私は私でいいと思えた時
nanakoです。
私は昔、
周りの人を見ては
「あの人の〇〇なところがすごい。
私もそうなりたい。」
と、
たくさんたくさん!
人と比べて生きていました。
社交的な人を見ては
「自分も誰とでも話せるようになりたい!」と思い、
友達が多い人を見れば
「私も誰かも愛される自分になりたい!」と思い、
頑張ったりしました。
でも、頑張ってみたものの、
私は思ったことしか言えず
あんまり好きじゃない人に対して
無難な社交辞令も言えず、
「苦手だなー」と思えば
顔と態度にでてしまい、
それを隠すのは無理でした。
分け隔てなく、うまく話すのも
たくさんの人と友達になるのも
「私の性格には無理だった」
と気づいたんです。
好きな人はめっちゃ好きだし、
根本では人類全体を大事に思っているけど、
どちらかと言えば偏愛です。
信じた人や大事な人への愛は大きいけど、
すごく偏りがある。笑
しかも私にとっては
人との交流を広げるよりも
自分の興味があることを
オタクなまでに突き進めることが
快感を感じました。
私が私でいいと思えた時。
それは
周りの人のいいところがすごく素敵でも、
それはその人の長所であって
「自分には別の部分に誇れる部分がある」
「私も同じようになる必要はない」
と思えた時です。
私は
多くの人と友達になって
誰に対しても優しく接することは
できないかもしれない。
でも、
そんな正直なことしか言えないからこそ、
その私の言葉を
嬉しく受け取ってくれる人もいる。
ひとつのことに集中したら
周りが見えなくなるほどの
オタク精神を見せるけど
だからこそ
その私の知識を喜んで受け取ってくれる人が
いるかもしれない。
だったら私は、
少なくてもその少数の人のために
愛を凝縮し、
自分の知識の刀を研ぎ続けたらいいじゃない!と
思うようになりました。
(表現ww)
私は私らしく
不器用でも真っ直ぐに、
自分の道を突き進む。
それが「私」だから。
そんな風に
周りの人の良いところも
自分の良いところも
どちらも
客観視できるようになってから
人と比べて
「自分ではない他人」になろうとすることは
なくなりました。
私はそんな自分の長所を知れたのは
数多くの自己分析ツールを
使ってみたけど、
数秘術が大きかったです。
誇れる「自分だけの刀」が見つかると
「あの人、素敵!
でも、私も素敵!」
という状態になると思います。
本当にみんなそれぞれ
良さがあるからね。
「あなたは
どんなところが素敵ですか?」
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