやかに咲き、次の移植もやりやすい」
先生のぴかぴかのスコップは、その手の中で誇らしそうに輝いている。
「やり方は、何度でも教えましょう。そして、何度でも花を植えましょう。きみがやり方を覚えて、その良さを身に刻むまで。そうして身についてしまえば、もうきみは煩わされなくなる」
空の色を映してか、ぼくのスコップもなんだか輝いて見える。ぼくは、柄をぎゅっと握りしめて、何を誓うでもなく、しかし強く頷いた。
先生は、やはり穏やかに微笑んで、ぼくを見つめていた。