2022/02/26の日記
小6のとき、私の住んでいた国でデモが起こった。発端は、私の母国の偉い人がある宗教施設へ参拝したことによる、抗議活動。私の修学旅行が目前に控えていた。
私たちの学校は母国語で授業を行う。勉強内容も学校生活も母国とほぼ変わらない。ただ給食じゃなくてお弁当なこと、バス通学なこと、外国語の授業もあること、過去の大きな戦争で母国がこの国でひどいことをした歴史もあるから、毎年の宿泊行事の前や何かしらのタイミングで、だいたい一度は戦争について調べ学習をしたり、記念館へ見学へ行ったりすること。この辺は、少し違っていたかもしれない。
この国の人たちはとてもいい人が多くて、お節介でちょっとうるさいけれど、その分とても優しくて、おおらかで、子どもが大好き。そりゃ自分にとっては外国の土地だから完全に安全というわけではないが、それでも困っていたら絶対に助けてくれる人たちだ。私たちの外国語が未熟でも関係なく喋りかけてくれる。
戦争について学ぶと、母国の先祖がしてきたことに頭を悩ませたり、それでもこんなに優しくしてくれるこの国へ申し訳なくて泣いたりもした。わたしたちは戦争を経験したことないけれど、戦争の狂気と横暴さを学び、それを絶対にもう二度繰り返したくないと強く思った。若干12歳。いま考えると、子どもってそんなことまで考えるんだなとびっくりする。
しかし結局、私たちがどれだけ学んでも、どれだけ深く悔いても、どれだけ敬意を持っても、どれだけ日々を編んでいても、ここにいる私たちとは全く関係のないところで何かをアピールしたい大人によって、学校が休校になり、修学旅行が危うくなった。不安な気持ちで外の道路を眺める。自分が愛するこの外国が、急に遠くなる。日々暮らす私たちの生活が、信頼関係があっという間に崩される。
そのとき「ああ、母国の偉いおじさんたちは、私なんてどうでもいいんだな」と悟った。海外にいる私たちの身の安全や修学旅行なんて、頭の隅にも置いていないんだ。この人たちは国際人とかなんとか言って、いいとこを掠め取ろうとしてるだけで(視察だけ一丁前に来やがって)、万が一私が危険に晒されても知ったこっちゃないのだと。そして、私が窓から眺める光景や肌で感じる緊張感なんて微塵も感じず、また手を合わせに行くのだろうと。私は明日もここで暮らし、この国の人と笑顔で交流していたいと思っているにもかかわらず。
いつになったら、私たちの生活が私たちのことを一ミリも考えていない人の手に渡らず、私たちの手の中で大事に育めるようになるのだろう。いつになったら、耄碌した偉い人がメンツのために何かに固執し、多くの犠牲を払うことをやめるだろう。私は私であって誰かの駒でも道具でもないように、遠い遠い国の全く知らない誰かも、全く知らない誰かでしかない。その人が所属している国だからとてその人の人生を勝手に決めていいわけもない、ましてや隣国だからと思い通りにしていいわけもない。
ウクライナの人たちがどうか、どうか安全で健康的な避難先を見つけられますように。攻撃されず日々の穏やかな暮らしに今すぐにでも戻れますように。そしてロシアの人たちがどうか、よくわからん奴の戯言によって罪を被らず、民衆の力で暴力を跳ね除けられますように。
結局、私の修学旅行は中止を免れた。ウクライナで避難している小学生は、本当は今日、どんな予定があったんだろう。小さな小さな日々の積み重ねの中に暮らしがある私たちの、どんなに小さな幸せだって、争いに焼かれるような筋合いはない。
ウクライナ大使館 寄付金
国境なき医師団