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肩書きなんてなくていいんです
肩書きは自分の名前でいいんです
何している人ですって言えた方がわかりやすいし
自己紹介的にも良いのだと思うのだけど
あれもこれも色んなお仕事をしているからね
(本当に裏方も表も何個も)
なので何者ですか?って言われても何者でもないわけで。
何をしている人かわからないと売れない
とか
もっと売れたいなら一個に絞れ
とか
金稼ぎたくて色々やってるよね
とか
サウンドバスやり始める人多いけど大体中途半端なヨガ講師だよなって有名なヨガの先生がストーリーズで言ってたな
直接的なお叱り?助言もあったりね
きっとその言葉をくれた人たちは
満たしたい気持ちがあって
だいたいは
私だってそれやりたい!
とか
あなたの存在が怖いから目立たないでほしい!
とか
お金稼ぎたいけどいい子で見せないといけないからできないんだよ私!
とかなのかもしれないなぁ
売れたいと思ったことはないし
中途半端かどうかのジャッジメントなんて
どーでもいいの
「肩書きを何か持っていないと不安で
なんだったら自分がやれるのかを、
湧き上がることよりもそういう目線で探しに言ってる」
という方をさっきコンサルティングしていて。
伝えたい想いや目指すところっていうものがブレずに一貫していること。言葉と行動が一致していることが大切かなって思っている。
だから何者かの当てはまるかっこいい横文字の肩書きとか産み出さなくてもいいから
自分はどういう人間で、どういうことしかできないです、これはやりたくなくてこれはやりたいです。
っていうことが根っこにあればもうなんだっていいと思う。
そういう自分との柔らかい繋がり方をやって行った方がいいと思う。
私は何も目指していないけど、こうやって生きていて、色んなことを一生懸命自分に恥じないように、たまには“違うこと”もして怒ったり泣いたり後悔したりしながらこうして今ここにいるし。
色んなことをすっ飛ばしてわかったような気にはならない。経験もしていないことを話さない。
ようにしている。それを気を付けて生きている。
どんな肩書きでどうなりたいかは考えてなくて、こういうことを考えている。
肩書きは自分の名前でいい
年齢も恥ずかしくない、生きてきた年数なだけだから。それにどんな意味も勝手につけない。
人のことを自分の目的を果たす手段のように扱うことをせずに粛々と続けていれば
肩書きがなんでも、どーでもよくなると思っている。
それに自分と繋がっていたら何がしたいのか
声が聞こえてくると思う。それに邪魔する声の存在も認知して、静かにして、と言えるかも。
肩書きはなんだっていいです。