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「ママ女医」問題|自分の経験をもとに③
「ママ女医」問題|自分の経験をもとに①、②に引き続き第3弾です。
それぞれ未読の方は先にこちらを読了くださいませ。
今回は育休明けのドタバタ、そして直面する「ママ女医」問題。
いざ自分が「ママ女医」になったとき、どう感じたか。
そして復帰に際して用意したことや反省点を綴ります。
一応 完結編の予定です。
※一部プロモーションを含みます。
「育休明け」それは家庭内戦争の始まり
生後7か月で復帰
育休を数か月取得し、医局人事(後期研修プログラム)で大学勤務になりました。通勤は約1.5時間。夫との兼ね合いで住まいを移すことは難しく私が何とか頑張れば通えると考え、そのままの住まいにしました。
正直なところ、育児だけの毎日は幸せではあるものの、やはり仕事が恋しいと思うこともありました。
生後7か月での復帰でした。
離乳食:ジャスト生後5か月スタート
復帰に向けて意識したことは離乳食です。
厚生労働省の指針にもある通り、生後5か月頃からが最適であるということでジャスト生後5か月で開始しました。
↓↓離乳食前に読んだ指針です by厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/03/dl/s0314-10_32.pdf
家庭によってはもう少し先に始める方もいると思いますが、保育園入園時には月齢に合わせた経験食材を満たしておきたかったため、ジャスト5か月に開始した次第です。
保育園に入園してしまうと、新規食材は自宅で2回経験しなければならないこともあり、アレルギー発症時のリスクを考えると基本的には小児科が空いている土曜日午前しか新規食材を導入できないんですよね。ハードすぎる。
特に卵は手間もかかりハードルになるので、確実に進めるようにしました。
結果として中期食を除去なく食べることができたのでありがたかったです。
が、ここから後期食、完了食と食材もどんどん増えていくため追いつかず、園から「〇〇そろそろ経験してくださいね~」と通達が来ることもありました。
↑↑↑
私が参考にした離乳食本はこれです。(使っている人多いですよね)
完璧主義の私はこの通りにしないと気が済まず、どんどん進めるにつれて食材や過程も多く辛くなりました。キッチンがかなーり広ければいいですが、この通り進めると鍋や食器がどれだけあっても足りません。冷凍庫もパンパンになります。手を抜くところは手を抜いてください。
断乳:同時期
新生児期から混合育児をしていました。母乳とミルクについては別記事でも書こうと思いますが、かなり悩みました。(内容もかなりセンシティブなので有料にしようと思います…)
結果として混合に持っていくことになり、息子の歯がかなり速いペースでしっかり生えてきたので離乳食が始まったあたりで痛くてトラブルも起こり、辞めました。
ネントレ
妊娠中、X(旧Twitter)でネントレの話題が上がっていたので、本で勉強していました。
様々な本がありますが、私は
これで勉強しました。1度目は通読、2度目はマーキングした部分を中心に読み直しました。夫は当初全く興味を示していませんでしたが、新生児期に里帰りせずに身をもって体験したためか、手にとって読んでいました。
結果的に生後半年まではこのネントレががちっとハマり、夜間に起きてくるのは月に2-3回程度だったように思います。
(その後については後述を参考に…
慣らし保育
様々な園があると思います。友人の園は1か月程度あったようですが、息子の園は園長先生との相談の上決定しました。結果としては1週間+予備の1週間で計2週間、慣らしということになりました。
慣らし保育は1時間からスタートしますので家が遠い方は近くで待機が必要です。幸い自宅から近い園だったため、自宅に帰り久しぶりの一人時間を楽しみました。というものの、息子が泣いていないか心配で上の空で家事をこなしていました。
育休中に児童センターや有料の遊び場(ボーネルンドなど)に連れて行っていたため、外界との接触は問題なかったようです。
といってもまだずりバイのみの赤ちゃんを連れて児童センターに行っても動かないので、親が抱っこして動かさねばなりませんでしたが刺激にはなっていただろうと信じています。笑
育休復帰後の体制
通勤時間や始業時間の関係で送りは父、迎えは母を基本としました。
また、義理の実家は車で30分程度であるものの、義母は持病もあり頼るのも申し訳ない状況でした。また、義母は実の母(夫の祖母)を自宅で介護(看取り)をしており、とても急なお迎えをお願いできる状況ではありません。
また、私の実の両親も遠方、仕事を持っており頼れませんでした。
準備していたサービス
①市の病児保育登録
病児保育って、思い立った時に突然利用できるわけではないんですよね。
実際初回はかなりのハードルがあります。調べた結果、
事前に市に病児保育登録を行う
→病児保育連絡票を小児科受診して記入してもらう
→病児保育所へ連絡し空を確認
→連れていく
という流れ。・・・そう、気づきました?
