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まずは子どもを幸せにしよう。すべてはそのあとに続く。A.S.ニイル

先日、今話題の映画「夢みる小学校」を観てきた。作られたドラマっぽさは全くなく、現状を、教育を、可能性を、まっすぐ伝える映画だったと思う。
個人的に印象的だったポイントをまとめてみました。


通知表がない

この映画をみる少し前、通知表を作成しなきゃいけないという法的根拠はないという衝撃の事実を知った。
いやもうびっくり笑(遅刻を記録しなきゃいけないという法的根拠もないのも知った。おもろい笑)
映画の中で尾木ママが言っていた通り、シンガポールでは2年前から通知表を廃止、北欧では競争をやめたことによって質が高まったらしい。

思い返せば学生時代、私よりテストの点が高い子よりも私の方が通知表は良かったりもした(笑)
授業中余計なことをしなかったり、テスト以外で通知表に反映される項目で良い成績を取るのが上手かったんだと思う。
わかりやすく媚びたりとかもしてた(笑)
それは学力さえ図れていないのではないか?
本当に子どものためになっているのか。
そもそも通知表は誰のためにあるのか?

夢中になる瞬間

茂木健一郎さんによって、脳科学的な視点からみた教育が語られている。学習とは神経細胞の間のシナプスが結合することで、好きなものに熱中して取り組んでいる時が、一番脳が学習している。
そして、子どもが夢中になれるものを見つけた時、自分が世界に存在することを肯定されたような気持ちになると言う。

子どもの脳にとって最も大切なのは、この自己肯定感なんです。その子が興味を持ったことが、その子にとっての「主要教科」なのですね。

たまたま国が選んだ教科ができる人が「頭の良い人」とされ、大学に進学し、高い収入を得る。
それぞれの興味が「主要教科」として認められて、極めることができれば、日本には色々な分野のスペシャリストが増えるんじゃないかなと思う。

現段階でもこれだけできる

この映画は文部科学省選定映画
きのくに子どもの村学園は私立だけど、公立の伊那小学校でも総合学習をメインにおいた学習をしている。
現行の学習指導要領の中でもこれだけ自由な校風が実現できるという可能性を見せてくれた映画だったと思う。
教育を変えるのは、学校を創ったり、教師になるだけじゃない。本当に色々なやり方がある。映画を創ることだって教育を変えることに繋がる。
そう教えてくれた。

発達障害というレッテル

苫野一徳さんは「みんなで同じことを、同じペースで、同質性の高い学級の中で、教科ごとの出来合いの答えを、子どもたちに一斉に勉強させる」システムに問題があると言い、ピーター・センゲさんは、このシステムに合わない子ども達に、何らかの「障害」を持った子どもというレッテルを張ってきたと言う。

学生時代、主に小中で常に生きづらさを抱えていた。
特に、怒られることに慣れていなかった私は、顧問に怒られては学校を休んで逃げて、また怒られてた。
「そんなことしてるのお前だけだよ。」
と言われ、人との違いに苦しんだ。
大学生になった今だからわかるけど、私を強くしたのは「怒号」ではなく、「挑戦」と「失敗」、そして「受容されること」だった。

怒られた方が強くなれる人もいるし、そうでない人もいる。
私の場合は勉強ではなかったけど、感じ方の違う人間を同じ型に当てはめるやり方は、少なくとも今の時代には合ってないと思う。

「みんなで同じことを、同じペースで、同じやり方で」は色々な問題を引き起こす。

校長になれ

桜丘中学校元校長の西郷さんの言葉が私の夢を目標に変えた。
「教育を変えたい。そのために学校を創りたい」という夢を高校生の時から、変わらず持ち続けてきた。
でも、実際に学校を創るということは、自分にとっては目標ではなく、遥か遠い夢で。学校を創るにはどんな道があるのか。実際に学校を創った人に会っても明確に見えることはなかった。
作中で西郷さんは

校長の権限はたくさんあって、ほとんどのことは校長が決められるんです。早く校長になって、学校を変えて、世界を変えて欲しいな。

と私に伝えてくれました。
2000年から教職に就いたことがない、「民間人」も校長登用が可能になった。
大阪府では、公立小中学の校長、約50名を学校内外から公募したことが話題になった。現在は校長は40歳、教頭は35歳から応募することができる。
他にも色々な選択肢があると思うけど、一つの具体的な選択肢が見えたのは、この映画に出会えて本当に良かったと思う。

終わりに

本当の意味で子どもの選択肢を増やし、自由にするのは、今行っている勉強なのだろうか。
せっかく有名大学に進学したから…という理由で自分が本当にやりたいことをやらなかった人を見てきた。
勉強することは本当に選択肢を広げることなのか?
今の制度だと勉強ができる人も出来ない人もそれぞれで選択肢が狭まってしまっている気もする。

卒業生を送る会で卒業生一人一人が自分の言葉で、感謝の気持ちを伝えていた。本当に立派だった。
風越学園に行ったときにも感じたことだけど、自由な校風なもとで、自分で考え、実践してきた子どもたちは、言語力に長けていると思う。
自分の考えを人に伝える力というのは、どこでも必要になるし、どこでも役に立つと思う。

日本の可能性、教育の可能性、人の可能性、自分の可能性。
あらゆる可能性を、この映画の中で見た気がする。

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