小児科受診必須なんです。つまり、当日の朝熱を出した場合には父母どちらかが休んで小児科へ連れていき病児保育連絡票を記載してもらわないと話は進みません。受診が終わるころには昼ですよね。そこから病児保育に預けて通勤。。。中々厳しかったです。
しかし、振り返ってみればこの市の病児保育を一番利用させてもらいました。本当にこの病児保育の看護師さんが優しくて送り迎えの際の一言、お願いしようと電話した時の一言があたたかく夫婦共に「母」のように慕っていました。
②民間の病児保育シッター
連絡したら100%マッチしてきてもらえる病児保育シッター会社に大金を払い登録しました。もちろんとてもありがたいサービスなんですが、いざ来る人が決まったんですけどね、遊園地の職員経験のみの方がマッチしてしまい…。もちろん猫の手も借りたい状態ですが、不安になってしまいキャンセルし、そのまま退会しました。多分、都市部は似たようなシッター会社あると思うんですが、どんな方が来るのか事前にきちんと確かめておいたほうがいいです。
③家事代行
週に1回のお掃除代行をお願いすることにしました。が、これは実は調べてはいたのですが、導入したのは復帰後4か月経った時です。
それまではなんとか自分で掃除していました。。。
お金はかかります。が、導入してください。家がきれいなだけで心にゆとりが持てます。ママ友さんは料理の作り置きを頼んでいました。
④ネットスーパー登録
コープや西友、たくさんあります。
基本的にはスーパーに行くようにしていましたが、どうしても時間がない時のためにネットスーパーは2社使えるようにしていました。
コープは中々ハードルが高く、使いませんでしたが、周りの子育て世代は皆さんコープを契約していました。
⑤医局への状況説明
自分自身の置かれた状況を医局長に事前に説明していました。
通勤時間が長いこと、両家に頼ることが中々難しいことをお伝えしました。
十分な考慮をいただき、業務軽減もしていただけることになっていたはずです…(泣
いざ!復帰
え…夜泣き?
ネントレで夜泣きしないと書いていたのに…?
そうなんです。保育園の慣らし保育が終わるころに突然夜泣きが始まりました。知り合いの女医ママ友に相談すると、保育園の刺激で数週間から数か月、入園後は夜泣きをすることが多いそうです。(私が無知でした)
でも、ネントレをした子は必ずどこかでまた夜通しねるようになるって聞いたことあるよとラインをもらい、ひたすらに夫と交互であやし続けました。
通勤負担が重いからという理由もあり、積極的に夫が対応してくれました。感謝しかありません。。。
体力が持たない
ハイパー病院で鍛え抜かれた体力はどこへ消えたのでしょうか。
最初の2週間は満員電車に揺られて病院に辿り着くだけで息切れがしていました。手技も忘れており、後輩の指導をしながら感覚を取り戻していましたが、なんせ体力がない。出勤し、仕事を終え、帰途につき、保育園のお迎えの頃にはフラフラしていました。思えば特に身体を鍛えることもなく、好きな時に息子とお昼寝しゆったりと授乳をしていたのに突然そんな生活、持つわけがありません。もっと早めから身体作りを再開すればよかったです。
主治医制…
これは診療科や病院によると思うのですが、主治医制でした。
休日当番は決まっていますが、基本的に主治医がすべて行います。
なので中々周りに頼みにくい状況でした。
また、緊急疾患対応当番で初療にあたった症例は自分自身で受け持つことになり雪だるま式に患者数は増えていきました。
緊急処置が必要な時も周りに言い出せず、結局夫へ連絡し、お迎えをお願いしたうえで残っていました。
「いや、時間でかえりまーす!っていえばいいじゃん」って思いますよね。
でも自分がここで帰ったら誰かが残りの処置や手術、マネージメントをするんです。
ワークライフバランスは誰かの犠牲のもとに成り立っている。
そう実感しました。
結局、仕事場での犠牲を払えなかった私は自分の家庭が犠牲になっていきました。
保育園の洗礼、いきなり入院。
自分の家庭が犠牲。そう、まずは息子。
保育園の洗礼なんてあるんかなと高をくくっていました。(本当に私の悪いところ)
というのも、育休から復帰するまで熱も出したことなく、風邪という風邪もひいたことなかったんですよね。なので「子供が熱をだす」ということが未経験だったため、具体的なイメージがつきませんでした。
入園して1か月経たないうちにまず風邪をもらってきました。最初は38.5℃。初めての熱だったのでやや慌てながらもかかりつけの小児科へ連れていき痰きりや解熱薬をもらいました。
先生からも3-4日すればよくなるでしょうね~と言われていましたし、私たち夫婦もそれくらいを見積もっていましたが、5日経っても熱は下がらず、ミルクの哺乳力もなくなりスポイトで口に入れるも吐き出してしまっていました。しかしかなりこの時期夫婦ともに忙しく職場に土下座する勢いで謝りながら交互に休みを取っており、ついには6日目は午前は母(私)出勤し午後から夫が出勤という計画でした。勤務を終え帰宅しバトンタッチしようとしたところ、息子の様子があまりにもおかしく、夫に尋ねるも「昨晩とかわっていないんじゃない」と。
母の直感で「これはまずい」と思いかかりつけの小児科に状況を伝え、紹介状を電話でお願いしたところ、すぐに連絡してもらい総合病院を受診しました。
結果としてはウイルス性肺炎で酸素化も悪くなっており、即入院となりました。実はこの日、前日にトラブル症例を抱え、ほぼ徹夜。
徹夜状態で付き添い入院になりました。
看護師からの厳しい一言に号泣
入院が決まったのち、小児科医からICをしてもらい、今日明日が山場であり酸素流量が減らせることを祈りましょうと言われました。
勤務していた主人も急遽来院してもらい、夫婦で動揺しながらもなんとか話を聞き終えたところでERの看護師さんの一言。
「ぎりぎりのところでしたね。お母さん、お医者さんなら気づかなかったですか?」
それまで息子の病状理解や付き添い入院に伴う主治医の変更、担当当番の変更などの連絡で手一杯でしたが、この一言で、号泣しました。
息子にとっては私が母親、私一人が母親。
酸素吸入が必要なほどの肺炎なのに、出勤して、前日も目いっぱい仕事して…。息子に申し訳ない。
仕事、辞めよう。
結局ウイルス性肺炎に中耳炎を合併しており、1週間程度の入院でした。退院してからも自宅療養が必要なため、計2週間程度私はお休みをもらいました。退院後は鼻水は残るものの元気になってきた息子と育休の時のような毎日を自宅で過ごしました。
退院後の一週間で仕事を辞めようと考えました。
大切な息子がこんなになるまで、働らかねば成り立たない医療界。
医師免許があればきっといつか、息子が成長したときにまた一からやり直すことはできる。今はこの息子だけを見て、生きていこう。
こんなことにならず、立派に育児と仕事を両立されている方はたくさんいます。でも私にはできませんでした。
息子も生命の危機にさらすことになり、仕事も突然の長い休みをもらうことになりました。
業務軽減
仕事を辞めようと決意したのですが、夫とも話しあい、医局長とも話し合い、結果としては私の業務をさらに軽減してもらうことになりました。
緊急症例については原則受け持たない。
手術症例については助手のみとする。
この2つを取り決めとしました。
周りの方から見たらかなり甘いですよね。今noteに書いていても申し訳ないほどに甘いと思います。
でもその当時の自分にとってはそれくらいしないと両立できませんでした。
メンタルも、フィジカルも。
ワーママ女医の一日:起床は5時
ワーママの皆さん、何時に起きていますか?
周りを見渡すと4時起きという鉄人ママ友もいました。
この時期の私のタイムスケジュールを振り返ってみます。
【タイムスケジュール】
5:00 起床
・前日浴室乾燥した洗濯物の取り込み、畳み
・息子の朝食(離乳食)作り
・息子の保育園バッグ用意
・自分の身支度(メイク)
6:00 息子、夫起床
・息子へのごはん(これがかなり時間がかかります)
・ベッドメイキング
6:40 私出勤
・夫に息子のごはんと送り出しを託します
7:20 保育園送り(夫)
・車内で保育園のオンライン連絡票書き上げて送信
8:10 職場到着
~勤務~
16:30 勤務終了
18:00 保育園お迎え(私)
・スーパーへ買い出し
・息子のごはん作成提供
・大人のごはん作成提供
19:30 夫が帰宅(早帰りの時)
・夫、私 交互に食事
20:00 お風呂(夫&息子)
・食事片付け
20:30 寝かしつけ(夫)
・ごはん作り置き
・離乳食追加作成、冷凍
・夫婦の弁当作り
・リビングの掃除、廊下の掃除
・おもちゃの消毒
22:30 専門医試験勉強開始
24:30 就寝(ほぼ寝落ち)
いかがでしょうか…。自分の中では頑張っていた方ですが、もっと鉄人級の方もいると思います。正直、効率が悪いところもたくさんありますしね。
なんせ、専門医試験の勉強の時間を確保することがかなり難しく、眠いながらも通勤の時に問題集を解こうと思うものの、集中できず…
体力的にもきつかったです。
外注できるものは外注
前述のように頑張ってはいたのですが、休日になると夫の日当直や日直、当直でワンオペの時間も長く、また、後追いも始まり家事が進まなくなりました。そのため掃除をする時間も中々取れず、前述の家事代行をお願いしたことをきっかけに、とても楽になりました。
建前としては専門医試験をまた来年受けるよりは掃除を外注して今年受かった方がいい!というものでしたが笑
結果的には専門医取得後の今も、月に2回程度、お願いしています。
義理の実家に少し頼れるようになった
義母の持病も落ち着き、義理の祖母が亡くなったこともあり、義母からどんどん頼ってねとありがたいお言葉をいただきました。
夫婦二人で回すことが難しい時には感謝の気持ちをもって、日中義理の実家で見てもらうようになりました。2人の子育てをされたこともあり、安心して預けています。
でもいつ、だれが、体調を壊すかもわかりません。
義母かもしれない、私かもしれない、夫かもしれない。
そんなことを想定しながら夫婦共に抑えて、抑えて、仕事をしています。
キャリアをセーブする
共働きは思った以上にハードです。お互いに主治医制、オンコール、日当直がある場合、パズルのように組み合わせなければなりません。
結論としては、やはり子供が幼いころは、キャリアはセーブする。
これに尽きると思います。
もちろんキャパがある先生はどんどん働いていいと思います。
が、やはり無理をすると結果的には職場にも家庭にも迷惑が掛かります。
「やればできる、自分が我慢して踏ん張ればできる」なんてことは机上の空論であり、
「できないことはできないという」これが一番の大切なこと。
つまり「諦め」が大切かなと振り返って思います。
子供という自分の頑張りではどうにもならないパラメーターが加わった以上、働き方を抑えることは必ず必要だと思います。
もちろん、その分、お給料は下がります。
でもそれは子供との時間を持つために必要な経費、だと思います。
最後に
入園半年を過ぎ、夫婦共に職場もかなり落ち着いたところになりました。
息子も体の免疫がついてきたのか、お休みの頻度もかなり減り、2-3か月に1度程度になりました。
また、少し鼻水出てきたなとおもったら、早めにどちらかが仕事を切り上げ、仕事の都合がつくようならオーバーかもしれないけれど早めに1日休ませる。これだけでも重症化が防げ、結果的には仕事を急に休むことがほぼなくなりました。
自分の経験をもとにママ女医問題に絡めて記事を連載しましたが、
noteを書きながら、復職当時のことを思い出し、涙ぐんでしまったり、自分の効率の悪さに更にあきれたり。。。
この第三弾は赤裸々に書きすぎたかもしれません。
この記事を読んでいるかもしれない、ワーママ。
あなたが頑張っていることはあなた自身がよくわかっているはず。
がむしゃらな今、理想論に聞こえるかもしれないけれど、どこかで必ず立ち止まってください。そして、一息ついたらまた私とぼちぼち日常にもどりましょっか。
そして…
そのワーママを支えている周りの職場の方、そして家族。
早く帰るし、子供のお熱でしょっちゅう休むし、自分に仕事がどんどん降りかかってくる。ほんと迷惑ですよね。私も独身の時思っていました。
ただ、ほとんどのママは申し訳なさでいっぱいで、私みたいにやめようかなと思うタイミングがあるかもしれないです。
辞めてしまえよ、と言われればそれまでだけれども、少し余裕のある時でいいです。頑張ってるね、大変だね、そんな一言で大きな力をもらいます。
いつもありがとうございます。
うまく文章にできませんが、うまく皆さんに伝わっていたら幸いです。
偉そうに書いていますが、まだまだ育児と仕事の両立は夫婦共に手探りです。
拙い記事をここまで読んでくださってありがとうございました!(感謝!
よかったらそこらの女医厳選、日用愛用編もご覧ください
いいなと思ったら応援しよう!
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